久元 喜造ブログ

2017年8月15日
から 久元喜造

お盆に小学校時代の恩師を偲ぶ。


5年近く前、神戸に帰ってきてほどなく、小学校のとき担任をしてくださった先生が、その前の年に亡くなっておられたことを知りました。
もう少し早く神戸に帰っていれば、ご尊顔を拝することができたのにと、残念でなりませんでした。

想い起せば、 私たちは先生の指導で「学習帳」を書き、先生は赤インクで丁寧な書き込みをしてくださったものでした。
先生の書き込みは、いつも大きな励みで、勉学への意欲を高めるものでした。

暮れも押し迫った厳冬の日にご自宅を訪れ、先生の遺影に手を合わせました。
奥様のお話では、先生は、平日は毎日、夜の11時過ぎまで、私たちのために赤インクでコメントを書き、そして、翌朝6時には家を出られていたそうです。

奥様は、帰り際に、先生が遺されたいくつかの句と、晩年に愛読されていたというホイットマンの詩集を私に下さいました。

登校の子に歩をあわす雪の道

鈴蘭台にも雪が降り、授業をやめて、雪原での野外活動に切り替えてくださったことを想い出します。
ひとりひとりの児童に、寄り添うように接してくださる先生でした。
同時に「勉強の習慣は冬につけるのがよい。温かい布団に入りたくなる自分と闘って勉強しなさい」とも仰る厳しい面もおありでした。

尊徳像 本持つ手より氷柱垂る

猛暑のお盆に、厳冬の情景を詠まれた句を味わい、先生のご冥福をお祈りしたいと思います。

学校現場をを取り巻く状況は、私たちが子どもの頃と比べ、遥かに厳しくなっています。
懸命に頑張っておられる小中学校の先生方が、子どもたちと向き合い、寄り添うことができるよう、引き続き、多忙化対策に取り組みたいと思います。


2017年8月12日
から 久元喜造

新藤浩伸『公会堂と民衆の近代』


もう二年半も前になりますが、旧知の牧原出東大教授の書評が読売新聞に掲載され(2015年2月8日)、その中の 「国策としたたかな庶民がせめぎあう舞台装置」という一節が記憶に残っていました。(2015年2月27日のブログ
御影公会堂 がリニューアルされたこともあり、中央図書館から借りて本書を読みました。

きわめて実証的な研究で、資料的な記述も多く、細部を読み飛ばした部分もありますが、通読しながら「人が集まることの意味」について、改めて考える機会となりました。

明治期から我が国では、公会堂が次々に建設され、その代表的存在が、1929年(昭和4年)10月に竣工した 日比谷公会堂 でした。
筆者は、日比谷公会堂をはじめ大正期以降急増した公会堂には、政治的討議を行う場(集会場)、娯楽を享受する場(劇場)、国民的な儀礼を行う場(儀礼的空間)、メディアとしての機能という4つの機能があったと考えます。
そして、公会堂は、「特に、集会場と劇場という二つのアイデンティティの間でゆれており、提供される内容と来場者の受容との間にしばしばずれが生じていた」と指摘します。
興味深い分析です。

東京、大阪など日本の大都市が、威容を誇る公会堂を建設し、それらの多くが現存している中にあって、神戸市の公会堂建設計画は実現しませんでした。(上記ブログ
それだけに、旧御影町から引き継いだ 御影公会堂 の存在は、神戸市民にとってかげがえのないものであり、その歴史を大切にしながら、新しい発想で活用していくことが求められます。
今日も夕方、御影公会堂にお邪魔し、その独特の雰囲気を味わいたいと思います。


2017年8月9日
から 久元喜造

難題に「熟議」で答える。

20年前の1997年、須磨区で連続児童殺傷事件が起きました。
7月31日の神戸新聞社会面は、加害男性が著した著書の購入問題に直面した、当時の中央図書館の対応を検証していました。
記事の見出しは、
知る権利か、遺族配慮か 熟議2時間半

2年前の夏、加害者が著した「手記」が大きな反響を呼び、自治体の図書館は、この書籍を購入するかどうかの判断を迫られました。
この書籍は、好調な売り上げを記録する一方、遺族への連絡がないまま出版され、批判が相次いでいたのです。

私は、あのときのことをよく覚えています。
当時の三木真人中央図書館館長から、図書館としては、この書籍を購入しないこととしたい、という報告を受けていました。
私は、この方針を、教育委員会の権限に属する事項であることを断ったうえで、定例記者会見(2015年6月23日)で発表しました。

今回の神戸新聞の記事で、中央図書館の職員のみなさんがこの問題についてかなり突っ込んだ議論を行ったことを知りました。
中央図書館では、書籍の購入や閲覧の可否を検討する運営会議の臨時開催を決め、館長をはじめ管理職10人が話し合ったそうです。
「購入・閲覧に否定的な意見」と「ほぼ同数の肯定論」があったようです。
約2時間半の話し合いの結果、書籍を購入しない方針でまとまりました。

意見が分かれる難題について熟議し、その上で、館長が方針を決めたことは、たいへんよかったと思います。
職員のみなさんが論点を理解し、そして方針を納得していたからこそ、利用者のみなさんに説得力のある説明ができたのだと、この記事を読んで感じました。


2017年8月5日
から 久元喜造

司馬遼太郎『神戸・横浜散歩 芸備の道』


改めて興味深く再読しました。
「神戸散歩」の次に「横浜散歩」が収められていて、首都、すなわち国家権力に近い横浜との比較、二大港都の対比も面白かったです。
もちろん「神戸散歩」には、大阪、京都との比較も随所に出てきます。
たとえば、「二十年ばかり前、京都は人を緊張させるところがあるが、神戸はそうではなく、開放的で、他人(ひと)のことにかまわず、空気まで淡くブルーがかっていて、疲れたとき歩くのにちょうどいい、と感じたことがある」という一節など。

司馬遼太郎は、自らの街を愛してやまない神戸人を微笑ましく眺めながら、丹念に取材し、街を歩き、透徹した目で私たちの街について思索を巡らし、不朽の神戸論を書き上げたのでした。

「神戸散歩」が週刊朝日に連載されたのは、1982年秋のことだったようです。
「ポートピア81」が華やかに開催された翌年で、その後神戸の街は、震災の影響もあり、大きく変貌していきました。
しかし本書で取り上げられている、布引の滝、外国人墓地など古くからの佇まいを残している場所は今日なおたくさんあります。
改めてそれらの価値を再認識し、将来の世代に引き継いでいく責務を感じています。

来年の兵庫県設置150年を控え、明治維新当時の神戸に関する記述もたいへん勉強になりました。
司馬遼太郎は、「神戸の誕生が、革命の内戦前夜であったことは、都市性格の形成にとって重要な因子であったといっていい」とも記しています。(敬称略)

 


2017年8月1日
から 久元喜造

ヤマカガシは公園にいるのか?


伊丹の公園で、子どもがヤマカガシに咬まれたという記事を読んで、首を傾げていました。
公園に本当にヤマカガシがいるのだろうか?
もちろん、いないという保証はないのですが、子どもの頃、さんざん山中を歩き回った経験から、何となく不自然に感じていたのです。
(直近で見たヤマカガシは、残念ながら、田圃の傍で上の写真のように死んでいました。2015年9月23日のブログ

ヤマカガシの好物は、蛙などの小動物。
公園に彼らの好物が豊富にいるとは考えられません。

きょうの新聞記事では、子どもがヤマカガシに咬まれたのは伊丹の公園ではなく、宝塚の山の中だった、と報じられていました。

驚いたのは、この子どもが山の中に蛇を捕まえに行ったということです。
ヤマカガシを見つけ、捕まえてリュックサックに入れるときに咬まれ、友人宅で出そうとしたときにまた咬まれたというのです。
この話を信じるしかないのですが、ヤマカガシはそんなに簡単に遭遇できる蛇ではありません。
また、ネットに耽溺する子どもが多いといわれる中にあって、蛇を捕まえに行く子どもがいることにも驚きました。

子どものとき、自然の中に身を置き、遊んだりすることは、意味があります。
自然の中には、毒蛇もいますし、危ないこともたくさんあります。
五感を統合して現実の世界と対峙し、危険を察知し、回避する能力を身に着けることは、人間が成長する上でとても大切です。
今回の事件を機に、外で遊ぶことをさえぎるのではなく、ヤマカガシなど危険な動物の存在も学びながら、子どもたちが自然の中に身を置き、危険と対峙する能力を養ってほしいと願います。


2017年7月29日
から 久元喜造

「神戸わたくし美術館」で至福のひととき

先日、長田区西丸山町内の「神戸わたくし美術館」にお邪魔しました。
昭和8年に建てられた、もとは旅館だった木造建築です。
玄関で、館長の三浦徹さんと奥様がにこやかに出迎えてくださいました。


すぐに目に入ったのは、大好きな画家、タカハシノブオ2014年11月18日のブログ)の書置きです。
タカハシノブオは、兵庫区の中学を卒業後、船員になり、独学で絵を学び、壮絶な画家人生を送りました。

俺がまやかしの世に所ケイ(処刑)され
灰と骨になったら
仲間達!
どこか裏街 路ボウ片隅の
しおれかかった花の足元に
そっとまいてほしい

花に息吹きがよみがえるなら
花はきっと 真っ赤に咲くだろう
俺のねがいは それだけだ

三浦さんのお話では、段ボールに書き残されていたそうです。

三浦さんが丁寧に説明してくださりながら、タカハシノブオの絵を、一点ずつ見せてくださいました。
三浦さんのお許しをいただき、作品の写真を一部掲載させていただきます。

まず、「人形」(1973年)

「カレイ」(1973年)
タカハシは、魚や蟹の絵を数多く描いています。
食べかけのものも多く、異彩を放っています。

「タウン」(1972年)

新開地や三宮の裏通り、元町の外人バーなど神戸の夜の風景を数多く描きました。

ほかの画家、作家の作品も見せていただいた後、奥様お手製のお菓子とお茶をいただきました。
至福のひとときでした。

三浦徹さんご夫妻に心より、感謝申し上げます。
(観覧を希望される方は、事前に電話で予約されてから訪問していただきますようお願いいたします。)


2017年7月26日
から 久元喜造

日本一安い神戸の水道光熱費


7月18日のブログ
で、急ピッチで進めている水道管の老朽化対策について記しましたが、対策にかかるコストを料金にできる限り反映させないような努力を続けています。
もともと神戸市は、水道光熱費が安い都市です。
総務省家計調査(二人以上の世帯)(平成29年2月)によると、全国の都道府県庁所在都市及び政令市52都市の中で、水道光熱費が一番安い都市は神戸でした。
その大きな理由は、上下水道の料金が安いからです。

これは平成29年4月の数字ですが、口径20㎜ 家事用で、月10㎥使用した場合、神戸市の上下水道料金は、1457円で、最も低くなっています。
最も高い都市では、4795円ですから、3.3倍の開きがあります。
月15㎥使用した場合は、2769円で、安い方から2番目。
月20㎥使用した場合は、4082円で、安い方から3番目です。

このように上下水道料金が安い理由は、大震災を経験した被災都市として、市民に節約意識が根付いているという指摘もありますが、上水道使用料は平成9年以降20年間、下水道使用料は昭和61年以降31年間、値上げせず、据え置いていることが挙げられます。

つい先日、地域活動に熱心に取り組んでおられる地域のリーダーの方から、
「市長、どうして神戸市は、こんなに水道料金が高いのですか?!」
と言われ、ショックを受けたこともあり、事実をブログで記すことにしました。

未来永劫というわけにはいきませんが、民間活力の活用による経営改善や遊休資産の活用による増収にも努め、可能な限り現在の料金水準を維持していきます。


2017年7月22日
から 久元喜造

寺西千代子『プロトコールとは何か』


国際都市である神戸市には、海外からの賓客がよくお見えになり、会談、式典、レセプションなどがよく開かれます。
とくに開港150年の今年は、数多くの海外からのお客様をお迎えしました。
国とはレベルも次元も違いますが、プロトコールについて最低限の知識を持っておきたいという思いから、本書を紐解きました。

筆者の寺西千代子さんは、1968年に外務省入省され、外務省儀典官室に10年あまり在籍し、国賓・公賓の訪日接遇を担当されました。
また、在外公館勤務経験も豊富で、幅広い人脈をお持ちです。

プロトコールとは何か
寺西さんは、「国家間で守るべき公のエチケット」であり、「国際儀礼」とも説明されています。
マナーと同じように、「相手に不快感を抱かせず、お互いの関係を良好に保つための潤滑油のようなもの」とされまます。

VIPの敬称、招待状の書き方、発送の時期、テーブルの席次、ドレス・コード、記念品の選び方、さらには靴下のマナーまで、実践的な対処方法が、失敗談も交え、たくさん示されます。
伊勢志摩サミットでのワーキング・ランチ、ワーキング・ディナーのメニュー、お酒の銘柄も興味深かったです。
本書を通読し、大事なことは、事細かな決め事をそらんじ、頑なに守るのではなく、相手の立場に立った、きめ細やかな心配りだと気づかされました。
豊かな想像力と柔軟な対応力が求められる世界であるとも感じました。

筆者が外務省の上司、先輩にいかに恵まれ、どのように専門家として成長していかれたのかについても触れられており、外務省の人材育成方法の一端に触れることができたことも有意義でした。


2017年7月18日
から 久元喜造

水道管の老朽化とたたかう。


少し前になりますが、産経新聞の7月9日朝刊の1面「インフラ再考 迫りくる崩壊リスク」に、神戸の取組みが取り上げられていました。
記事は、東灘区渦森台で進められている水道管の更新から始まります。
「約半世紀の歳月とともに古くなったこの町の水道管をいま、新品に取り換える工事が急ピッチで進められている」と紹介されていました。

神戸市は、昨年3月、老朽化する水道管の更新ペースを、平成26年度の年間20キロから、平成31年には2倍の40キロに大幅に伸ばす方針を発表しました。
スピードアップが可能になるのは、人口動向を見据え、太い口径の水道管を細いサイズのものに交換することにしたからです。
これまで使われてきたダクタイル鋳鉄管をポリエチレン樹脂製に代えることで、錆に強くなり、コストも2割程度削減できることが記事で紹介されていました。

記事では、水道管の耐震適合率が全国平均で36%と記されていましたが、20の指定都市の平均は54.4%で、神戸は中でも高く、72.4%です。

つねに新しい技術を取り入れながら、財政負担を減らしつつ、安全で耐久性の高い水道インフラの整備に取り組んでいきます。

地下の見えないところで行われている地道な作業ですが、インフラの老朽化とたたかい続けることは、安全な街づくりを進めていく上でとても重要な課題です。

神戸市水道局のみなさんの仕事ぶりは、被災地への支援(2016年4月29日のブログ2015年8月9日のブログ)、途上国における水道事業への貢献などが知られていますが、これら幅広い活動が本来の仕事に生かされているように感じます。


2017年7月14日
から 久元喜造

瀬戸内 地魚の魅力②

 

神戸の前に広がる、海。
神戸近海では、日本で最もおいしいとも評される魚介類が獲れます。
前回(2017年2月3日のブログ)の後に味わった、神戸近海など瀬戸内の地魚を紹介したいと思います。

まず、垂水近海で獲れた「キジハタ」(上の写真)。
何とも、豪快で美しく、美味しい魚でした。

次に、この鯵、淡路産です。
何とか鯵、と呼ばれていましたが、すみません、失念しました。
深い味わいの鯵でした。

続いて、やはり淡路で獲れた「マイカ」。
七輪で焼いて、素朴に味わいました。

蝦蛄。
子どもの頃は、ザルに山盛りありましたが、希少品となりました。

穴子の稚魚「のれそれ」。
生で出てくることが多いのですが、さっと、しゃぶしゃぶにすると、また違った味わいでした。

瀬戸内の地魚、万歳!!!
魚の魅力あふれる「食都神戸」を強力に進めます。