久元 喜造ブログ

2025年6月22日
から 久元喜造

松本清張『点と線』


東京出張の用務が少し早く終わり、新幹線に乗るまで時間があったので、八重洲地下街を歩きました。
八重洲ブックセンターに立ち寄ると、松本清張の「点と線」の特設コーナーがあり、びっしり平積みになっていました。
掲示を見ると、このお店の限定カバー版だそうです。
遥か昔に読んだことがありますが、ストーリーは完全に忘れてしまっていたので、さっそく買い求め、車内で読むことにしていた別の本は後回しにして、読み始めました。

帯に「東京駅、空白の4分間。」とあるように、東京駅が重要な舞台となります。
13番線の横須賀線に乗る予定の安田、そして馴染の料亭の女中ふたりは、15番線から発車する博多行き特急《あさかぜ》に乗り込む同じ料亭の女中、お時と連れの男を目撃します。
九州の香椎海岸で男女の死体が発見され、汚職事件の渦中にあった✖✖省の課長補佐、そしてお時だと分かります。
情死の線に疑問を持った警視庁と福岡県警の刑事二人は、手紙などで連絡をとりながら捜査を開始します。
そして、頻繁に電車が発着する東京駅で13番線から15番線を見渡せる時間帯は、17時57分から18時01分の4分間しかないことが明らかになって・・・・

「点と線」は、1957年(昭和32年)2月から翌年1月まで、日本交通公社の雑誌《旅》に連載され、同年2月に光文社から刊行されました。
当時の国鉄、そして飛行機のダイヤを読み解き、汽車の時刻を利用したアリバイを崩していく推理小説です。
官庁と出入り業者との関係、赤坂の料亭の雰囲気も興味深いものがありました。
当時の特急や急行の車内、青函連絡船、そして駅のホームや改札口の雰囲気が蘇ってくるようでした。


2025年6月13日
から 久元喜造

「銭湯」の話


宇野常寛『庭の話』2025年6月7日のブログ)で少し触れた場所-銭湯について書きたいと思います。
宇野は、「庭」の比喩で表現されている場所は、共同体のためのものではなく、私的な場所が公的に開かれたものでなければならないと指摘します。
この条件を満たすのが、銭湯です。
高円寺にある「小杉湯」の経営者、三代目の平松佑介との対話を通じて、銭湯について語られます。
銭湯は、古き良き共同体を体現する場所と見られることが多いのですが、平松はその実態は共同体的なイメージとは少し離れたものだと言います。
顔なじみのご近所同士が親しく会話を交わす、というよりは、「いつも見る顔を確認して何となく安心する」程度で、「目礼や、かんたんな挨拶すらしないケースがほとんど」だと。
宇野は、小杉湯に来る人たちは、自分の物語を「語ることなく、同じ場所を共有している」、つまり「承認を交換する相互評価のゲームをプレイすることなく共生している」と指摘します。

宇野はいま必要なのは、銭湯のような、生活の一部となり、そしてそこにいる誰からも程よく「気にされない」場所なのではないかと言います。
「ただ裸で身体を洗って、コーヒー牛乳を飲んでいるだけなのだけれど、そこに集う人びとが相互に前提として尊重し合っている、いや「排除しない」、そんな場所こそが、今の社会には必要なのではないかと。

銭湯は、神戸でも少しずつ姿を消しています。
神戸市は銭湯に社会的価値を見出し、その維持のためにさまざまな施策を展開しています。
「庭の話」の中に出てくる銭湯についての分析は、その価値について新しい視点を提供してくれたように感じました。(敬称略)


2025年6月7日
から 久元喜造

宇野常寛『庭の話』


誰かに向かって何かを発言したとき、他の誰かに承認されることにより、何ものにも代えられない快楽と安心が得られます。
「情報技術はこの承認の快楽を獲得するために必要なコストを飛躍的に下げた」と著者は指摘します。
プラットフォーマーたちは相互評価(承認の獲得)のゲームを設計し、このゲームは無限に反復され、彼らは膨大な収益を上げることに成功しました。
ある行動が他者の承認の獲得を目的とするとき、すでに広くシェアされている問題へのインセンティブの方が、新しく問題を設定するよりも高くなります。
こうしてゲームでシェアされる話題は画一化していきます。
著者は、「閉じたネットワーク=プラットフォームにおける相互評価のゲームは、人間から世界を見る目と触れる手を、社会から多様性を奪い取ろうとしている」と危機感を示します。

この状況からどう脱出できるのか。
著者は、人間「ではない」事物とのコミュニケーションを回復させる場に回路を見出します。
それが「庭」です。
庭には草木が茂り、花が咲き、その間を虫たちが飛び交います。
庭にはさまざまな事物が存在し、その事物同士のコミュニケーションが生態系を形成しています。
人間が介在しなくても、そこには濃密なコミュニケーションと生成変化が絶えず発生しています。
人間は庭を訪れることで相互評価のゲームから離脱できる、と著者は指摘します。
著者は、プラットフォームに代わる新たな社会イメージを生成すべく、現代における「庭」を成立する条件を探り続けます。
哲学を含めたさまざまな論点が交錯し、読者を知的興奮に誘います。
小網代の森、ムジナの森、小杉湯などの豊富な事例も、説得力を高めています。

 


2025年5月30日
から 久元喜造

國分功一郎『目的への抵抗』


いま読んでいる宇野常寛『庭の話』によれば、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』は、今世紀に国内でもっとも広く読まれた哲学書のひとつだそうです。
2011年に出版された同書の続編として、「目的への抵抗」は刊行されました。
東大で行われた「高校生と大学生のための金曜特別講座」などが出発点で、コロナ危機が社会を揺さぶった時期でした

最初に取り上げられるのは、イタリアの哲学者アガンベンの問題提起です。
コロナの感染期に執られた緊急措置を「平常心を失った、非合理的で、まったく根拠のないもの」と批判したのです。
緊急事態は行政権力が立法権力を凌駕する事態で、ルールなしに物事が決められてしまう「例外状態」が人々によって受け入れていることへの危機感でした。

アガンベンから出発して、コロナ危機のときに頻出した「不要不急」、そして「目的」の概念の検討に入ります。
ここから贅沢と浪費、そして消費へと考察は進んでいきます。
浪費は必要を超えるものを受け取って満足をもたらし、満足すれば浪費は止まります。
一方、消費の対象は、ものではなく、観念や記号なので消費には際限はありません。
消費のメカニズムを応用すれば、経済は人間を終わりなき消費サイクルへ向かわせることができます。
そこから見えてくるのが、贅沢と目的の関係です。
贅沢には目的から逸脱があり、目的からはみ出る経験、そして必要と目的に還元できない生こそが人間らしさの核心にあるとされます。
人間の活動には目的に奉仕する以上の要素があり、活動が目的によって駆動されるとしても、その目的を超え出ることを経験できるところに人間の自由がある、という著者の主張には共感を覚えました。


2025年5月24日
から 久元喜造

指定都市を応援する国会議員の会


去る5月16日、東京の衆議院議員会館で、「指定都市を応援する国会議員の会」(代表:逢沢一郎衆議院議員)の全体会が14年ぶりに開催されました。
当日は、国会議員各位ご本人が101名出席され(このほか代理出席46名)、非常に多くのみなさまにお集まりいただくことができました。
心より感謝申し上げます。

テーマは、「「多様な大都市制度の実現」です。
指定都市市長会からは、17市の市長・副市長が出席し、私から、人口減少や東京都への一極集中が加速する中、我が国の持続可能な発展のためには、多極分散型社会の実現が必須であること、そして、それぞれの地方において、指定都市が中心となって圏域を形成し、我が国全体のバランスの取れた発展に貢献することが必要であることを訴えました。
大都市がその持てる能力を一層発揮できるよう、地方自治制度の改革が不可欠です。
具体的には、特別市の制度化を含む多様な大都市制度について、福田紀彦川崎市長が具体的な提言の内容を分かりやすく説明されました。

出席された議員各位からは、「みんなで頑張って特別市を実現すべき」、「地方創生の起爆剤となる」、「地方分権に向けて指定都市のリーダーシップが問われる」といった、特別市の制度化を応援する多くのご意見をいただき、大いに盛り上がりました。

道府県から独立した特別市が誕生すれば、従来の指定都市の地域の仕事はすべて特別市が担当し、道府県は指定都市での仕事がなくなることから、道府県内の小規模な自治体など他の市町村への支援に専念できるようになります。
指定都市市長会が目指す地方自治の姿について、各方面に理解を広げていく努力を地道に続けていきます。


2025年5月16日
から 久元喜造

『藍那のふたり式部』


神戸市立神港橘高校 では、絵本を制作・出版する取組みが続けられています。
神戸の各地域に残る民話・伝説や史跡にスポットを当て、小学生や中学生による現地調査や聞き取りを経て制作するという、意義ある取組みです。
今回の絵本の舞台である藍那は、神戸市北区の山合いの地域です。
神戸電鉄の鈴蘭台駅から3つ目の駅が藍那駅です。
終点の新開地駅から約20分の便利な位置にありますが、周囲は里山で、ゆったりとした時間が流れています。

藍那には、お墓か供養のために建てられたと伝わる二つの石の塔があります。
和泉式部の墓と伝わる塔は、あいな里山公園のはずれにあります。

紫式部の墓と伝わる塔は、神戸電鉄藍那駅の近くにあります。

いずれの石塔も二人の式部が活躍した平安時代からかなり後に建てられたとされ、墓ではないと考えられていますが、本書では、二人が生きた時代の様子が、分かり易く書かれています。
藍那は摂津の国と播磨の国の間にあることから「相野」と名付けられ、長い年月の間に表記が「藍野」に変わり、やがて「藍那」と呼び方が変わっていったそうです。
藍那は、歴史豊かな里です。
徳川道、藍那道、鵯越道、義経道などの古道があり、道しるべもあります。

見事な題字は、書家の古溝茂(幽畦)先生の手になるものです。
古溝先生は、神港橘高校の校長をされていたとき、絵本の制作に貢献されました。
「当初はお年寄りが語り伝えてきたことを生徒たちによる聞き取り調査したものを文字化、フィールドワークすることにより風景を絵本にしていった」と記されています。
これからも生徒のみなさんが神戸市内の各地を歩き、神戸の歴史を自分の目で感じてほしいと願っています。


2025年5月10日
から 久元喜造

世界銀行カンファレンス


黄金週間中の5月5日、世界銀行からお招きをいただき、ワシントン世界銀行本部で行われた「土地カンファレンス2025」で講演しました。
テーマは、「空間を形作る:土地利用と都市管理を通じた、経済と人口動態の変化への対応」です。
世界銀行からの招待状には、「経済成長、都市の高密度化、環境保全のバランスをとりながらまちづくりを進めてこられた神戸市の経験や戦略」から知見をいただきたいと記されていました。
そこで私からは、人口増加期、震災への対応、人口減少期において、神戸市がどのような街づくりを行い、土地利用を図ってきたかについてお話ししました。

山が海に迫り、可住地面積が狭い神戸において、1960年代から山を削って海を埋め立て、双方に確保された土地において、住宅地、産業団地などを整備する ― 「山、海へ行く」開発手法、そして突然の震災の後、大容量送水管の建設など都市の強靭化を図るべく実施したプロジェクトなどについて説明しました。

そして、2011年に始まった人口減少期においては、都心への過度な人口集中を抑制し、商業・業務機能の充実を図る見地からの高層タワーマンション規制、郊外における駅前リノベーションの推進などバランスの取れた街づくりに取り組んでいることを紹介しました。
持続可能な大都市経営の見地から、既存の都市インフラのほか空き家などの住宅ストックを有効に活用することの重要性を強調しました。

世銀のみなさんや参加者との意見交換では、神戸の震災とその後の対応に対する関心の高さがよく分かりました。
神戸の経験がグローバル世界において共有されるよう、今後とも情報発信と相互理解に取り組んでいきます。


2025年5月4日
から 久元喜造

タワマン規制は「看板政策」ではない。


少し前になりますが、4月11日の神戸新聞に神戸の都心におけるタワーマンション規制の現状に関する記事が掲載されていました。
神戸市では、2020年7月に条例改正を施行し、都心ではタワーマンションの建築ができにくくなりましたが、この記事では、規制の対象とはならない敷地1000平方メートル未満の、いわゆる「ミニタワマン」が少なくとも4か所建設されている状況が報告されていました。
都心居住への人気の高さに触れ、規制による人口流出に警鐘を鳴らす内容となっています。
「不動産業界で表立った反対する事業者はいない」一方で、不満を漏らす関係者の声も紹介されていました。

違和感を覚えたのは、タワマン規制が「久元喜造市長の看板政策でもある」というくだりです。
「看板政策」が、その自治体の方向性を体現している大がかりな政策、あるいは差別化のための都市戦略としての政策を意味するなら、それは違います。
タワマン規制は、そのようなものではなく、神戸市の街全体のあるべき姿を追求する政策全体の中に位置づけられる個別施策のひとつに過ぎません。

すでに記したように、神戸市では、「都心の再生」、「既成市街地・ニュータウンの再生」、「森林・里山の再生」を互いに関連づけながら、一体的にすすめることとしています。(2025年3月1日のブログ
都心ではタワマンに代表されるような居住機能を抑制して商業・業務機能を集積させ、にぎわいを生み出す再整備を進めます。
西神中央、名谷、垂水などの駅前リノベーションを進め、郊外にもバランスよく居住人口を配置する施策を展開します。
我が国全体の人口減少が加速する中で、神戸の将来を見据えた政策を進めます。


2025年4月29日
から 久元喜造

日本が主権を回復した日


きょう、4月29日は、昭和の日です。
昨日の4月28日は、サンフランシスコ講和条約が発効し、我が国が主権を回復した日に当たります。
27日の産経新聞コラム「産経抄」は、終戦間もない頃の昭和天皇の御製<ふりつもる み雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ>を引用し、「御製に詠まれた「松」には、主権回復の春を待つという悲願が込められていたのかもしれない」と記しています。
コラムにあるように、多くの困難を乗り越えた先人の苦労に思いを馳せたいと思います。

1945年8月から1952年4月まで、7年近くに及んだ連合国による占領期は、主権回復のために奮闘した人々の努力とともに、決して忘れてはならない時代だと思います。
それは、だいぶ前に読んだ福永文夫『日本占領史』(2016年10月9日のブログ)の冒頭で述べられているように、「現代日本の法的、政治的基盤は、この時期に創られたと言っても過言ではない」からです。
連合国による日本の占領統治は、敗戦国に対して戦勝国が行った占領統治の中では比較的穏やかなものであったという指摘もしばしばなされますが、さまざまな理不尽な行為が行われたことも忘れるわけにはいきません。
とくに神戸では、米軍の広大なキャンプが設置され、数多くの住宅、商業施設などが接収されました。
それがどのようなものであったのかについては、村上しほりさんの「神戸・阪神間における占領と都市空間」(2023年8月11日のブログ)、そして近著『神戸』(2025年4月25日のブログ)でも詳述されているとおりです。
独立した主権国家であることの意味を、昭和の日の今日、改めて噛みしめたいと思います。


2025年4月25日
から 久元喜造

村上しほり『神戸ー戦災と震災』


著者は、神戸大学大学院人間発達環境学研究科修了、博士(学術)を取得し、都市史・建築史が専門です。
現在、神戸市職員(公文書専門職)として、2026年度に開館予定の神戸市歴史公文書館の開設に尽力していただいています。
これまでも神戸の歴史を調査・研究され、『神戸 闇市からの復興』として出版されました(2019年3月3日のブログ)。

今年神戸は、震災から30年、そして空襲から80年を迎えました。
本書では、開港による都市形成に始まり、現在進められている街づくりまでが語られますが、紙幅が割かれているのは、災害、戦争の惨状とそこからの復旧・復興です。
神戸は、1938年の阪神大水害、1945年の神戸大空襲、1995年の阪神・淡路大震災と、想像を絶する困難を乗り越え、発展してきました。

戦時下の市民生活と行政の対応も丁寧に描かれます。
食糧不足の中で、空き地を活用した菜園が奨励され、神戸市は栽培指導の技術員を配置して本格的な空き地利用を進めました。
空襲で神戸の街は灰燼に帰し、戦後は戦災跡地の農園化による自給自足が邁進されました。
「食糧危機による増産の必要性と戦災跡地の用い方には、終戦による著しい変化はなかったと見ることができる」という著者の指摘は、戦前・戦後断絶の視点に立った歴史観とは一線を画しているようで、新鮮に感じました。

神戸には連合国軍が進駐し、大規模な基地 “Kobe Base”(神戸ベース)が置かれます。
数多くの土地、建物が接収されていく過程も描かれます。
戦災復興事業・震災復興事業も分かり易く記されています。
被災と再建の繰り返しによって見えなくなった風景が蘇ってくるように感じました。