久元 喜造ブログ

2018年11月20日
から 久元喜造

自由にモノが言える市役所になってほしい。


きょうで、市長に就任して、5年になりました。

神戸市は、我が国の自治体の中でも素晴らしい実績を誇り、名誉ある地位を占めてきました。
多くの神戸市職員は、震災時、自らを犠牲にして、献身的に対応に当たりました。
外から神戸市役所に入ってきた私は、これまでの伝統を尊重し、そこから学びたいと思ってきました。
その思いは、今でも変わっていません。

同時に、神戸市役所には、ある種の閉鎖的雰囲気があることも、少しずつ感じるようになりました。
1980年以前に遡るとも言われる「ヤミ専従」は、そのような雰囲気の中で続けられてきたのではないかと想像します。
閉鎖的空間の中で、外の世界の非常識が「常識」とされ、その「常識」に対して異を唱えることができない雰囲気がつくられてきた可能性があります。

仕事をしているはずの職員がほとんど職場にいないことは、周囲のみなさんはわかっていたはずです。
気づいていながら、おかしいと声を上げられない。
疑問の声すら発することができない。
おかしいことを目の当たりにしながら、見て見ぬふりをしないと生きていけない。
そのような職場に身を置くことは、良心的に生きていこうとしてきた人々にとっては、つらいことであったはずです。

ようやく、理不尽な状況を変えていく道筋がつけられようとしています。
まだまだ、逆方向のベクトルが働いている現状も聞こえてきますが、そのような抵抗を排除して、明るい、自由にモノが言える市役所を、みんなでつくりあげていきたいものです。

「市役所改革」は、私がお約束した政策の中で最も立ち遅れています。
心ある職員のみなさんにしっかりとサポートしていただき、断固たる決意で臨んでいきます。


2018年11月18日
から 久元喜造

麻田雅文『日露近代史』


折しも、安倍総理がプーチン大統領と会談され、二島先行返還論がマスメディアなどで議論されている中、タイムリーな読書体験となりました。
ここのところテレビや新聞によく登場する元外務省欧亜局長、東郷和彦氏の祖父 東郷茂徳 は、太平洋戦争開戦時の外務大臣で、本書にも頻繁に登場します。

サブタイトルに、「戦争と平和の百年」とあるように、幕末における日露の接触に始まり、1950年の東郷茂徳の病没までを描きます。
年代記風の叙述ではなく、それぞれの時代おいて日露、日ソ外交に積極的に関与した政治家に焦点が当てられます。

まず、日露戦争前後までの明治期ですが、主人公は 伊藤博文2018年1月28日のブログ) です。
融和的な対ロシア外交を進め、その背後には明治天皇が控え、皇室外交を通じてロシアとの友好を深めていきました。

日露戦争の後、日露協約が締結され、日露は同盟国になりました。
伊藤の暗殺後、大きな役割を果たしたのは、後藤新平2018年7月1日のブログ)でした。
満鉄総裁として、ロシアとの提携を進めるとともに、1928年1月、モスクワでスターリンと会談したことは、本書で初めて知りました。

満州事変から日ソ中立条約までの時代の中心人物は、松岡洋右です。
この頃からの政府の対応は、読むのが苦痛になるほど一貫性を欠き、松岡をはじめとする要路にあった人々の対応はあまりに無責任でした。
戦局は悪化し、破局を目前にした東郷茂徳などの重臣たちは、ソ連の和平仲介に一縷の望みを託すのですが、その結果は悲劇的でした。

これから未来志向でロシアとの連携協力を進める上でも、過去の日露関係を頭に入れておくことは重要だと感じます。


2018年11月15日
から 久元喜造

スマスイ「『尼崎産魚』をひもとく」展


いま、須磨海浜水族園では、企画展「『尼崎産魚』をひもとく~江戸時代はおさかな天国!?~」が開催されています。
『尼崎産魚』 とは、江戸時代中期に描かれ、尼崎藩領内で見ることができた海産物をカラーで記録した書籍で 、尼崎市教育委員会が所蔵されています。
この書籍と実際の生きものを照らし合わせながら、当時のこのあたりの海にはどのような生きものがいたのかについて紐解いていく企画展です。

きっかけは、だいぶ前に目にして朝日新聞の記事でした。
「尼崎藩古文書の魚の正体は?」の見出しの記事で、『尼崎産魚』の存在と、この古文書の中に登場する魚などが紹介されていました。
厚かましいお願いとは感じつつ、尼崎市の 稲村和美市長 に直接電話をさせていただき、『尼崎産魚』に関する展覧会を、須磨海浜水族園で開催することができないか相談いたしました。
稲村市長から、前向きの答えをいただき、関係者間で協議が進められ、須磨海浜水族園での企画展が開催される運びとなりました。

今回の企画展では、『尼崎産魚』原本とともに、『尼崎産魚』に掲載されている、カンパチ、コンゴウフグ、マヒトデ、タコノマクラなどが展示されています。
江戸時代の人々は海の生きものをどのように捉え、表現したのか?
今日では見られない、あるいは謎の生きものはいたのでしょうか?

神戸市埋蔵文化センターの学芸員とスマスイ飼育員がタッグを組み、生物展示を通して書籍をさまざまな角度で解明していきます。

企画展は、12月2日(日曜)まで、本館1階、波の大水槽前エントランスホール東壁で開催されています。
江戸時代から続く、「おさかな天国」の豊かな恵みを感じていただければ幸いです。


2018年11月14日
から 久元喜造

「みんなの掲示板」の画びょう


神戸市では、主要な駅前や繁華街に「みんなの掲示板」を設置しています。
ネット広告が花盛りですが、「みんなの掲示板」のようなアナログのやり方も、意味があるのではないかと思います。
少しは街のにぎわいに役立つかもしれないと思い、去年から今年にかけて、西神山手線、山陽電鉄、神戸電鉄沿線など市街地西北部を中心に、10か所増設することにしました。(2017年12月21日のブログ
私は、市内を移動するとき、少しでも時間があれば、駅前や公園などをよく見に行くことにしていますので、「みんなの掲示板」も目に入ります。

あちこちの掲示板を見て、少し気になるのは、掲示板に刺してある画びょうです。
ごらんのとおり、昔からある、古典的な金属製のものが使われています。

画びょうは、掲示物を貼る方が持参することになっていて、委託業者が月末に掲示物をはがすとき、画びょうも撤去することになっているようです。
これで良ければよいのですが、むしろ、簡単に押したり、抜いたりできる押しピンを、掲示板上に用意しておく方が便利だし、委託業者の方の手間も楽になるのではないかと感じます。
もちろん、この辺の事情は担当者が一番よく知っているでしょうから、利用者にとり便利で、掲示板の管理も楽になるような方法を考えてもらえればと思います。

市長にはもっとほかに大事なことがあるやろ」、と思われるかもしれませんが、街中で起きていること、神戸市が設置している施設・設備の状況をできるだけ自分の目で見て、現状でよいのかどうか、常に利用者本位の視点で改善していくことは、必要ではないかと感じています。


2018年11月11日
から 久元喜造

環境DNAによる生物分布探査


昨日の午前中、王子動物園ホールで「生物多様性シンポジウム」が開催されました。
環境保全活動を行っている団体、高校生などのみなさんに多数参加していただき、私から、これまでの活動に対し感謝を申し上げました。

シンポジウムでは、まず「環境DNA:水をくんで生物分布を知る新たな手法」と題された、神戸大学大学院人間発達環境学研究科 源利文 准教授の講演が行われました。
神戸市では、源准教授のご指導を得て、環境DNA調査に取り組んでいますが(2018年3月1日のブログ)、直接先生のご講演を聴くことができ、たいへん勉強になりました。

種特異的検出」と呼ばれる調査法では、ある特定の種の在・不在が明らかになります。
実際にこの手法により、神戸市北区とその周辺の82の池を調査したところ、7つの池で、カワバタモロコのDNAが検出され、実際に、6つの池でカワバタモロコが捕獲されたそうです。
また、希少種のオオサンショウウオと、外来種のチュウゴクオオサンショウウオは、外見での区別は困難ですが、この手法を使うと判別することができます。

メタバーコーディング」は、複数の種をまとめて検出する手法です。
兵庫県内の河川、225地点でこの手法により生物分布調査をしたところ、在来種 43種、外来種 15種のDNAが検出されました。
在来種のうち、16種は希少種です。

生物分布を正確に知ることは、希少種を含む生物を保護し、生息環境の保全のあり方を検討する上で大きな手掛かりとなります。
今後とも、環境DNA調査手法を有効に活用して、できる限り正確に生物分布を把握し、生物多様性の保全に役立てていきたいと考えています。


2018年11月8日
から 久元喜造

東遊園地の変貌


少し前のことになりますが、10月20日(土)に「灘の酒と食フェスティバル in 神戸」が、東遊園地 で開催されました。
ものすごい盛況でした。
たくさんのみなさんが、芝生の上で、灘五郷をはじめとした兵庫県の日本酒を楽しんでいました。

振り返れば、以前、東遊園地は、土がむき出しのグラウンドでした。

東遊園地が大きく変わったのは、2年前にスタートした芝生化の実験(2016年6月14日のブログ)からです。
公園部の総力を挙げた本格的な実験の結果、いったんは擦り切れた芝生も、春から夏にかけて一定期間の養生や部分的な補植を経て、回復させる目途がたちました(2017年5月7日のブログ)。

平成28年からは、アーバンピクニック も始まりました。
拠点施設のカフェとアウトドアライブラリーを設置し、芝生広場を活用した演奏会などさまざまなプログラムが開催されてきました。

土曜日には地産の農産物を扱うファーマーズマーケット2017年12月29日のブログ)が開催され、アーバンピクニックとの相乗効果でにぎわいを見せています。

夜にもさまざまな催しが行われています。

アーバンピクニックやファーマーズマーケットのような新しい公園の使い方には、木々の緑と芝生の緑がおりなす景観や雰囲気が欠かせません。

今、東遊園地では、ルミナリエの準備が始まっています
これから、東遊園地は、冬の季節を迎え、来年には、1.17のつどいが開催されます。
神戸にとり、とても大切な行事ですが、芝生には過酷な環境になります。
芝生がこれらの試練に耐え、また来春、元気に芽ぶき、たくさんの皆さんを迎えてほしいと願っています。


2018年11月5日
から 久元喜造

「健康的で文化的な最低限度の生活」


関テレで放映されていたドラマを録画していたのですが、ようやく見終わりました。
すでに9月中旬に放映が終了していますので、時期外れの内容になってしまい申し訳ありません。

安定志向で区役所に入った新人女性公務員が、生活保護の担当課に配属され、ケースワーカーとして奮闘する姿を描いたドラマです。
何か月か前に、福祉職のみなさんと意見交換をしたときに、このドラマのことを話題に出したところ、少なくとも多くの職員がそんなに違和感を感じていないようでした。
もちろん、現実の方がはるかに複雑で困難なケースが多いようですが、たんねんに取材してドラマが制作されたのではないかと思われます。

前にも書きましたが、生活保護行政は、自治体の仕事の中でもひじょうに難しい分野の一つです。(2014年9月24日のブログ
とくに区役所のケースワーカーのみなさんは、日々厳しい現実と格闘しています。
そのような職場に、社会経験がない新規採用職員を配属することが適切なのかどうかは難しい判断で、試行錯誤が続いています。
若手職員のみなさんと議論したときにも、両方の意見がありました。

以前人事当局からは、「職員のなり手が少ないので、新人を配属せざるを得ないのです」という説明を聞いたことがありますが、大いに違和感を感じました。
自分たちがやりたくないから、何もわからない新人にその仕事を押しつける、という発想は倒錯しています。
困難な職場であるからこそ、人事当局を含めた本庁の管理職が職場の実態をしっかりと把握し、少しでも職員のみなさんの苦労を和らげ、気持ちよく仕事ができる職場環境を整えていかなければなりません。


2018年11月3日
から 久元喜造

武庫郡山田村郷土史


北区山田町の旧家の方から、旧武庫郡山田村の郷土史をお借りし、目を通しました。
山田村役場が、大正9年(1920年)に発行した郷土史です。

村名起源、丹生山田庄の沿革に始まり、維新前各部落の行政、旧幕府時代の状況が説明されます。
そして、廃藩置県から町村制実施に至る経緯、町村制施行後の状況が記されています。
村会、村長、助役、収入役の役割とともに、歴代の村長、助役、収入役、村会議員、県会議員、郡会議員の名前も記されていました。
また、当時の道路、砂防工事や林業、林産物の状況、境界紛争に関する記述も興味深いものでした。
寺子屋から学校教育への移行、各小学校の沿革にも紙幅が割かれています。

行間から伝わってくるのは、この郷土史を編んだ人々の山田村への愛情、そして村行政に対する使命感です。
村民が力を合わせて、山田村を発展させていこうという強い決意が感じられます。

当時の盛本萬右衛門村長の巻頭言には、次のように記されていました。

「村治に於て着々穏健の進歩に向ひ、茲に三十年の星霜を経過せる一の記念として見るべく、将来五十年百年の後に於て、其の二篇三篇の続出せんこと期して俟つべきなり

旧武庫郡山田村は、1947年(昭和22年)に神戸市に編入合併され、山田村の村長、村会、村役場も廃止されました。
50年後、100年後に「山田村」郷土史の続編が編まれることもなくなりました。

当時の山田村の人々は、単独で自治体として存続するよりも、神戸市と合併する方が地域がよくなると信じ、合併という選択をされたのだと思います。
山田村に限らず、当時の旧村の人々の気持ちを想い起しながら、地域の振興発展を図っていきたいと思います。


2018年10月29日
から 久元喜造

認知症「神戸モデル」に向けて


超高齢社会のわが国で、認知症 への取り組みはたいへん重要で、今年の3月、「認知症の人にやさしいまちづくり条例」が制定されました。
条例で示された方向性に従い、政策を具体化するため、これまで有識者会議で検討を進められ、具体的な政策を「神戸モデル」としてとりまとめました。
「神戸モデル」の特徴は、政策を総合的なパッケージとして提示し、医学界など専門家の知見を得ながら、市民の幅広い参加を得て推進していくことです。

認知症は、加齢によって多くの人がなり得る病気で、早期発見、早期治療が大切です。
「神戸モデル」では、自己負担ゼロで、まず地域の医療機関で認知症の疑いがあるかどうかの認知機能検診を受けていただき、認知症の疑 いがある方については、専門の医療機関で精密検査を受診 していただく、2段階方式の診断制度を構築します。

認知症と診断され、事前登録された方については、市が賠償責任保険の保険料を負担し、事故があった場合に最高2億円を支給します。
事故救済制度には、事故の際に24時間365日対応できるコールセンターの設置、所在不明時にGPSを使った駆けつけサービスの提供、認知症の方が起こした事故に遭われた場合の見舞金の支給(最高3,000万円)なども盛り込まれます。

これら一連の認知症対策に係る経費については、個人住民税均等割の超過課税、具体的には、納税義務者あたり、年間400円のご負担をお願いできないかと考えています。
誰もが認知症になる可能性があり、そしてそのための費用は今後増大していくことから、市民が幅広くそのための費用の負担を分かち合うことにご理解をお願いいたします。


2018年10月27日
から 久元喜造

亀山郁夫『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』


ドミートリー・ショスタコーヴィチ(1906-75)。
ロシア革命、革命の後の混乱、スターリンによる「大テロル」、第2次大戦、スターリン失脚後の旧ソ連の時代を生き、旧ソ連が誇る大作曲家として名声に包まれた生涯を送った芸術家です。
日本人からは想像もできない抑圧的な体制の中を、そして陰謀と権謀術数が蠢く時代を、芸術家として生き抜いた大作曲家の実像はどのようなものであったのか・・・

正直、たいへん難解でしたが、スリリングでした。
抑圧的体制下にあって、ショスタコーヴィチは、驚くほど大胆に権力と対峙し、破滅のふちに追いやられると思いきや、するりと身を交わし、ときにはスターリンすら翻弄するのです。
同時に、その苦悩と葛藤も延々とつづられていきます。
こうして、ショスタコーヴィチの極めて複雑な性格が形成されていったありようが浮き彫りにされます
そして、自ら自覚しているのかどうかはわからないほど、その作品も複雑で謎めいた雰囲気を湛えています。
ほかの作曲家の作品からの頻繁な引用も異様です。

本書には、「二枚舌」という言葉が無数に出てきます。
体制維持の手段として音楽芸術を重視したスターリン体制下では、本音を明かした途端、破滅が待っていました。
うわべの体制賛美から見える、作曲者の本音は何なのか。
著者は、個々の作品をひたすら聴き、分析し、作曲者の本音を探ろうとします。

欲を言えば、ショスタコーヴィチの前に立ちはだかり、彼がおそらくは表面的に体現しようとした「社会主義リアリズム」とは何であったのか、権力側からの資料も提示していただきながら、両者間の相克が描かれていれば、最高に興味深かったと感じます。