久元 喜造ブログ

2025年8月8日
から 久元喜造

服部孝洋『はじめての日本国債』


国と地方の財政制度は密接に関連しており、国家財政の動向は常に気になるところです。
政府は毎年度の財源を賄うため、大量の国債を発行しており、その発行が円滑にできるかが重要です。
最近、10年物の日本国債のほか、30年物の金利も上昇し、市場関係者からのコメントも相次ぎました。
何か月か前にはNHKスペシャルで、日本国債の売り込みに奔走する財務官僚の姿が描かれていました。
改めて、そもそも国債とは何なのか、基礎的な知識を得たいと思い、本書を読みました。

国債は債券ですが、債券とは何かから始まり、国債の引き受け手である証券会社、銀行、生命保険などの役割や利害も理解できました。
日銀が国債を購入するオペレーションがどのように実施されるかについても、分かり易く説明されます。
買いオペ時の日銀と民間銀行のバランスシートの変化が説明された上で、黒田東彦総裁の下で実施された異次元の金融政策が回顧されます。
大規模な国債購入、「マイナス金利政策」の導入、そして「イールドカーブ・コントロール」へと進んでいきました。
国際的な金利上昇に対応するため、日銀は指値オペにより膨大な量の国債を購入し、一時は10年国債のほとんどすべてを日銀が保有するまでになりました。

財務省によって行われる国債の発行については、国の財政制度、予算と関連付けられながら、国債の種類、償還ルールなどが説明されます。
現在発行根拠や使途が異なるさまざまな種類の国債が存在している一方、それらが統合されて発行されている現状を理解することができました。
ディリバティブやスワップ取引あたりから少し難しくなりましたが、国債に関する基礎知識は格段に拡大しました。


2025年8月2日
から 久元喜造

寺田寅彦『政治と科学』

寺田寅彦随筆選」に収められていた「政治と科学」。
このように始まります。
「日本では政事を「まつりごと」と云う。政治と祭祀とが密接に結合していたから」だと。
祭祀には天文や気象に関する学問の胚芽のようなものがすでに存在していたと、寺田は指摘します。
そして、「古代では国君ならびにその輔佐の任に当たる大官たちみずからこれらの科学的な事柄にも深い思慮を費やしたのではないか」と想像を馳せます。

ところが、1930年代の日本ではどうだったのか。
寺田が問題視するのは、科学的知識の軽視です。
戦前、官界では、いつしか文官優位の時代になりました。
大正デモクラシーがこの傾向に拍車をかけます。
「科学的知識など一つも持ち合わせていなくても大政治家大法律家になれるし、大臣局長にもなりうるという時代が到来し」ました。
寺田は、この頃に置かれた技術官僚の立ち位置をこう記します。
「技術官は一国の政治の本筋に対して主導的に参与することはほどんどなくて、多くの場合には技術に疎く理解のない政治家的ないし政治屋的為政者の命令にもとに受動的に働く「機関」としての存在を享受しているだけである」と。
さらにこう付け加えます。
科学に関する理解が薄い上司から無理な注文が出ても、「技師技手は、それは出来ないなどと」は言えず、「出来ないものを出来そうとすれば何かしら無理をするとか誤魔かすとかするよりほかに途はない」と。

このような矛盾が現代の府省、自治体、あるいは企業にも存在しているとしたら、それは悲劇です。
技術陣を代表して経営陣に物を申すことができる人材に経営陣の中に入っていただき、発言していただくことが肝要です。(文中敬称略)

 


2025年7月27日
から 久元喜造

寺田寅彦『天災と国防』


震災から30年。
角川ソフィア文庫の『寺田寅彦随筆選』中の、ごく短いエッセイを読みました。

天災と国防」は、「非常時」という「なんとなく不気味なしかしはっきりした意味の分かりにくい言葉」が飛び交う世相で、次々に大災害が起き、社会の不安が高まる中で書かれました。
指摘されるのは、「国家・・・の有機的結合が進化し、有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響を及ぼす可能性」です。
そして、「時には一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようにな」りました。
そこで求められるのは、政府の災害対応能力です。
寺田は、「国家の安全を脅かす敵国に対する国防策」が政府当局の間で熱心に研究されている一方で、「一国の運命に影響する可能性の豊富な大天災に対する国防策は政府のどこでだれが研究しいかなる施設を準備しているかはなはだ心もとないありさま」と慨嘆します。
そして、「陸軍海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないか」と提言します。
寺田は、災害対応の常備軍、つまり実力部隊を設置すべきだと言っているわけです。

現代の日本においても、政府の中に災害に自ら対応できる実力部隊は存在せず、災害対応は、市町村に属する消防、都道府県に属する警察が対応します。
災害応急対策の責任は、災害対策基本法で市町村にあることが明記されています。
しかし災害が大規模化し、社会システムが複雑化する中で、これまでのような態勢で十分ではなのか・・・
政府は災害対応に関する実力部隊を持つべきだ」という寺田の90年以上前の指摘は、今日なお新鮮に響きます。

 


2025年7月19日
から 久元喜造

『これでいいのか 神戸市』から12年


これでいいのか 神戸市」は、2013年7月に刊行されました。
神戸への強い思いを持っておられた3人のライターによる労作です。
当時の神戸と神戸市政についての厳しい言葉が並びます。

「いま神戸市のあちこちから聞こえてくるのは景気の悪い話ばかり
ガラガラの観覧車が寂しく回るハーバーランド、
ゴーストタウンのような一画もあるポートアイランド・・・
飲食店は閑古鳥が鳴く三宮の歓楽街――」
「かつては国際貿易の拠点として港が存在感を発揮し、
のちには鉄鋼や造船といった重工業が街の活気を生み出してきたが、
いまや起爆剤となる存在すら見当たらない」

当時私はすでに副市長の職を辞し、10月の市長選挙の準備に入っていました。
神戸の現状を知る上で、本書をよく読みました。
「不都合な真実を含め、今、神戸が抱えている課題、現実から目を背けることなく、どうすれば、神戸がもっと元気になれるかについて、考えていきましょう」と記しました。(2013年8月10日のブログ

この12年間、頻繁ではありませんが、ときどき本書を開き、そこに示された危機感、嘆き、神戸への愛情と向き合ってきました。
世の中が移ろっていく中にあって、変化への対応も考えながら、本書が問題提起してくれた風景を少しでも変えられるように取り組んできました。
「神戸市のお財布はスカスカ」と揶揄されましたが、財政の健全性を保ちながら、投資的経費も増やしてきました。
王子公園の再整備も進めました。
「単なる大阪のベッドタウン」になってしまう、との指摘には抗い、三宮などの都心には商業・業務機能の集積を進めてきました。
これからも本書から得られる示唆と向き合い、格闘し続けます。


2025年7月11日
から 久元喜造

『陰翳礼讃』の「柿の葉寿司」


朝日新聞(6月28日掲載)の中島京子さん「お茶うけに」は、柿の葉寿司のレシピについてでした。
「庭の柿の木に葉が青々と茂り、それが成人男性の手のひらくらいまで大きくなると」柿の葉寿司の「季節到来」です。
中島家の柿の葉寿司は、明治生まれのおばあさまが谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を読んでつくり始められたそうです。
ここから、谷崎レシピと中島レシピの違いが詳しく紹介されます。
谷崎レシピでは、米を炊くときに結構な量の酒を入れるのですが、中島レシピでは、酒を入れず、昆布を入れてごはんを炊き、鮨酢を合わせて酢飯にします。
文豪レシピの肝は新巻鮭を使うことですが、中島レシピでは、刺身用の鮭を冊で買ってきて塩を振って一晩寝かせ、塩締め鮭を自作します。

陰翳礼讃』(2024年6月21日のブログ)の柿の葉寿司のことは記憶に残っていなかったので、改めて開くと、終わりの方に書かれていました。
文化の歩みが急激で、「食べる物でも、大都会では老人の口に合うようなものを捜し出すのに骨が折れる」との嘆きが吐露されます。
「先だっても新聞記者が来て何か変った旨い料理の話をしろと云うから、吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨と云うものの製法を語った」と続きます。
「物資の乏しい山家の人の発明に感心し」つつ、「現代では都会の人より田舎の人の味覚の方がよっぽど確か」だと賞賛し、文豪レシピが語られます。

柿の葉寿司は、今では駅弁の人気メニューです。
谷崎が新幹線の駅で柿の葉寿司を売っていると知ったら、どんなにか驚いただろうと思います。
私も柿の葉寿司は大好きで、新神戸駅から新幹線に乗るときによく購入し、車中で味わうのを楽しみにしています。


2025年7月3日
から 久元喜造

「指定都市を応援する国会議員の会」決議


6月19日、「指定都市を応援する国会議員の会」が開催されました。
前回は5月16日で、わずか約1月の間の、しかも国会終盤の開催にも関わらず、多数の国会議員、代理のみなさまに出席していただきました。
会では、私からご挨拶申し上げ、「多様な大都市制度プロジェクトリーダー」の福田川崎市長から現在の状況について説明がありました。

これを受け、逢沢一郎代表から、今後の取り組みについて決議の提案がありました。
この決議には、次期地方制度調査会に対し、特別市制度の法整備を含めた大都市制度のあり方の調査審議を諮問して議論を進めることを、国会及び政府等に対して強力に要請することが盛り込まれています。
満場一致で、決議は採択されました。
「指定都市を応援する国会議員の会」によるこのような決議は、初めてのことです。
衆議院131名、参議院91名から構成される超党派の議員連盟において、政府に対して特別市制度の創設を含む多様な大都市制度の構築に向けた要請を行うと意思決定されたことは、とても大きな意味を持つと考えます。

折しも総務省の「大都市における行政課題への対応に関するワーキンググループ」の報告書がとりまとめられたところで、大都市には、周辺市町村とも連携しながら、経済を持続可能なものとし、人々が全国で安心して快適な暮らしを営んでいけるようにするための中心的な役割を果たしていくことが求められていると指摘されています。
地方制度調査会は、内閣総理大臣の諮問に応じ、地方自治に関する制度を議論する調査会であり、今回の決議を契機として、特別市制度の法制化を含む大都市制度に関する検討に弾みがつくことを期待しています。


2025年6月28日
から 久元喜造

『内務省』内務省研究会編


内務省は、1873年(明治6年)11月に設置され、1885年(明治18年)の内閣制度発足を経て、1947年(昭和22年)12月に廃止されるまで存続しました。
講談社現代新書の本書は、新書でありながら、550頁を超える大著です。
本書の特徴は、清水唯一朗教授をはじめ25名にも及ぶ研究者による分担執筆であること、もう一つは、通史編とテーマ編に分けられ、日本の近代史が内務省の関与を通じ、立体的に理解できるように工夫されていることです。
11のコラムも、興味深い内容でした。
内務省の歴史としては、本書でもたびたび引用されている「大霞会」刊行の『内務省史』があります。
大霞会は、旧内務省OBによって設立され、旧自治省など後継省庁の関係者で構成される親睦組織で、私も加入しています。
内務省史(1970-71年刊行)は、全4巻、全部で3700頁に及びます。
本書は、内務省史以来の本格的な学術書です。

本書の通史編では、明治維新後における混乱の中、大蔵省との確執の中で内務省が設置され、我が国の近代化の中で内務省が担った役割、政党政治の盛衰の中での立ち位置、その後の戦時体制、戦後の混乱の中の終焉までが、それぞれの研究者によって描かれます。
政党政治の中で内務省が政党とどう向き合ったのかは断片的に知っていましたが、戦時体制の中での軍部との確執・連携については初めて知ることができました。

テーマ編では、地方行政、神社宗教行政、警察行政など内務省が所管した幅広い分野が扱われています。
神戸市が深くかかわる衛生行政、土木行政、防災行政、港湾行政については、技術官僚の役割、位置づけを含め、とりわけ興味深く読みました。


2025年6月22日
から 久元喜造

松本清張『点と線』


東京出張の用務が少し早く終わり、新幹線に乗るまで時間があったので、八重洲地下街を歩きました。
八重洲ブックセンターに立ち寄ると、松本清張の「点と線」の特設コーナーがあり、びっしり平積みになっていました。
掲示を見ると、このお店の限定カバー版だそうです。
遥か昔に読んだことがありますが、ストーリーは完全に忘れてしまっていたので、さっそく買い求め、車内で読むことにしていた別の本は後回しにして、読み始めました。

帯に「東京駅、空白の4分間。」とあるように、東京駅が重要な舞台となります。
13番線の横須賀線に乗る予定の安田、そして馴染の料亭の女中ふたりは、15番線から発車する博多行き特急《あさかぜ》に乗り込む同じ料亭の女中、お時と連れの男を目撃します。
九州の香椎海岸で男女の死体が発見され、汚職事件の渦中にあった✖✖省の課長補佐、そしてお時だと分かります。
情死の線に疑問を持った警視庁と福岡県警の刑事二人は、手紙などで連絡をとりながら捜査を開始します。
そして、頻繁に電車が発着する東京駅で13番線から15番線を見渡せる時間帯は、17時57分から18時01分の4分間しかないことが明らかになって・・・・

「点と線」は、1957年(昭和32年)2月から翌年1月まで、日本交通公社の雑誌《旅》に連載され、同年2月に光文社から刊行されました。
当時の国鉄、そして飛行機のダイヤを読み解き、汽車の時刻を利用したアリバイを崩していく推理小説です。
官庁と出入り業者との関係、赤坂の料亭の雰囲気も興味深いものがありました。
当時の特急や急行の車内、青函連絡船、そして駅のホームや改札口の雰囲気が蘇ってくるようでした。


2025年6月13日
から 久元喜造

「銭湯」の話


宇野常寛『庭の話』2025年6月7日のブログ)で少し触れた場所-銭湯について書きたいと思います。
宇野は、「庭」の比喩で表現されている場所は、共同体のためのものではなく、私的な場所が公的に開かれたものでなければならないと指摘します。
この条件を満たすのが、銭湯です。
高円寺にある「小杉湯」の経営者、三代目の平松佑介との対話を通じて、銭湯について語られます。
銭湯は、古き良き共同体を体現する場所と見られることが多いのですが、平松はその実態は共同体的なイメージとは少し離れたものだと言います。
顔なじみのご近所同士が親しく会話を交わす、というよりは、「いつも見る顔を確認して何となく安心する」程度で、「目礼や、かんたんな挨拶すらしないケースがほとんど」だと。
宇野は、小杉湯に来る人たちは、自分の物語を「語ることなく、同じ場所を共有している」、つまり「承認を交換する相互評価のゲームをプレイすることなく共生している」と指摘します。

宇野はいま必要なのは、銭湯のような、生活の一部となり、そしてそこにいる誰からも程よく「気にされない」場所なのではないかと言います。
「ただ裸で身体を洗って、コーヒー牛乳を飲んでいるだけなのだけれど、そこに集う人びとが相互に前提として尊重し合っている、いや「排除しない」、そんな場所こそが、今の社会には必要なのではないかと。

銭湯は、神戸でも少しずつ姿を消しています。
神戸市は銭湯に社会的価値を見出し、その維持のためにさまざまな施策を展開しています。
「庭の話」の中に出てくる銭湯についての分析は、その価値について新しい視点を提供してくれたように感じました。(敬称略)


2025年6月7日
から 久元喜造

宇野常寛『庭の話』


誰かに向かって何かを発言したとき、他の誰かに承認されることにより、何ものにも代えられない快楽と安心が得られます。
「情報技術はこの承認の快楽を獲得するために必要なコストを飛躍的に下げた」と著者は指摘します。
プラットフォーマーたちは相互評価(承認の獲得)のゲームを設計し、このゲームは無限に反復され、彼らは膨大な収益を上げることに成功しました。
ある行動が他者の承認の獲得を目的とするとき、すでに広くシェアされている問題へのインセンティブの方が、新しく問題を設定するよりも高くなります。
こうしてゲームでシェアされる話題は画一化していきます。
著者は、「閉じたネットワーク=プラットフォームにおける相互評価のゲームは、人間から世界を見る目と触れる手を、社会から多様性を奪い取ろうとしている」と危機感を示します。

この状況からどう脱出できるのか。
著者は、人間「ではない」事物とのコミュニケーションを回復させる場に回路を見出します。
それが「庭」です。
庭には草木が茂り、花が咲き、その間を虫たちが飛び交います。
庭にはさまざまな事物が存在し、その事物同士のコミュニケーションが生態系を形成しています。
人間が介在しなくても、そこには濃密なコミュニケーションと生成変化が絶えず発生しています。
人間は庭を訪れることで相互評価のゲームから離脱できる、と著者は指摘します。
著者は、プラットフォームに代わる新たな社会イメージを生成すべく、現代における「庭」を成立する条件を探り続けます。
哲学を含めたさまざまな論点が交錯し、読者を知的興奮に誘います。
小網代の森、ムジナの森、小杉湯などの豊富な事例も、説得力を高めています。