久元 喜造ブログ

2025年2月22日
から 久元喜造

エンデ『鏡の中の鏡』


岩波現代文庫(丘沢静也訳)で読みました。
30の短編が収められています。
出版元の岩波書店のウェブサイトには、「ひとつずつ順番に,前の話を鏡のように映し出し,最後の話が最初の話へとつながっていく」とありましたが、短編同士のつながりは、理解できませんでした。
それぞれの物語も、幸福感のあるファンタジーではなく、不気味な、まるで悪夢のような世界が次々に現れます。
ほとんど、意味が分かりませんでした。
そこで、たまたまどこかの書店で目にした絵本のことを想い出し、ネットで購入しました。
絵本画家・junaida(ジュナイダ)による『EDNE』(白泉社)です。


どの絵も合わせ鏡で描かれていて、不思議な迷宮の世界に連れて行ってくれます。

最後のお話、第30話では、冬の夕暮れ、雪におおわれた境界(はてし)ない平原の真ん中に、廃墟の残骸がそびえ立ち、扉がひとつ付いています。

この扉の中に入り、帰ってきた者はいません。
若い闘牛士が王女に促され、扉を通り抜けます。
王女はこう呟くのでした。
「私は、この扉のむこうにいる弟のことを考えていた。かわいそうな弟ホルのことを」
彼女は、向きをかえて立ち去りながら、もう一度つぶやきます。
「かわいそうな、かわいそうなホル」

第1話の主人公は、ホル。
ホルは、からっぽの巨大な建物に住んでいて、そこでは、声に出された言葉は、ほとんど終わるこのない、こだまとなるのです。
絵本には、こう記されています。

Why go through this door.
When, and from which side.
And, who is that actually walks inside.


2025年2月14日
から 久元喜造

楡の町ーーー百田宗治


書棚を整理しているとき、たまたまこの詩集を見つけました。
ずいぶん久しぶりに、開きました。
高校2年のとき、おそらく元町の海文堂で購入したと思われます。
詩集の中に、「楡の町」がありました。
小学生の5年生か6年生のとき、教科書に載っていた詩です。
私は、この詩がとても好きでした。

見渡すかぎりのささ原や、沼や、湿地や、林の中に
高いにれの木が一本あった。
春になると、芽をふいた。
・・・・・・
広い原っぱの西の方には
まるい山や、三角形の山がいくつもかさなり、
その向こうから、原っぱの真ん中をつっきって、
川がひとすじ東北の方角へ流れていた。
夜になると、きつねが鳴いた。
山のかげがくろぐろとせまった。
寒い、お月さまもこおりそうな冬の晩に、
その山の上でおおかみもほえたかもしれぬ。
・・・・・・
――そして、ある冬の寒い日、
にれの木ははじめて自分の方に近づいてくる
見なれぬ人間たちの姿を見た。
いちめんの根雪の上に、
まだ白い粉雪が降り積っていた。
人びとは武者ばかまの上に
陣ばおりのような外とうをかさね、
腰にはみんなまだ刀をさしていた。
・・・・・・
にれの木はなにもかも知っていた。
にれの木はなにもかも見ていた。
――しかし気のついたとき、
うさぎ、りすはもう自分のそばにはいなかった。
きつねの鳴き声も聞えなくなった。
にれの木は自分だけを道ばたにのこして
りっぱなコンクリートの道路が
まっすぐ走っているのを見た。
・・・・・・
北海道の札幌の町がこうしてできた

月が輝く山の上で吠えるオオカミの姿を、小学生の私は想像しました。
大人になって、札幌で仕事をしていたとき、知らず知らず、「楡の町」の一節を口遊んでいたのを思い起こします。


2025年2月8日
から 久元喜造

西桂『兵庫の庭園ものがたり』

神戸新聞の書評で本書を知り、興味深く読みました
著者は日本庭園史家の西桂先生で、神戸市文化財保護審議会の副会長なども歴任されています。

冒頭、写真で紹介されるのは、西区伊川谷・太山寺の安養寺庭園です。
神戸市内をはじめ、兵庫県内各地の庭園が取り上げられています。
さまざまな庭園が、築かれた時代や背景、現代までの変遷とともに紹介されています。
幕末から近代にかけては煎茶道が隆盛した時代で、庭園は「自然の中で茶を煮る」煎茶の空間に近かったとされます。
明治維新になると大名庭園は衰退し、政財界の指導者たちが庭園を営みます。
そこでは、「文人煎茶の庭」の要素と「抹茶の空間」が融合していきました。
このような「煎茶的意匠」を持った庭園の代表が、垂水区の旧木下家住宅です。
北側の中庭は茶庭風の和風庭園で、四畳半茶室「青松庵」に付随しています。
改めて、旧木下家住宅を訪れてみたいと思いました。

一方、本書では「崩壊の危機に瀕する名園」という見出しで、人が住まなくなり、荒れ果てている庭園が見られるようになっていることも報告されています。
そのような事例として、但馬地方に現存する飛蚊泉庭園と古茂池庵庭園があり、著者もその再生に尽力されているようですが、継続的な取り組みには困難を伴うようです。
とても残念なことです。
県内における地域の衰退が、文化遺産の保全にも影響を与えていると危惧されます。
神戸市内では、北区の淡河宿本陣跡が長い間荒れ果てていましたが、神戸市の支援もあり、地元のみなさんの手によって再生されました。
庭園も見事に蘇りました。(2017年6月17日のブログ
こうした努力を今後とも続けていきたいと思います。

 


2025年2月2日
から 久元喜造

野澤千絵『2030-2040年 日本の土地と住宅』


都市部では不動産価格が高騰し、住宅は入手困難になっています。
東京23区の2023年新築マンションの平均価格は、1億1,483万円になりました。
これでは、パワーカップルでも手が出ません。
マンションの高騰は、東京のみならず、大都市のほか中小都市でも見られます。
都心では新築マンションの価格高騰を背景に、中古マンションや新築・中古戸建住宅の価格も上昇しています。
著者は、その要因の一つに、市街地再開発事業の多用を挙げます。
市街地再開発事業では、保留床を多く生み出すために建物を「高く大きく」しがちで、地権者への補償や従前の老朽ビルの解体も加わり、全体事業費を押し上げます。
さらに、円安を背景に外資・外国人による不動産購入が旺盛になり、不動産投資・転売目的の購入が活発になっていることも要因として挙げられます。
価格の上昇が続く一方で、東京圏では供給数が減少しています。
もはや都市圏は都市化しきってしまい、マンション建設の適地が少なくなっているのです。

中古マンションの供給数は減っておらず、郊外でも旧耐震基準のマンションが”ビンテージマンション”などと称され、それなりの価格で売れています。
このように、住宅市場の中で、高額すぎて「手が出ない住宅」と、立地や古さなどから「手を出したくない住宅」が増えている一方、「手が出せる」「手を出したい」住宅の数が増えていないため、住宅の入手が困難になっているのです。
著者は、一般的な世帯に入手可能な「アフォーダブル住宅」の供給が不可欠と指摘します。
人口減少が続く中、将来の解体に困難が伴う集合住宅一辺倒ではなく、手頃な戸建て住宅の供給にも目を向ける必要がありそうです。

 


2025年1月24日
から 久元喜造

兵庫県育才会「尚志館」


1972年(昭和47年)、高校を卒業して上京すると、ほとんど地震がなかった神戸に比べ、かなりの頻度で地震があるのには驚きました。
大学に入学して入ったのが、兵庫県育才会が運営する兵庫県学生寮「尚志館」でした。
兵庫県育才会は、旧篠山藩主直系の青山家が社団法人篠山育才会を創業し、郷土出身の有為な人材を育成しようとしたのが始まりです。
しばらくは兵庫県立篠山鳳鳴高校の卒業生が対象でしたが、その後、県内の他の高校卒業生にも門戸が広がりました。

尚志館は、小田急線・参宮橋駅から歩いて5分くらいの閑静な住宅街にありました。
学園紛争は下火になっていましたが、多くの大学でストが続き、授業もなかなか始まりませんでした。
新宿駅周辺ではときどきデモや騒乱が起きていました。
ニクソン大統領が訪中し、世界中を驚かせたと思うと、ほどなくウォーターゲート疑惑が発覚し、泥沼の様相を見せていきました。
田中角栄内閣が発足し、日本列島改造ブームが国中を席巻しました。

激動の時代の中で、尚志館の寮生たちは青春の日々を過ごしました。
寮には、県立篠山鳳鳴高校のほか八鹿高校、柏原高校、社高校、姫路西高校、加古川東高校など県内各地の高校の卒業生がいました。
お互いの部屋を行き来して政治談議を戦わせる一方、それぞれの郷里の話を聞くのは楽しいひとときでした。
篠山鳳鳴高校の卒業生は、デカンショ節を教えてくれました。
「デカンショ、デカンショで半年暮らす あとの半年寝て暮らす」
ときには、何人かで替え歌をつくって歌い継ぎました。

篠山でお盆の時期に行われるデカンショ祭りにも呼んでくれました。
会場には、浴衣姿の坂井時忠知事の姿もありました。


2025年1月18日
から 久元喜造

佐藤卓己『あいまいさに耐える』


著者の主張は、「はじめに」で端的に述べられます。
「輿論主義」を復活させるべきだと。
世論(空気)を批判する足場としての輿論(意見)を取り戻すこと、その前提として輿論と世論をもう一度使い分けることを提唱します。
そしてこの「輿論主義」のためには、リタラシー(読み書き能力)よりもネガティブ・リテラシー(消極的な読み書き能力)が必要だとされます。
ネガティブ・リテラシーとは、「あいまいな情報を受け取ったき、あいまいなまま留め置き、その不確実性に耐える力」です。
「SNSなどにあふれる情報を必要以上に読み込まず(やり過ごし)、不用意に書き込まない(反応しない)だけの忍耐力」と説明されます。
そのように考えるに至った筋道として、世論駆動の「ファスト政治」、東日本大震災後の「メディア流言」、安保法制をめぐる「デモする社会」、「情動社会」における「快適メディア」などに関する考察が想起されます。

このような思考過程を経て、AI時代に求められる態度が、「ネガティブ・リテラシー」だとされます。
白黒、善悪、優劣などの判断を急がず、あいまいな状況に向き合う態度です。
いま、真偽不確かな情報がネット空間に溢れていますが、情報の真偽はすぐには誰にも分かりません。
それを明らかにするのは、時間の経過です。
時間の経過によって真実が明らかになるのを待つ我慢強さということなのかも知れません。
人間性はあいまいさの中にあり、人間は誤りから学ぶことができる存在です。
「ON/OFF、白/黒のデジタル思考への抵抗力を高めること、あいまい情報の中で事態に耐える人間力こそが、AI時代に求められるリテラシー」だと結論づけられます。


2025年1月10日
から 久元喜造

谷原つかさ『「ネット世論」の社会学』


帯には、「「民意」を作るのは、0.2%のユーザだった」「ネット上で多数派に見える意見は、必ずしも実際の支持率や選挙結果とは相関しない」とあります。
2012年衆院選、2022年参院選、2023年大阪府知事選について、ネット世論に関するデータを集めて分析し、このような結果が導かれます。
たとえば大阪府知事選挙における吉村洋文候補に関する投稿では、ネガティブが62,1%、ニュートラルまたは態度不明が26,1%、ポジティブが11.8%でしたが、選挙結果では吉村候補の圧勝でした。
このような相違が生じる背景について、「フィルターバブル」「エコーチェンバー」「沈黙のらせん理論」などの概念を用いて、「ネット世論」の実態が分析されます。

興味深かったのは、ジャニーズ問題に関するネット世論と報道に関する分析から導かれる「少数派が力をつけるストーリー」です。
「ソーシャルメディア時代においては、エコチェンバーにより孤立の恐怖を感じにくい」ため、「自分の周囲において自分に似た意見が可視化され、容易に意見表明ができるようにな」ります。
「自身が少数派であることすら認識できていないかもしれ」ないと。
著者は最後の章「フェイクニュース時代の歩き方」で、ネット世論とどう向き合うかについて指摘していますが、それらはいずれも常識的な内容だと感じました。

しかし、状況は大きく変わります。
2024年の衆院選、兵庫県知事選の後、著者は昨年の11月「一連の選挙において、潮目は変わったように思います。正直な話、拙著を今読むと隔世の感があります」と吐露されています。(朝日新聞デジタル)。
今後の議論の行方に注目したいと思います。


2025年1月2日
から 久元喜造

2025 新春座談会 特別編


元日に放映された、サンテレビ新春恒例の座談会に出席しました。
今年は、例年のような座談会形式ではなく、齋藤元彦 兵庫県知事、川崎博也 神戸商工会議所会頭、高梨柳太郎 神戸新聞社長、そして私への個別インタビューとして行われました。

震災から30年を迎えました。
あの大地震は、ほとんどの神戸市民にとっても、また行政にとっても、予期せぬ大災害でした。
この30年間の神戸市政は、あのようなことは絶対にあってはならないという決意で、災害に強い街づくりに取り組んできたと思います。
20年の歳月をかけて大容量送水管を建設し、遠隔操作で水門などを開閉できる防潮堤を整備し、ポンプ場を整備して下水管により市街地を浸水から守る施設を整備するなどの努力を重ねてきました。
震災時に内外から受けた支援に感謝の気持ちを抱きながら、東日本大震災などの被災地に数多くの職員を派遣して支援活動を行い、震災時の経験を活かすとともに、被災地支援で得られた知識や経験を継承し、組織全体で共有する取り組みも進めてきました。
能登半島地震被災地支援で得られた技術や気づきを、発災時の初動対応、避難所運営のあり方などに活かすべく、災害対策の総点検を行っていきます。

都市の発展は、強靭な都市基盤の上にはじめて成り立つと信じます。
今後とも、神戸市のこれまでの歩みと先人の想いを受け継ぎながら、ハード・ソフト両面にわたる災害対応力の強化を図ります。
神戸空港は、今年4月に国際空港となり、神戸はかつての神戸とは異なる、新しい時代の国際都市への可能性を手にしています。
神戸の持つ力を最大限に開花させることができるよう、今年も全力を尽くします。

 


2024年12月21日
から 久元喜造

『評伝 勝田銀次郎』


震災30年が間近になり、神戸が経験した大災害のことを話すとき、ときどき触れるのが、1938年(昭和13年)の阪神大水害です。
7月3日から5日にかけて、台風に刺激された梅雨前線は、神戸市をはじめ阪神地域に集中豪雨をもたらしました。
六甲山系から流れる多くの河川が氾濫し、土石流が市街地を襲いました。
数百名の死者・行方不明者、家屋・建築物の消失など、被害は甚大でした。
未曽有の大災害への陣頭指揮を執ったのが、第8代神戸市長・勝田銀次郎でした。
勝田市長の事績は、さまざまな文献から自分なりに理解していましたが、市長になったばかりの頃に子孫に当たられる方からいただいた本書を改めて読み直しました。

『評伝 勝田銀次郎』は、1980年(昭和55年)、青山学院資料センターから発行されました。
青山学院長・理事長、大木金次郎氏の序文によれば、勝田は、青山学院の初期における校友として「勝田館」を寄贈するなど多大な貢献をされました。
著者は、青山学院大学事務局長の松田重夫氏。
大学図書館館員としての長い経験をお持ちで、勝田銀次郎に関する文献にも接する機会が多く、「ジャーナリスト的気質」を発揮され、神戸の勝田家のご遺族を訪ねるなど丹念な取材を重ねられ、本書を執筆されたとのことでした。

勝田銀次郎は、1933年(昭和8年)12月、神戸市長に就任。
1938年(昭和13年)7月に阪神大水害が発生した際には、不眠不休で陣頭指揮をとり、災害復旧に全力で取組みます。
復興予算の計上について平沼内閣と折衝し、国会での議決を勝ち取ります。
本書は、勝田の霊が「神戸の街を見渡せる追谷墓地で安らかに眠っている」と結ばれます。


2024年12月13日
から 久元喜造

『野生動物は「やさしさ」だけで守れるか』


神戸市は、里山における生物多様性の保全に取り組んできました。
国とも連携をとり、神戸市北区の里地里山が、生物多様性の保全が図られている区域として、環境省より「自然共生サイト」に認定されました。
同時に、生物多様性の保全に資する地域であるOECMとして、国連が管理する国際データベースに、日本で初めて登録されました。

生物多様性を守るためには、人間と野生生物との関係を探っていく必要があります。
本書は、そのような関係性を考える上で格好の材料を提供してくれます。
「人と生きものの関係に正解はない」という立場から、各地の取組み、そして葛藤が紹介されます。
小坪遊さんをはじめ朝日新聞社「取材チーム」の取材力が光ります。

数多くの事例の中で考えさせられたのは、大阪府茨木市を流れる大正川での取組みでした。
この川には、フナやナマズ、エビなどいろいろな生き物が棲んでおり、レッドリストで準絶滅危惧種とされているニホンイシガメもいます。
大正川で活動するみなさんは、ニホンイシガメをもとにいた場所に放し、条件付特定外来生物のアカミミガメは駆除し、クサガメを少し離れた下流で放しています。
それは、なぜか。
かつて在来種と考えられていたクサガメは、現在では外来種と考えられています。
クサガメはニホンイシガメとの交雑の危険があり、駆除も考えられます。
しかし、古くから暮らして来たクサガメの駆除には理解が得られにくいと感じられる一方、同じ場所に放流することは交雑を促す恐れがあり、大正川におけるニホンイシガメの絶滅につながると考えられるからです。

ほかの事例からも、人間と野生生物との共存に関し、多くの示唆ををいただきました。