久元 喜造ブログ

2025年1月18日
から 久元喜造

佐藤卓己『あいまいさに耐える』


著者の主張は、「はじめに」で端的に述べられます。
「輿論主義」を復活させるべきだと。
世論(空気)を批判する足場としての輿論(意見)を取り戻すこと、その前提として輿論と世論をもう一度使い分けることを提唱します。
そしてこの「輿論主義」のためには、リタラシー(読み書き能力)よりもネガティブ・リテラシー(消極的な読み書き能力)が必要だとされます。
ネガティブ・リテラシーとは、「あいまいな情報を受け取ったき、あいまいなまま留め置き、その不確実性に耐える力」です。
「SNSなどにあふれる情報を必要以上に読み込まず(やり過ごし)、不用意に書き込まない(反応しない)だけの忍耐力」と説明されます。
そのように考えるに至った筋道として、世論駆動の「ファスト政治」、東日本大震災後の「メディア流言」、安保法制をめぐる「デモする社会」、「情動社会」における「快適メディア」などに関する考察が想起されます。

このような思考過程を経て、AI時代に求められる態度が、「ネガティブ・リテラシー」だとされます。
白黒、善悪、優劣などの判断を急がず、あいまいな状況に向き合う態度です。
いま、真偽不確かな情報がネット空間に溢れていますが、情報の真偽はすぐには誰にも分かりません。
それを明らかにするのは、時間の経過です。
時間の経過によって真実が明らかになるのを待つ我慢強さということなのかも知れません。
人間性はあいまいさの中にあり、人間は誤りから学ぶことができる存在です。
「ON/OFF、白/黒のデジタル思考への抵抗力を高めること、あいまい情報の中で事態に耐える人間力こそが、AI時代に求められるリテラシー」だと結論づけられます。


2025年1月10日
から 久元喜造

谷原つかさ『「ネット世論」の社会学』


帯には、「「民意」を作るのは、0.2%のユーザだった」「ネット上で多数派に見える意見は、必ずしも実際の支持率や選挙結果とは相関しない」とあります。
2012年衆院選、2022年参院選、2023年大阪府知事選について、ネット世論に関するデータを集めて分析し、このような結果が導かれます。
たとえば大阪府知事選挙における吉村洋文候補に関する投稿では、ネガティブが62,1%、ニュートラルまたは態度不明が26,1%、ポジティブが11.8%でしたが、選挙結果では吉村候補の圧勝でした。
このような相違が生じる背景について、「フィルターバブル」「エコーチェンバー」「沈黙のらせん理論」などの概念を用いて、「ネット世論」の実態が分析されます。

興味深かったのは、ジャニーズ問題に関するネット世論と報道に関する分析から導かれる「少数派が力をつけるストーリー」です。
「ソーシャルメディア時代においては、エコチェンバーにより孤立の恐怖を感じにくい」ため、「自分の周囲において自分に似た意見が可視化され、容易に意見表明ができるようにな」ります。
「自身が少数派であることすら認識できていないかもしれ」ないと。
著者は最後の章「フェイクニュース時代の歩き方」で、ネット世論とどう向き合うかについて指摘していますが、それらはいずれも常識的な内容だと感じました。

しかし、状況は大きく変わります。
2024年の衆院選、兵庫県知事選の後、著者は昨年の11月「一連の選挙において、潮目は変わったように思います。正直な話、拙著を今読むと隔世の感があります」と吐露されています。(朝日新聞デジタル)。
今後の議論の行方に注目したいと思います。


2025年1月2日
から 久元喜造

2025 新春座談会 特別編


元日に放映された、サンテレビ新春恒例の座談会に出席しました。
今年は、例年のような座談会形式ではなく、齋藤元彦 兵庫県知事、川崎博也 神戸商工会議所会頭、高梨柳太郎 神戸新聞社長、そして私への個別インタビューとして行われました。

震災から30年を迎えました。
あの大地震は、ほとんどの神戸市民にとっても、また行政にとっても、予期せぬ大災害でした。
この30年間の神戸市政は、あのようなことは絶対にあってはならないという決意で、災害に強い街づくりに取り組んできたと思います。
20年の歳月をかけて大容量送水管を建設し、遠隔操作で水門などを開閉できる防潮堤を整備し、ポンプ場を整備して下水管により市街地を浸水から守る施設を整備するなどの努力を重ねてきました。
震災時に内外から受けた支援に感謝の気持ちを抱きながら、東日本大震災などの被災地に数多くの職員を派遣して支援活動を行い、震災時の経験を活かすとともに、被災地支援で得られた知識や経験を継承し、組織全体で共有する取り組みも進めてきました。
能登半島地震被災地支援で得られた技術や気づきを、発災時の初動対応、避難所運営のあり方などに活かすべく、災害対策の総点検を行っていきます。

都市の発展は、強靭な都市基盤の上にはじめて成り立つと信じます。
今後とも、神戸市のこれまでの歩みと先人の想いを受け継ぎながら、ハード・ソフト両面にわたる災害対応力の強化を図ります。
神戸空港は、今年4月に国際空港となり、神戸はかつての神戸とは異なる、新しい時代の国際都市への可能性を手にしています。
神戸の持つ力を最大限に開花させることができるよう、今年も全力を尽くします。

 


2024年12月21日
から 久元喜造

『評伝 勝田銀次郎』


震災30年が間近になり、神戸が経験した大災害のことを話すとき、ときどき触れるのが、1938年(昭和13年)の阪神大水害です。
7月3日から5日にかけて、台風に刺激された梅雨前線は、神戸市をはじめ阪神地域に集中豪雨をもたらしました。
六甲山系から流れる多くの河川が氾濫し、土石流が市街地を襲いました。
数百名の死者・行方不明者、家屋・建築物の消失など、被害は甚大でした。
未曽有の大災害への陣頭指揮を執ったのが、第8代神戸市長・勝田銀次郎でした。
勝田市長の事績は、さまざまな文献から自分なりに理解していましたが、市長になったばかりの頃に子孫に当たられる方からいただいた本書を改めて読み直しました。

『評伝 勝田銀次郎』は、1980年(昭和55年)、青山学院資料センターから発行されました。
青山学院長・理事長、大木金次郎氏の序文によれば、勝田は、青山学院の初期における校友として「勝田館」を寄贈するなど多大な貢献をされました。
著者は、青山学院大学事務局長の松田重夫氏。
大学図書館館員としての長い経験をお持ちで、勝田銀次郎に関する文献にも接する機会が多く、「ジャーナリスト的気質」を発揮され、神戸の勝田家のご遺族を訪ねるなど丹念な取材を重ねられ、本書を執筆されたとのことでした。

勝田銀次郎は、1933年(昭和8年)12月、神戸市長に就任。
1938年(昭和13年)7月に阪神大水害が発生した際には、不眠不休で陣頭指揮をとり、災害復旧に全力で取組みます。
復興予算の計上について平沼内閣と折衝し、国会での議決を勝ち取ります。
本書は、勝田の霊が「神戸の街を見渡せる追谷墓地で安らかに眠っている」と結ばれます。


2024年12月13日
から 久元喜造

『野生動物は「やさしさ」だけで守れるか』


神戸市は、里山における生物多様性の保全に取り組んできました。
国とも連携をとり、神戸市北区の里地里山が、生物多様性の保全が図られている区域として、環境省より「自然共生サイト」に認定されました。
同時に、生物多様性の保全に資する地域であるOECMとして、国連が管理する国際データベースに、日本で初めて登録されました。

生物多様性を守るためには、人間と野生生物との関係を探っていく必要があります。
本書は、そのような関係性を考える上で格好の材料を提供してくれます。
「人と生きものの関係に正解はない」という立場から、各地の取組み、そして葛藤が紹介されます。
小坪遊さんをはじめ朝日新聞社「取材チーム」の取材力が光ります。

数多くの事例の中で考えさせられたのは、大阪府茨木市を流れる大正川での取組みでした。
この川には、フナやナマズ、エビなどいろいろな生き物が棲んでおり、レッドリストで準絶滅危惧種とされているニホンイシガメもいます。
大正川で活動するみなさんは、ニホンイシガメをもとにいた場所に放し、条件付特定外来生物のアカミミガメは駆除し、クサガメを少し離れた下流で放しています。
それは、なぜか。
かつて在来種と考えられていたクサガメは、現在では外来種と考えられています。
クサガメはニホンイシガメとの交雑の危険があり、駆除も考えられます。
しかし、古くから暮らして来たクサガメの駆除には理解が得られにくいと感じられる一方、同じ場所に放流することは交雑を促す恐れがあり、大正川におけるニホンイシガメの絶滅につながると考えられるからです。

ほかの事例からも、人間と野生生物との共存に関し、多くの示唆ををいただきました。


2024年12月7日
から 久元喜造

神戸空港から世界の各都市へ


神戸空港では、国際チャーター便就航と発着枠の拡大を念頭に、2025年4月18日には、第2ターミナルの開業が予定されています。
先日の12月4日、大韓航空、ベトジェットエアに続き、台湾のスターラックス航空の就航計画が発表されました。(写真)
神戸市との共同記者会見で、劉允富・最高戦略責任者から、神戸=台北(桃園)線を週3便、神戸=台中線を週7便、合計週10便を運航する計画が表明されました。
大韓航空が就航する仁川空港、スターラックス航空が就航する台北(桃園)空港には、世界各国から数多くの国際線が就航しています。
神戸空港は、実質的に国際空港となり、神戸は、仁川、台北を通じて世界の各都市とつながることになります。
これからも他の航空会社から神戸空港就航が表明されることが想定され、神戸空港が関西空港を補完する役割は一層大きくなります。
大阪・関西万博とその後を見据えた、インバウンド誘客にも弾みがつくことになります。

想い起こせば、高校1年の春休み、1970年3月から4月にかけて、作文の懸賞金でいただいた10万円を使い、独りで台湾各地を旅行したことがありました。
沖縄から船で基隆に上陸し、台北、台中、台南、高雄、花蓮などの都市を回りました。
先住民族が暮らす山奥の集落に入ると、私を呼び止めて昼食をご馳走してくださる家族もいました。
台北、台中の屋台の喧騒、市場の祭りの様子も、鮮明に覚えています。

韓国に初めて行ったのは、旧自治省で国際交流を担当していたときで、韓国の地方制度担当幹部との地方自治制度に関する意見交換を含め、何回か訪れました。
ソウルの繁華街とともに、山中のお寺の静寂も印象に残っています。


2024年12月1日
から 久元喜造

旧波賀町の想い出


兵庫県は、五国からなる大県です。
日本海、瀬戸内海、そして太平洋に面している都道府県は、兵庫県だけです。
振り返れば、中学校のときは、鈴蘭台、藍那の山の中を探索し、田圃の畔を歩き、池で鮒を釣ったりして、楽しい毎日を送りました。
高校に入ると、県内を旅したり、夏休みには独りで民宿に滞在したりして過ごしました。
高1の夏休み、当時の波賀町(現在は宍粟市)の音水湖畔の民宿に泊まり、ボート遊びや水泳をして楽しみました。
引原ダムの対岸まで泳いで往復しましたが、湖面の表面は普通でも、足が少し深いところを掻くと、驚くほど冷たく、ぞっとしたことを覚えています。

次の年の夏休みは、波賀町のさらに山奥の道谷(どうだに)の民宿に逗留しました。
山村なのに刺身もあり、結構なご馳走を出して歓待してくれました。
ご主人は毎晩、熱燗を次ぎながら、よく政治談議をされていました。
息子さんは私より一つ年下で、県立山崎高校に在学中でした。
村祭りもありましたが、少し寂しい雰囲気で、過疎が進行していることがわかりました。

波賀町に行くときは、山陽電車の姫路駅前にある神姫バスセンターから、山崎行のバスに乗りました。
バスセンターは、ものすごく混雑していました。
バスの車窓から播州平野の田園風景を眺めるのは、心が和むひとときでした。
白いサギが田んぼの上を舞っていました。

夏休み以外にも、週末を利用して西紀町(当時)など県内各地に出かけました。
兵庫県は美しい自然に恵まれ、さまざまな顔をした素晴らしい県であることを、折に触れて感じました。
私は子供の頃から、神戸市民であるとともに、兵庫県民であることに誇りを感じてきたのだと、いま改めて思います。


2024年11月23日
から 久元喜造

隈研吾『日本の建築』


日本を代表する建築家の一人、隈研吾氏が日本の建築について語ります。
私は建築の素人ですが、神戸市はとくに近年、かなり多くの建物をつくってきたこともあり、建築については関心を持ってきました。
ごく一部しか理解できませんでしたが、興味深く読みました。

建築、そして建築家の世界が、論争に満ちていることがよく分かりました。
それは、冒頭のブルーノ・タウト(1880 – 1938)のモダニズム批判からいきなり始まります。
タウトは、ワイマール共和国で労働者のための重合住宅の建設に携わりますが、ヒトラー政権から危険視され、来日します。
当時一世を風靡していたコルビュジェのモダニズム建築を批判していたタウトは、日本の地で、自らの建築思想を開化させる可能性を見出したのでした。

本書の中で折に触れて出てくるのが、吉田五十八(1894 – 1974)と村野藤吾(1891 – 1984)との対立軸です。
吉田は、第4期の歌舞伎座の建築に関わりますが、村野が大阪・難波の駅前にデザインした新歌舞伎座は、吉田への真正面からの批判であったと、著者は指摘します。
対立軸は、関西と関東との間にも及びます。
村野は、東の「大きな建築」を批判して、美しさや機能性という西欧の伝統的な評価基準の上位に、「品がいい、悪い」という、もうひとつの評価基準を提示したと、著者は指摘します。
この「品」をめぐる批判に対して関東が提示した新基準が「粋」であったという視点も、興味深いものでした。

戦後日本建築最大の論争であったとされる「伝統論争」が、吉村順三、そして、東京都庁を設計した丹下健三らの間で激しく闘われたことも、本書で初めて知りました。


2024年11月9日
から 久元喜造

山内マリコ『マリリン・トールド・ミー』


神戸の中心街・栄町通りを一本南に入った通りのビルの5階に、書店「1003 -センサン-」があります。
明るい雰囲気のこじんまりした書店です。
古書のほかに新刊もあり、店主の独自の視点で書籍が選択されていることが分かります。
平積みになっている新刊書の中に本書を見つけました。
帯にはこうあります。
「友達なし、恋人なし、お金なし。
コロナ禍で家から出られない一人暮らしの大学生・瀬戸杏奈。
ある晩、彼女に伝説のハリウッドスターから電話がかかってきて――!?。」

自分には向いていないような気もしましたが、これまで読んだ山内マリコさんの小説はどれも面白かったので、買って読み始めました。
シングルマザーに育てられた瀬戸杏奈が主人公。
お互いを思い遣る親子の会話には、じんと来ます。
コロナ禍の中での孤独と不安。
3年生になってやっと教室での授業が始まり、彼女は、ジェンダー社会論Ⅳ・松島ゼミに参加します。
マリリンとの電話で彼女の素顔の一端に触れた瀬戸杏奈は、ゼミ生たちと次第に自信を持って議論を交わすようになります。
松島ゼミでのやり取りは、いろいろな意味で興味深かったです。
そして卒業論文「セックス・シンボルからフェミニスト・アイコンへ マリリン・モンローの闘い」を書き上げます。

就活全滅の彼女が着目したのは、ワーキングホリデーでした。
ワーホリ発信型YouTuberを貪り見た彼女は、ママから背中を押してもらい、オーストラリアへと旅立ちます。
2024年・春、瀬戸杏奈は、豪州の農場にいました。
豪州で苦労する日本の若者の情報に接していたこともあり(2024年8月16日のブログ)、豪州での彼女の平安を祈りながら読了しました。


2024年11月1日
から 久元喜造

神戸市広報紙「都心・三宮再整備」


振り返れば、2013年10月、私にとり最初の神戸市長選挙で、都心の再生と三宮再整備を公約に掲げました。
市長に就任してすぐに作業に着手し、市民のみなさんと対話フォーラムを開催するとともに、神戸の都心の「未来の姿」検討委員会で議論を開始しました。
このような経過を経て、2015年9月、「神戸の都心の未来の姿・将来ビジョン」三宮周辺地区の「再整備基本構想」を策定しました。
神戸の玄関口である三宮を見違えるような駅前にしたい、そして三宮、ウォーターフロントを含む都心を、神戸の歴史を大切にしながら活性化したいという思いからでした。
三宮の駅前には、大阪の梅田周辺のような広大な未利用地はなく、一つひとつの施設を動かしながら再開発する手法を取る必要があり、初めから時間がかかることは覚悟の上でのスタートでした。

9年余りの歳月が流れ、今月号の神戸市広報紙では都心・三宮再整備の特集が組まれています。
かなり再整備の姿が見えてきました。
2021年月には、神戸三宮阪急ビルとサンキタ広場が開業し、サンキタ通りも昭和レトロの雰囲気を残しながらリニューアルされました。
2022年には、ビジネス街にある磯上公園内に磯上体育館がオープン、2023年には、東遊園地も見違えるように再整備されました。
今後も再整備の工事が続きます。
2027年には、西日本最大級のバスターミナル、大ホール、三宮図書館などが入る雲井通5丁目開発事業が完成する予定で、翌2028年には、神戸市役所本庁舎2号館再整備事業、さらに翌2029年には、JR三ノ宮新駅ビルの完成と続きます。
ほぼ予定どおり進んでおり、関係者のみなさんに感謝申し上げます。