久元 喜造ブログ

2025年7月19日
から 久元喜造

『これでいいのか 神戸市』から12年


これでいいのか 神戸市」は、2013年7月に刊行されました。
神戸への強い思いを持っておられた3人のライターによる労作です。
当時の神戸と神戸市政についての厳しい言葉が並びます。

「いま神戸市のあちこちから聞こえてくるのは景気の悪い話ばかり
ガラガラの観覧車が寂しく回るハーバーランド、
ゴーストタウンのような一画もあるポートアイランド・・・
飲食店は閑古鳥が鳴く三宮の歓楽街――」
「かつては国際貿易の拠点として港が存在感を発揮し、
のちには鉄鋼や造船といった重工業が街の活気を生み出してきたが、
いまや起爆剤となる存在すら見当たらない」

当時私はすでに副市長の職を辞し、10月の市長選挙の準備に入っていました。
神戸の現状を知る上で、本書をよく読みました。
「不都合な真実を含め、今、神戸が抱えている課題、現実から目を背けることなく、どうすれば、神戸がもっと元気になれるかについて、考えていきましょう」と記しました。(2013年8月10日のブログ

この12年間、頻繁ではありませんが、ときどき本書を開き、そこに示された危機感、嘆き、神戸への愛情と向き合ってきました。
世の中が移ろっていく中にあって、変化への対応も考えながら、本書が問題提起してくれた風景を少しでも変えられるように取り組んできました。
「神戸市のお財布はスカスカ」と揶揄されましたが、財政の健全性を保ちながら、投資的経費も増やしてきました。
王子公園の再整備も進めました。
「単なる大阪のベッドタウン」になってしまう、との指摘には抗い、三宮などの都心には商業・業務機能の集積を進めてきました。
これからも本書から得られる示唆と向き合い、格闘し続けます。


2025年7月11日
から 久元喜造

『陰翳礼讃』の「柿の葉寿司」


朝日新聞(6月28日掲載)の中島京子さん「お茶うけに」は、柿の葉寿司のレシピについてでした。
「庭の柿の木に葉が青々と茂り、それが成人男性の手のひらくらいまで大きくなると」柿の葉寿司の「季節到来」です。
中島家の柿の葉寿司は、明治生まれのおばあさまが谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を読んでつくり始められたそうです。
ここから、谷崎レシピと中島レシピの違いが詳しく紹介されます。
谷崎レシピでは、米を炊くときに結構な量の酒を入れるのですが、中島レシピでは、酒を入れず、昆布を入れてごはんを炊き、鮨酢を合わせて酢飯にします。
文豪レシピの肝は新巻鮭を使うことですが、中島レシピでは、刺身用の鮭を冊で買ってきて塩を振って一晩寝かせ、塩締め鮭を自作します。

陰翳礼讃』(2024年6月21日のブログ)の柿の葉寿司のことは記憶に残っていなかったので、改めて開くと、終わりの方に書かれていました。
文化の歩みが急激で、「食べる物でも、大都会では老人の口に合うようなものを捜し出すのに骨が折れる」との嘆きが吐露されます。
「先だっても新聞記者が来て何か変った旨い料理の話をしろと云うから、吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨と云うものの製法を語った」と続きます。
「物資の乏しい山家の人の発明に感心し」つつ、「現代では都会の人より田舎の人の味覚の方がよっぽど確か」だと賞賛し、文豪レシピが語られます。

柿の葉寿司は、今では駅弁の人気メニューです。
谷崎が新幹線の駅で柿の葉寿司を売っていると知ったら、どんなにか驚いただろうと思います。
私も柿の葉寿司は大好きで、新神戸駅から新幹線に乗るときによく購入し、車中で味わうのを楽しみにしています。


2025年7月3日
から 久元喜造

「指定都市を応援する国会議員の会」決議


6月19日、「指定都市を応援する国会議員の会」が開催されました。
前回は5月16日で、わずか約1月の間の、しかも国会終盤の開催にも関わらず、多数の国会議員、代理のみなさまに出席していただきました。
会では、私からご挨拶申し上げ、「多様な大都市制度プロジェクトリーダー」の福田川崎市長から現在の状況について説明がありました。

これを受け、逢沢一郎代表から、今後の取り組みについて決議の提案がありました。
この決議には、次期地方制度調査会に対し、特別市制度の法整備を含めた大都市制度のあり方の調査審議を諮問して議論を進めることを、国会及び政府等に対して強力に要請することが盛り込まれています。
満場一致で、決議は採択されました。
「指定都市を応援する国会議員の会」によるこのような決議は、初めてのことです。
衆議院131名、参議院91名から構成される超党派の議員連盟において、政府に対して特別市制度の創設を含む多様な大都市制度の構築に向けた要請を行うと意思決定されたことは、とても大きな意味を持つと考えます。

折しも総務省の「大都市における行政課題への対応に関するワーキンググループ」の報告書がとりまとめられたところで、大都市には、周辺市町村とも連携しながら、経済を持続可能なものとし、人々が全国で安心して快適な暮らしを営んでいけるようにするための中心的な役割を果たしていくことが求められていると指摘されています。
地方制度調査会は、内閣総理大臣の諮問に応じ、地方自治に関する制度を議論する調査会であり、今回の決議を契機として、特別市制度の法制化を含む大都市制度に関する検討に弾みがつくことを期待しています。


2025年6月28日
から 久元喜造

『内務省』内務省研究会編


内務省は、1873年(明治6年)11月に設置され、1885年(明治18年)の内閣制度発足を経て、1947年(昭和22年)12月に廃止されるまで存続しました。
講談社現代新書の本書は、新書でありながら、550頁を超える大著です。
本書の特徴は、清水唯一朗教授をはじめ25名にも及ぶ研究者による分担執筆であること、もう一つは、通史編とテーマ編に分けられ、日本の近代史が内務省の関与を通じ、立体的に理解できるように工夫されていることです。
11のコラムも、興味深い内容でした。
内務省の歴史としては、本書でもたびたび引用されている「大霞会」刊行の『内務省史』があります。
大霞会は、旧内務省OBによって設立され、旧自治省など後継省庁の関係者で構成される親睦組織で、私も加入しています。
内務省史(1970-71年刊行)は、全4巻、全部で3700頁に及びます。
本書は、内務省史以来の本格的な学術書です。

本書の通史編では、明治維新後における混乱の中、大蔵省との確執の中で内務省が設置され、我が国の近代化の中で内務省が担った役割、政党政治の盛衰の中での立ち位置、その後の戦時体制、戦後の混乱の中の終焉までが、それぞれの研究者によって描かれます。
政党政治の中で内務省が政党とどう向き合ったのかは断片的に知っていましたが、戦時体制の中での軍部との確執・連携については初めて知ることができました。

テーマ編では、地方行政、神社宗教行政、警察行政など内務省が所管した幅広い分野が扱われています。
神戸市が深くかかわる衛生行政、土木行政、防災行政、港湾行政については、技術官僚の役割、位置づけを含め、とりわけ興味深く読みました。


2025年6月22日
から 久元喜造

松本清張『点と線』


東京出張の用務が少し早く終わり、新幹線に乗るまで時間があったので、八重洲地下街を歩きました。
八重洲ブックセンターに立ち寄ると、松本清張の「点と線」の特設コーナーがあり、びっしり平積みになっていました。
掲示を見ると、このお店の限定カバー版だそうです。
遥か昔に読んだことがありますが、ストーリーは完全に忘れてしまっていたので、さっそく買い求め、車内で読むことにしていた別の本は後回しにして、読み始めました。

帯に「東京駅、空白の4分間。」とあるように、東京駅が重要な舞台となります。
13番線の横須賀線に乗る予定の安田、そして馴染の料亭の女中ふたりは、15番線から発車する博多行き特急《あさかぜ》に乗り込む同じ料亭の女中、お時と連れの男を目撃します。
九州の香椎海岸で男女の死体が発見され、汚職事件の渦中にあった✖✖省の課長補佐、そしてお時だと分かります。
情死の線に疑問を持った警視庁と福岡県警の刑事二人は、手紙などで連絡をとりながら捜査を開始します。
そして、頻繁に電車が発着する東京駅で13番線から15番線を見渡せる時間帯は、17時57分から18時01分の4分間しかないことが明らかになって・・・・

「点と線」は、1957年(昭和32年)2月から翌年1月まで、日本交通公社の雑誌《旅》に連載され、同年2月に光文社から刊行されました。
当時の国鉄、そして飛行機のダイヤを読み解き、汽車の時刻を利用したアリバイを崩していく推理小説です。
官庁と出入り業者との関係、赤坂の料亭の雰囲気も興味深いものがありました。
当時の特急や急行の車内、青函連絡船、そして駅のホームや改札口の雰囲気が蘇ってくるようでした。


2025年6月13日
から 久元喜造

「銭湯」の話


宇野常寛『庭の話』2025年6月7日のブログ)で少し触れた場所-銭湯について書きたいと思います。
宇野は、「庭」の比喩で表現されている場所は、共同体のためのものではなく、私的な場所が公的に開かれたものでなければならないと指摘します。
この条件を満たすのが、銭湯です。
高円寺にある「小杉湯」の経営者、三代目の平松佑介との対話を通じて、銭湯について語られます。
銭湯は、古き良き共同体を体現する場所と見られることが多いのですが、平松はその実態は共同体的なイメージとは少し離れたものだと言います。
顔なじみのご近所同士が親しく会話を交わす、というよりは、「いつも見る顔を確認して何となく安心する」程度で、「目礼や、かんたんな挨拶すらしないケースがほとんど」だと。
宇野は、小杉湯に来る人たちは、自分の物語を「語ることなく、同じ場所を共有している」、つまり「承認を交換する相互評価のゲームをプレイすることなく共生している」と指摘します。

宇野はいま必要なのは、銭湯のような、生活の一部となり、そしてそこにいる誰からも程よく「気にされない」場所なのではないかと言います。
「ただ裸で身体を洗って、コーヒー牛乳を飲んでいるだけなのだけれど、そこに集う人びとが相互に前提として尊重し合っている、いや「排除しない」、そんな場所こそが、今の社会には必要なのではないかと。

銭湯は、神戸でも少しずつ姿を消しています。
神戸市は銭湯に社会的価値を見出し、その維持のためにさまざまな施策を展開しています。
「庭の話」の中に出てくる銭湯についての分析は、その価値について新しい視点を提供してくれたように感じました。(敬称略)


2025年6月7日
から 久元喜造

宇野常寛『庭の話』


誰かに向かって何かを発言したとき、他の誰かに承認されることにより、何ものにも代えられない快楽と安心が得られます。
「情報技術はこの承認の快楽を獲得するために必要なコストを飛躍的に下げた」と著者は指摘します。
プラットフォーマーたちは相互評価(承認の獲得)のゲームを設計し、このゲームは無限に反復され、彼らは膨大な収益を上げることに成功しました。
ある行動が他者の承認の獲得を目的とするとき、すでに広くシェアされている問題へのインセンティブの方が、新しく問題を設定するよりも高くなります。
こうしてゲームでシェアされる話題は画一化していきます。
著者は、「閉じたネットワーク=プラットフォームにおける相互評価のゲームは、人間から世界を見る目と触れる手を、社会から多様性を奪い取ろうとしている」と危機感を示します。

この状況からどう脱出できるのか。
著者は、人間「ではない」事物とのコミュニケーションを回復させる場に回路を見出します。
それが「庭」です。
庭には草木が茂り、花が咲き、その間を虫たちが飛び交います。
庭にはさまざまな事物が存在し、その事物同士のコミュニケーションが生態系を形成しています。
人間が介在しなくても、そこには濃密なコミュニケーションと生成変化が絶えず発生しています。
人間は庭を訪れることで相互評価のゲームから離脱できる、と著者は指摘します。
著者は、プラットフォームに代わる新たな社会イメージを生成すべく、現代における「庭」を成立する条件を探り続けます。
哲学を含めたさまざまな論点が交錯し、読者を知的興奮に誘います。
小網代の森、ムジナの森、小杉湯などの豊富な事例も、説得力を高めています。

 


2025年5月30日
から 久元喜造

國分功一郎『目的への抵抗』


いま読んでいる宇野常寛『庭の話』によれば、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』は、今世紀に国内でもっとも広く読まれた哲学書のひとつだそうです。
2011年に出版された同書の続編として、「目的への抵抗」は刊行されました。
東大で行われた「高校生と大学生のための金曜特別講座」などが出発点で、コロナ危機が社会を揺さぶった時期でした

最初に取り上げられるのは、イタリアの哲学者アガンベンの問題提起です。
コロナの感染期に執られた緊急措置を「平常心を失った、非合理的で、まったく根拠のないもの」と批判したのです。
緊急事態は行政権力が立法権力を凌駕する事態で、ルールなしに物事が決められてしまう「例外状態」が人々によって受け入れていることへの危機感でした。

アガンベンから出発して、コロナ危機のときに頻出した「不要不急」、そして「目的」の概念の検討に入ります。
ここから贅沢と浪費、そして消費へと考察は進んでいきます。
浪費は必要を超えるものを受け取って満足をもたらし、満足すれば浪費は止まります。
一方、消費の対象は、ものではなく、観念や記号なので消費には際限はありません。
消費のメカニズムを応用すれば、経済は人間を終わりなき消費サイクルへ向かわせることができます。
そこから見えてくるのが、贅沢と目的の関係です。
贅沢には目的から逸脱があり、目的からはみ出る経験、そして必要と目的に還元できない生こそが人間らしさの核心にあるとされます。
人間の活動には目的に奉仕する以上の要素があり、活動が目的によって駆動されるとしても、その目的を超え出ることを経験できるところに人間の自由がある、という著者の主張には共感を覚えました。


2025年5月24日
から 久元喜造

指定都市を応援する国会議員の会


去る5月16日、東京の衆議院議員会館で、「指定都市を応援する国会議員の会」(代表:逢沢一郎衆議院議員)の全体会が14年ぶりに開催されました。
当日は、国会議員各位ご本人が101名出席され(このほか代理出席46名)、非常に多くのみなさまにお集まりいただくことができました。
心より感謝申し上げます。

テーマは、「「多様な大都市制度の実現」です。
指定都市市長会からは、17市の市長・副市長が出席し、私から、人口減少や東京都への一極集中が加速する中、我が国の持続可能な発展のためには、多極分散型社会の実現が必須であること、そして、それぞれの地方において、指定都市が中心となって圏域を形成し、我が国全体のバランスの取れた発展に貢献することが必要であることを訴えました。
大都市がその持てる能力を一層発揮できるよう、地方自治制度の改革が不可欠です。
具体的には、特別市の制度化を含む多様な大都市制度について、福田紀彦川崎市長が具体的な提言の内容を分かりやすく説明されました。

出席された議員各位からは、「みんなで頑張って特別市を実現すべき」、「地方創生の起爆剤となる」、「地方分権に向けて指定都市のリーダーシップが問われる」といった、特別市の制度化を応援する多くのご意見をいただき、大いに盛り上がりました。

道府県から独立した特別市が誕生すれば、従来の指定都市の地域の仕事はすべて特別市が担当し、道府県は指定都市での仕事がなくなることから、道府県内の小規模な自治体など他の市町村への支援に専念できるようになります。
指定都市市長会が目指す地方自治の姿について、各方面に理解を広げていく努力を地道に続けていきます。


2025年5月16日
から 久元喜造

『藍那のふたり式部』


神戸市立神港橘高校 では、絵本を制作・出版する取組みが続けられています。
神戸の各地域に残る民話・伝説や史跡にスポットを当て、小学生や中学生による現地調査や聞き取りを経て制作するという、意義ある取組みです。
今回の絵本の舞台である藍那は、神戸市北区の山合いの地域です。
神戸電鉄の鈴蘭台駅から3つ目の駅が藍那駅です。
終点の新開地駅から約20分の便利な位置にありますが、周囲は里山で、ゆったりとした時間が流れています。

藍那には、お墓か供養のために建てられたと伝わる二つの石の塔があります。
和泉式部の墓と伝わる塔は、あいな里山公園のはずれにあります。

紫式部の墓と伝わる塔は、神戸電鉄藍那駅の近くにあります。

いずれの石塔も二人の式部が活躍した平安時代からかなり後に建てられたとされ、墓ではないと考えられていますが、本書では、二人が生きた時代の様子が、分かり易く書かれています。
藍那は摂津の国と播磨の国の間にあることから「相野」と名付けられ、長い年月の間に表記が「藍野」に変わり、やがて「藍那」と呼び方が変わっていったそうです。
藍那は、歴史豊かな里です。
徳川道、藍那道、鵯越道、義経道などの古道があり、道しるべもあります。

見事な題字は、書家の古溝茂(幽畦)先生の手になるものです。
古溝先生は、神港橘高校の校長をされていたとき、絵本の制作に貢献されました。
「当初はお年寄りが語り伝えてきたことを生徒たちによる聞き取り調査したものを文字化、フィールドワークすることにより風景を絵本にしていった」と記されています。
これからも生徒のみなさんが神戸市内の各地を歩き、神戸の歴史を自分の目で感じてほしいと願っています。