久元 喜造ブログ

2025年5月16日
から 久元喜造

『藍那のふたり式部』


神戸市立神港橘高校 では、絵本を制作・出版する取組みが続けられています。
神戸の各地域に残る民話・伝説や史跡にスポットを当て、小学生や中学生による現地調査や聞き取りを経て制作するという、意義ある取組みです。
今回の絵本の舞台である藍那は、神戸市北区の山合いの地域です。
神戸電鉄の鈴蘭台駅から3つ目の駅が藍那駅です。
終点の新開地駅から約20分の便利な位置にありますが、周囲は里山で、ゆったりとした時間が流れています。

藍那には、お墓か供養のために建てられたと伝わる二つの石の塔があります。
和泉式部の墓と伝わる塔は、あいな里山公園のはずれにあります。

紫式部の墓と伝わる塔は、神戸電鉄藍那駅の近くにあります。

いずれの石塔も二人の式部が活躍した平安時代からかなり後に建てられたとされ、墓ではないと考えられていますが、本書では、二人が生きた時代の様子が、分かり易く書かれています。
藍那は摂津の国と播磨の国の間にあることから「相野」と名付けられ、長い年月の間に表記が「藍野」に変わり、やがて「藍那」と呼び方が変わっていったそうです。
藍那は、歴史豊かな里です。
徳川道、藍那道、鵯越道、義経道などの古道があり、道しるべもあります。

見事な題字は、書家の古溝茂(幽畦)先生の手になるものです。
古溝先生は、神港橘高校の校長をされていたとき、絵本の制作に貢献されました。
「当初はお年寄りが語り伝えてきたことを生徒たちによる聞き取り調査したものを文字化、フィールドワークすることにより風景を絵本にしていった」と記されています。
これからも生徒のみなさんが神戸市内の各地を歩き、神戸の歴史を自分の目で感じてほしいと願っています。


2025年5月10日
から 久元喜造

世界銀行カンファレンス


黄金週間中の5月5日、世界銀行からお招きをいただき、ワシントン世界銀行本部で行われた「土地カンファレンス2025」で講演しました。
テーマは、「空間を形作る:土地利用と都市管理を通じた、経済と人口動態の変化への対応」です。
世界銀行からの招待状には、「経済成長、都市の高密度化、環境保全のバランスをとりながらまちづくりを進めてこられた神戸市の経験や戦略」から知見をいただきたいと記されていました。
そこで私からは、人口増加期、震災への対応、人口減少期において、神戸市がどのような街づくりを行い、土地利用を図ってきたかについてお話ししました。

山が海に迫り、可住地面積が狭い神戸において、1960年代から山を削って海を埋め立て、双方に確保された土地において、住宅地、産業団地などを整備する ― 「山、海へ行く」開発手法、そして突然の震災の後、大容量送水管の建設など都市の強靭化を図るべく実施したプロジェクトなどについて説明しました。

そして、2011年に始まった人口減少期においては、都心への過度な人口集中を抑制し、商業・業務機能の充実を図る見地からの高層タワーマンション規制、郊外における駅前リノベーションの推進などバランスの取れた街づくりに取り組んでいることを紹介しました。
持続可能な大都市経営の見地から、既存の都市インフラのほか空き家などの住宅ストックを有効に活用することの重要性を強調しました。

世銀のみなさんや参加者との意見交換では、神戸の震災とその後の対応に対する関心の高さがよく分かりました。
神戸の経験がグローバル世界において共有されるよう、今後とも情報発信と相互理解に取り組んでいきます。


2025年5月4日
から 久元喜造

タワマン規制は「看板政策」ではない。


少し前になりますが、4月11日の神戸新聞に神戸の都心におけるタワーマンション規制の現状に関する記事が掲載されていました。
神戸市では、2020年7月に条例改正を施行し、都心ではタワーマンションの建築ができにくくなりましたが、この記事では、規制の対象とはならない敷地1000平方メートル未満の、いわゆる「ミニタワマン」が少なくとも4か所建設されている状況が報告されていました。
都心居住への人気の高さに触れ、規制による人口流出に警鐘を鳴らす内容となっています。
「不動産業界で表立った反対する事業者はいない」一方で、不満を漏らす関係者の声も紹介されていました。

違和感を覚えたのは、タワマン規制が「久元喜造市長の看板政策でもある」というくだりです。
「看板政策」が、その自治体の方向性を体現している大がかりな政策、あるいは差別化のための都市戦略としての政策を意味するなら、それは違います。
タワマン規制は、そのようなものではなく、神戸市の街全体のあるべき姿を追求する政策全体の中に位置づけられる個別施策のひとつに過ぎません。

すでに記したように、神戸市では、「都心の再生」、「既成市街地・ニュータウンの再生」、「森林・里山の再生」を互いに関連づけながら、一体的にすすめることとしています。(2025年3月1日のブログ
都心ではタワマンに代表されるような居住機能を抑制して商業・業務機能を集積させ、にぎわいを生み出す再整備を進めます。
西神中央、名谷、垂水などの駅前リノベーションを進め、郊外にもバランスよく居住人口を配置する施策を展開します。
我が国全体の人口減少が加速する中で、神戸の将来を見据えた政策を進めます。


2025年4月29日
から 久元喜造

日本が主権を回復した日


きょう、4月29日は、昭和の日です。
昨日の4月28日は、サンフランシスコ講和条約が発効し、我が国が主権を回復した日に当たります。
27日の産経新聞コラム「産経抄」は、終戦間もない頃の昭和天皇の御製<ふりつもる み雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ>を引用し、「御製に詠まれた「松」には、主権回復の春を待つという悲願が込められていたのかもしれない」と記しています。
コラムにあるように、多くの困難を乗り越えた先人の苦労に思いを馳せたいと思います。

1945年8月から1952年4月まで、7年近くに及んだ連合国による占領期は、主権回復のために奮闘した人々の努力とともに、決して忘れてはならない時代だと思います。
それは、だいぶ前に読んだ福永文夫『日本占領史』(2016年10月9日のブログ)の冒頭で述べられているように、「現代日本の法的、政治的基盤は、この時期に創られたと言っても過言ではない」からです。
連合国による日本の占領統治は、敗戦国に対して戦勝国が行った占領統治の中では比較的穏やかなものであったという指摘もしばしばなされますが、さまざまな理不尽な行為が行われたことも忘れるわけにはいきません。
とくに神戸では、米軍の広大なキャンプが設置され、数多くの住宅、商業施設などが接収されました。
それがどのようなものであったのかについては、村上しほりさんの「神戸・阪神間における占領と都市空間」(2023年8月11日のブログ)、そして近著『神戸』(2025年4月25日のブログ)でも詳述されているとおりです。
独立した主権国家であることの意味を、昭和の日の今日、改めて噛みしめたいと思います。


2025年4月25日
から 久元喜造

村上しほり『神戸ー戦災と震災』


著者は、神戸大学大学院人間発達環境学研究科修了、博士(学術)を取得し、都市史・建築史が専門です。
現在、神戸市職員(公文書専門職)として、2026年度に開館予定の神戸市歴史公文書館の開設に尽力していただいています。
これまでも神戸の歴史を調査・研究され、『神戸 闇市からの復興』として出版されました(2019年3月3日のブログ)。

今年神戸は、震災から30年、そして空襲から80年を迎えました。
本書では、開港による都市形成に始まり、現在進められている街づくりまでが語られますが、紙幅が割かれているのは、災害、戦争の惨状とそこからの復旧・復興です。
神戸は、1938年の阪神大水害、1945年の神戸大空襲、1995年の阪神・淡路大震災と、想像を絶する困難を乗り越え、発展してきました。

戦時下の市民生活と行政の対応も丁寧に描かれます。
食糧不足の中で、空き地を活用した菜園が奨励され、神戸市は栽培指導の技術員を配置して本格的な空き地利用を進めました。
空襲で神戸の街は灰燼に帰し、戦後は戦災跡地の農園化による自給自足が邁進されました。
「食糧危機による増産の必要性と戦災跡地の用い方には、終戦による著しい変化はなかったと見ることができる」という著者の指摘は、戦前・戦後断絶の視点に立った歴史観とは一線を画しているようで、新鮮に感じました。

神戸には連合国軍が進駐し、大規模な基地 “Kobe Base”(神戸ベース)が置かれます。
数多くの土地、建物が接収されていく過程も描かれます。
戦災復興事業・震災復興事業も分かり易く記されています。
被災と再建の繰り返しによって見えなくなった風景が蘇ってくるように感じました。


2025年4月19日
から 久元喜造

神戸空港の国際化が実現


昨日4月18日、神戸空港第2ターミナルが開業し、神戸空港の国際化が実現しました。
朝、国際チャーター便就航を祝う記念式典が開催され、早朝から出席していただいたみなさまに、私から感謝のご挨拶を申し上げました。

完成した第2ターミナルを構想したときから、ポートランド空港など海外の空港ターミナルを参考にし、神戸らしさが感じられるデザインを目指しました。
海に浮かび、森を感じる」がコンセプトです。
建物はガラス張りで、自然光が差し込み、天井は高く、開放感が感じられます。
木材をふんだんに使い、利用者の動線にも配慮しながら、緑の植栽も随所に配置しました。
搭乗手続きがワンフロアで完結できるように、出国・入国手続きの各施設がシンプルにまとめられています。
2階の展望デッキからは、神戸の海と街、六甲山の山並みが望めます。

神戸空港からは、韓国、中国、台湾の航空会社4社が、韓国のソウル(仁川)、中国大陸の上海(浦東)、南京、そして、台湾の台北(桃園)、台中との間で、週40便を運航します。
神戸をはじめとする関西の各地域は、新たに神戸空港を通して、世界とつながることになりました。
昨年から大阪、淡路島をはじめ新規のバス路線が開設され、アクセスも強化されています。
新神戸駅・三宮からは、マリンエアシャトルが運行されており、三宮には8時台に5分間隔でバスが停車します。

神戸空港の国際化により、神戸は陸・海・空の交通の要衝としての地位をさらに高め、新たな国際都市への可能性を手にすることができました。
この可能性を現実のものとし、開花させることができるよう、経済界をはじめ幅広いみなさんと手を携え、全力で取り組んでいきます。


2025年4月13日
から 久元喜造

宇田川元一『企業変革のジレンマ』


著者は、企業変革の研究・支援を行ってきた経営学者です。
冒頭、「企業変革」とは、「頭脳明晰な経営者が明快な方策を講じ、V字回復を果たす」ことではなく、「経営層、ミドル層、メンバー層によらず、組織に集う一人ひとりが、考え、実行する力を回復する」ことだと説明されます。
「それぞれが、その企業をよりよいものにしていけるという実感を持てるようになること」だと。

ところが、今の日本の企業が陥っている姿は「構造的無能化」です。
「組織の断片化が進む中で思考の幅と質が制約され、それぞれの部門や部署で目先の問題解決を繰り返し、徐々に疲弊して」いるのです。
「構造的無能化」は、次のように生じるとされます。
「分業化とルーティン化」によって「ワイガヤ」などと呼ばれた雰囲気は失われ、組織内の各部門では、全体像が見えない中で割り振られた仕事をこなすだけの「断片化」が進みます。
環境の変化に対する認知の幅が矮小化し、新たな事業の構築や実行が難しくなる「不全化」が進みます。
問題を全体的に捉えることができず、それぞれの部門では、狭い枠組みの中で問題解決を図ろうとする「表層化」が生じます。

どのようにして、現状を変革していくのか。
著者が指摘するのは、「対話」の重要性です。
対話のありようとして、人類学者のフィールドワークが挙げられていることには共感を覚えました。(2022年6月19日のブログ
対話とは、実際に人と人が話をすることだけではなく、「相手の生きる世界を相手の視点で捉え直し、それに対して自分が応答し、自分が変わっていくプロセスだ」と説かれます。
確かに、「変革」とは、このような地道な取り組みであると感じます。

 


2025年4月5日
から 久元喜造

GLION ARENA KOBE+TOTTEIのオープン


2025年4月4日、「ジーライオンアリーナ神戸」がオープンしました。
最大1万人が収容できる西日本屈指のアリーナです。
270度を海に囲まれたアリーナは、世界でも珍しい存在です。
圧倒的な存在感を放っており、新たな神戸のランドマークとなります。
Bリーグ所属のプロバスケットボールチーム「神戸ストークス」の本拠地となり、プロスポーツの試合観戦やアーティストのライブなどさまざまな楽しみ方ができます。
アリーナの内部には、国内最大級の大型LEDスクリーンが常設され、天井高24mを仰ぐ5層の観客席が配置されています。

アリーナを中心とした新港第二突堤全体エリアは、「TOTTEI」と名付けられました。

TOTTEI。
神戸っ子にとっては、特別に響きます。
神戸港の発展を支えてきた「突堤」の名前を受け継ぎ、国際貿易港の歴史を、新しい形で継承していきたいという思いが込められています。
アリーナの周りには、神戸市との協働で、新たな憩いの場「TOTTEI PARK」が誕生します。
摩耶・六甲山の山並みと神戸の街が見渡せる素晴らしい場所です。
焼きたてのバウムクーヘンが味わえる「ユーハイム」をはじめ、地元漁港直送の海鮮レストランや、神戸南京町の人気店など神戸らしい飲食店が出店します。
建築物内には、BBQレストラン、オリジナルクラフトビールの醸造所が順次オープンする予定です。

4月5日には、藤原紀香さんが出席され、華やかにオープニング式典が開かれました。

TOTTEI 東側の海域には、大規模なマリーナが整備される予定で、神戸のウォーターフロントは、 TOTTEI のオープンを契機として、これから大きく変貌していきます。

 


2025年3月29日
から 久元喜造

竹内謙礼『翔んだ!さいたま市の大逆転』


さいたま市清水勇人市長が神戸にお越しになったときに頂戴し、拝読しました。
清水市長は私より市長として先輩で、たいへんお世話になっています。
本書では、「住みたい街」としても評価の高いさいたま市の施策が、さまざまな角度から取り上げられています。
2022年度のさいたま市の0~14歳の転入超過数は、全国の自治体の中でトップでした。
子育て世帯がどのような理由で住む場所を選ぶのかについては、よく庁内でも議論になるのですが、地価や家賃、交通の利便性などが大きな要因であることは確かです。
同時に、子育て支援策も大事な要因と考えられ、基礎自治体が給付や負担軽減ばかりではなく、子育て世帯に歓迎されるような政策を競い合うことは意味があると常々感じています。

本書で目を引いたのは、「働きながら幼稚園!?」の見出しで紹介されている「子育て支援型幼稚園」でした。
8時間以上の開園で、夏休みなどの長期休業中も幼稚園に子供を預けることができる施策です。
さいたま市民で一定の要件を満たせば、このサービスを無料で利用することができます。
また、「子育て支援センター」で行われている「パパサンデー」は、少しでも男性に子育てに参加してもらうことを目的として実施されています。
このほかにも、さいたま市では父親参加型プログラムが多数用意されているようで、とても参考になります。

さいたま市は、旧浦和市・大宮市・与野市が合併してできた市で、2003年に指定都市となりました。
合併に伴うご苦労も多かったと思いますが、今、清水市長のリーダーシップにより、充実した政策が展開され、大都市として成長されていることに敬意を表したいと思います。


2025年3月21日
から 久元喜造

京都には修学旅行に行けない!?


3月16日の産経新聞に、「修学旅行 京都離れ」の見出しで、修学旅行の異変についての記事が掲載されていました。
インバウンド(訪日外国人)の急増や旅行費の高騰などを受けて、行先を変更する学校が出始めているというのです。
高知市の中学校では、前年、班活動で京都市内の清水寺や仁和寺といった歴史的名所を回ったところ、乗車予定のバスに人があふれ、バスの到着が遅れたり、乗り損ねたりする生徒が相次いだそうです。
校長先生は、「混雑が激しく訪問先を断念することもあり、教育的効果が見込めない」と判断し、名古屋市周辺に変更したと話していました。

京都は、以前から修学旅行先として人気です。
日本修学旅行協会(東京)の教育旅行年報「データブック2024」によると、令和5年度に全国の中学校の修学旅行訪問先で最も多かったのが京都(24.2%)で、奈良(18.7%)、東京(8.7%)、大阪(8.7%)と続きます。
従来の見学型から体験型の学びへと見直す動きもあるようですから、神戸観光局において、人と未来防災センターなどで震災の記録に触れ、防災学習ができるような神戸への修学旅行の誘致にさらに力を入れていただきたいと思います。
その上で、日本の子供たちがインバウンドの激増により修学旅行で京都に行きにくくなっている現状には疑問を覚えます。
京都の豊かな歴史遺産を間近に見て、我が国の悠久の歴史に触れることは、とても意義があります。
インバウンドは確かに経済効果を地元にもたらしますが、日本人の旅行のありようにも影響を及ぼします。
子どもたちを含め、日本人が日本の歴史に触れる機会が減っている現状には、複雑な想いを抱きます。