久元 喜造ブログ

2013年11月23日
から 久元喜造

ポートタワー開業50周年

神戸ポートタワー が、開業50周年を迎え、11月21日に記念式典が開かれました。
私は、前日に市長に就任したばかりでしたので、この記念式典が初仕事になりました。おめでたい式典への参加が初仕事になり、ありがたく存じました。

神戸ポートタワーが、神戸港の中突堤に建設され、開業したのは、1963年(昭和38年)11月21日のことでした。
私は、川池小学校の4年生でした。
ポートタワーが、その鮮やかな深紅の、鼓形の姿を現し、神戸の風景が変わったのを覚えています。挨拶でも申し上げましたが、新しい時代に入っていく予感のようなものを感じました。
翌日の11月22日、ケネディ大統領が、ダラスで暗殺されました。テレビで次々に生々しい映像が映され、衝撃を受けたのを覚えています。キャロライン、ジョンの姉弟の姿も印象的でした。
そして、あのときのキャロライン・ケネディ氏が駐日大使になられました。いつの日か、神戸にお迎えするのを楽しみにしたいと思います。

ポートタワーに話を戻しますと、ポートタワーは、美しい鼓形をしていることで知られますが、これは曲線ではなく、直線の鋼管を斜めに組み合わせることで生み出されています。

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式典では、近くのみなと保育所の子どもたちが、赤、白、青の風船150個を空に飛ばしてくれました。
みなと保育所は、当時もすでにあり、やはり、保育所の子どもたちが、開業式典に招かれたそうです。
開業式典に招かれた、当時の子どもたちを、50年後の式典にお招きすれば、きっと喜ばれたことでしょう。


2013年11月20日
から 久元喜造

第16代神戸市長に就任しました。

きょう、第16代神戸市長に就任しました。
市民の負託を受け、身が引き締まる思いです。
生まれ育った神戸のために、全身全霊を尽くします。

きょうは、8時45分から、東遊園地「慰霊と復興のモニュメント」へ。
9時から、市役所に登庁しました。
大勢に市職員のみなさんに出迎えていただき、感激しました。
9時半から、局長会議、10時から、課長級以上のみなさんへ、市長就任の挨拶を申し上げました。
同時に、職員のみなさんに、メールでご挨拶のメールをお送りしました。

11時45分から、矢田前市長から、事務引き継ぎを受けました。
半世紀以上にわたって、神戸市政に貢献され、3期12年にわたり市長を務められた矢田市長から、お教えを乞わなければならないことはたくさんあります。
今後とも、よろしくご指導をいただきますよう、お願い申し上げます。
13時から、市会の各会派にご挨拶し、14時から、本会議場で開催された全体議員総会で挨拶をさせていただきました。
15時半から、記者会見に臨みました。

できるだけ早く、新しい神戸市政の陣容を固め、仕事にとりかかりたいと念じています。


2013年11月16日
から 久元喜造

ニューヨーク市長の交代

11月5日に行われたニューヨークの市長選挙では、民主党の新人、ビル・デ・ブラシオ氏が、共和党のジョセフ・ロータ氏を大差で破り、当選しました。
3期務めたブルームバーグ現市長の後を継いで、ニューヨーク市長に就任するのは、来年の1月1日です。

デ・ブラシオ次期ニューヨーク市長が就任までに行わなければならないのは、ご多分にもれず、人事です。
大統領が交代すると、ホワイトハウスのみならず、連邦政府の各省の幹部が大幅に入れ替わることはよく知られていますが、ニューヨークのような「強い市長制」(strong-mayor form)の形態をとる自治体でも、市長が交代すると、かなりの数の高級幹部が入れ替わります。

米国の自治体事情に詳しい友人の正田譲さんによれば、ニューヨーク市の職員は、約29万5000人(フルタイム及びパートタイム)(2013年6月30日現在)ですが、このうち、市憲章(New York City Charter)で、市長により政治任用される高級幹部のポストは、副市長、法律顧問、報道官、教育総監、警察総監、消防総監、各局長など120余りのようです。
実際、これらのポストに就いている幹部は、市長が交代すると、ほとんど全員が入れ替わるようです。さらに、局長の下の中堅幹部クラスも、市長の交代を契機に自発的に辞めていく例も多いようで、市長が交代すると、かなりの人数の幹部がニューヨーク市を去り、新しい人材が大量に入ってくることになります。

今回の選挙後においても、ブルームバーグ現市長によって任命された副市長、各局長などの多くは、既に次の仕事に転職しており、歯抜け状態だと言います。また、中堅の管理職レベルでも、民主党市長をいやがってどんどん退職しているようです。

市長の交代に当たっては、一種の政権移行チームがつくられるようで、デ・ブラシオ次期NY市長は、4人を指名してチームをつくり、就任に向けて準備しています。
次期市長と政権移行チームの最大の仕事が、政治任用による人事であることは、言うまでもありません。


2013年11月7日
から 久元喜造

両親に選挙結果を報告。

選挙が終わって何日か経った晩秋の日に、両親の墓前に選挙の結果を報告しました。

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両親とも、私が選挙に出るのには反対でした。私が自分から選挙に出るつもりがないことはよく知っていましたが、霞ヶ関にいる人間には、政党筋などから出馬の働きかけがよくあることを知っていました。

とくに母は、晩年、認知症になりながらも、帰省するたびに、「選挙には出たらあかん」と繰り返し申していました。
ある日、病院に母を見舞ったとき、中が空っぽの小さな冷蔵庫を指さしてこう言いました。
「喜造、あそこに金庫があるやろ。あの金庫に、何億いうカネが入っとんねん。あのカネ、全部、喜造にやるわ。そやけどなあ、喜造、選挙にだけは絶対に出たらあかんで」

父は、平成18年夏に、母は、平成19年冬に亡くなりました。

私から選挙の結果の報告を受けた両親が、何と思ったかはわかりません。
「言うとったやないか。選挙はえらかったやろ」
と呟いていたかもしれません。

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2013年11月3日
から 久元喜造

選挙の日を振り返る。

備忘録として記させていただくことをお許しください。

10月27日の神戸市長選挙投票日は、昼過ぎに、マスコミ筋より、私が他候補にリードされている、というショートメールが入ってからは、悪い情報ばかりでした。
午後8時半過ぎから、事務所の近くで待機しましたが、開票速報やマスコミの出口調査が伝えられ、落選を覚悟しました。

落選すること自体に不安もおそれもありませんでしたが、副市長を辞めてから市内のあちこちを回り、目にした地域の姿が次々に走馬燈のように浮かび、ああしたい、こうしたいと思っていたことが、すべてできなくなることに、一抹の寂しさを感じておりました。
落選したら、再び選挙に出るつもりはありませんでしたので、市長という立場で、神戸に奉仕する機会が永遠に失われることは、残念でたまりませんでした。
家内は、終始ニコニコしながら、テレビを眺めたり、持参したチョコレートを勧めたりしていました。

ふと我に返り、相手候補に当選確実が出たらすぐにマスコミの前で挨拶をしなければならないことに気づき、敗戦の弁を考え始めました。だいたい頭の中で文章がまとまったとき、携帯に、私に当選確実が打たれた、早く事務所に来るように、との連絡が入り、たいへん驚きました。

事務所前で車を降りると、ものすごい人だかりで、すでに歓声の渦でした。あとのことは、無我夢中で、あまり覚えていません。

改めて、神戸市長として仕事をさせていただくこと機会を与えていただいたことに感謝申し上げますとともに、責任の重さを痛感しています。

11月20日に、第16代神戸市長に就任することになります。
市政がとぎれることなく、しっかりと仕事をすることができるよう、準備したいと思います。


2013年11月2日
から 久元喜造

当選のお礼

10月27日の神戸市長選挙。
厳しい選挙でしたが、当選させていただきました。
心より、御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

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選挙の当日より、むしろ、自由がなくなる毎日でした。
ここに、ようやく御礼をさせていただくことができ、感謝しております。

本当にありがとうございました。


2013年10月26日
から 久元喜造

選挙運動が終わりました。

きょう、10月26日午後12時をもって、神戸市長選挙の選挙運動は、終わりました。
最終日のきょうは、北区、東灘区、灘区、中央区を遊説した後、元町商店街、三宮センター街を歩き、大丸前、三宮駅前で、街頭演説をさせていただきました。東京からは、片山さつき参議院議員が応援に駆けつけてくださいました。
午後8時前に、事務所前で、応援していただいたみなさまに挨拶させていただいた後、西神山手線の西神中央、名谷駅前で、11時過ぎまで、挨拶をさせていただきました。
こうして、私の市長選挙の選挙運動は終わりました。

両親は、7,8前に相次いで亡くなりましたが、亡くなる寸前まで、「喜造、選挙には出たらあかん、絶対にあかん」と言い続けていました。選挙がいかに大変かを、想像で知っていたのかも知れませんし、それ以上に、息子を、選挙向きに育てたのではないことを自覚し、その上に公務員人生を歩いてきた息子が、選挙のような大それたことに挑戦する恐ろしさを、よく知っていたのかも知れません。

そのような自分が、何とか、きょうまで、選挙を五分に戦ってくることが出来ましたことは、本当に、ありがたいことでした。たくさんのみなさんから応援していただき、親身になって心配してくださり、お骨折りをいただいたおかげで、無事、選挙運動を終えることができました。
なんとか、きょうの日を迎えることができましたことに対し、心より、感謝を申し上げたいと思います。

明日の夜、遅くとも、深夜には、神戸市民のみなさんの審判が下ります。
その上で、改めて、ご挨拶を申し上げたいと思います。


2013年10月25日
から 久元喜造

東灘区の政策

選挙戦もあと1日。
さきほどは、9時半近くまで、JR住吉駅に立ち、快速で、垂水に移動しました。

きょうは、東灘区の政策について触れてみたいと思います。

東灘区は、清流住吉川と六甲山に代表される自然豊かなまちで、だんじりなどの伝統行事も盛んに行われており、関西でも屈指の住環境を誇っています。灘五郷を形成する御影郷や魚崎郷の日本酒、スイーツといった食品産業も盛んです。

東灘区は、「多子高齢化」という珍しい地域課題を抱えています。阪神・淡路大震災で倒壊した酒蔵跡などに次々とマンションが建設され、多くの若年世帯が転入して来られました。そうして、年間約2,000人の子どもが誕生する「多子」の街となりました。魚崎小学校では、生徒数が1,400人を超え、全国でもトップ3に入るマンモス校となっています。

その結果、いろいろな課題も発生していますので、早期に待機児童を解消し、過密状態にある学童保育コーナーを増設するなど、安心して子育てが出来る環境を整えていく必要があります。

同時に、高齢化も進んでいますので、医療と介護の連携強化を図り、認知症対策や介護予防事業なども充実させていきたいと思います。

海上都市・六甲アイランドでは、賑わいづくりが必要です。地域住民の方と締結したパートナーシップ協定を進め、地域の活性化や防災対策に取り組んでいきます。引越しシーズンには、島内に、臨時行政窓口を開設することも必要だと考えています。

先月、移転オープンした東灘図書館は、連日、多くの利用者で賑わっています。旧・東灘図書館の跡地施設についても、地元の方々と利用方法について意見交換をしていきたいと思います。

このほか、街なかにまで出没するイノシシ対策や、臨海部の津波対策、南北交通の充実、阪神電車の連続立体交差の早期整備など、安全・安心なまちづくりをしっかりと進めていきます。

このように、阪神間モダニズムの面影が残る東灘区の良好な住環境を、住民のみなさんととともに、しっかりと守っていきたいと思います。

 

 

 


2013年10月24日
から 久元喜造

灘区の政策

きょうは、灘区の政策について触れてみたいと思います。

美しい六甲山・摩耶山に抱かれた灘区は、山麓部を中心に市内有数の文教地区が形成され、中央部には神戸の台所の一つである水道筋商店街地区、南部には重化学工業地帯と灘五郷の一つ西郷の酒どころが広がっています。

これからの灘区の将来を考えるとき、六甲山・摩耶山の魅力向上と活性化がとても大切だと思います。
都心のすぐ近くに、このような美しい山があるのは、素晴らしいことです。もっともっと多くの人が訪れる身近で魅力的な山とすることが出来るのではないでしょうか。
そのために、山での新しい遊び方の提案、回遊性の向上、夜景をもっと楽しめるよう山上へのアクセス向上などに取り組みたいと思います。

一方、地域の賑わいと活気を生み出すためには、商店街の賑わいを創出することが大事です。
買い物の場としてだけでなく、商店街が子育てや福祉など地域課題の解決の新たな拠点となるよう、大規模小売店舗にはできない役割-「区民に欠かせない商店街」の地位の確立に向けた新たな挑戦を支援していきたいと考えています。

学生のまちとして、これらの課題や、防災対策、住民の皆さんの安全・安心の確保などに、積極的に若者の知恵と力を取り入れることも効果的だと思います。

県立美術館から王子動物園までの「ミュージアムロード」は、芸術、文化の薫る通りとなるよう取り組みを進めるとともに、灘五郷の歴史と伝統の保全・継承にも取り組みます。

また、ゲリラ豪雨が増えていることもふまえて、関係機関と連携して、都賀川の安全対策や土砂災害対策に取り組むとともに、臨海部の防災対策を進めます。

このように、住民や学生、事業者と連携して、区内の地域資源や魅力を引き出して磨くことが、よりよい灘区づくりにつながると考えています。

詳しくは、久元きぞう 政策・灘区 をご覧ください。

 

 


2013年10月23日
から 久元喜造

中央区の政策

今日は、中央区の政策について触れてみたいと思います。

中央区は、交通の要衝である三宮、新幹線の停車する新神戸、神戸空港があり、神戸の中心地であり玄関口です。また、北野の異人館や旧居留地、ウオーターフロント、南京町、ハーバーランドなど、人が行き交う魅力的な観光地が多数存在しています。
そして、大学・医療機関・企業が集積するポートアイランドは、神戸の成長戦略をけん引する一大拠点となっています。

私は、新神戸駅からフラワーロードを南下し、三宮駅周辺を大きくエリアに取り込み、ウオーターフロント、元町、旧居留地、元町商店街、ハーバーランドに至るエリアを大胆に活性化し、人の流れを創る「神戸未来都市創造プロジェクト」を政策の柱として掲げています。

まず、全市への経済波及効果が高い三宮駅周辺において、鉄道事業者から表明されている駅ビルの再整備計画と連携し、周辺地区の再整備と交通結節機能の強化をすすめます。
また、国際都市神戸の顔でもある中央区にふさわしいまちの景観を維持し、美しいまちを創るとともに、国際交流を進めていきます。
違法広告・看板の撤去、ごみ不法投棄対策、客引きへの対応、落書き消去に、地域住民の皆さんや事業者の皆さんと一体となって取り組み、「安心して気持ちよく遊べる三宮」を目指します。

地域住民の皆さんの通行の安全のみならず、観光客が安全に神戸のまちの散策を楽しめるよう、通行の妨げとなる違法駐輪の対策を進め、美しく魅力のあるまちを実現します。

外国人コミュニティがそれぞれ独自に開催している交流イベント、コミュニティのイベントの情報発信や、地域住民の皆さんや大学との交流を支援し、地域や市民との交流を図り、新しい都市文化の形成を目指します。

そして、「ポートアイランドの活性化」にも取り組みます。大学・医療機関・企業による国内有数の集積を、地域コミュニティとつなぎ、ポートアイランドを活性化していきます。
島外からの人の流れをさらに加速するため、また、島内での交流を図るため、交通アクセスも含めて様々な視点から住民・企業・大学の皆さんとともに方策を考えていきます。

多様な魅力をもつ中央区。
神戸の玄関口にふさわしいまちなみをつくり、周辺への人の流れを呼び込むため、住民や事業者の皆さんとともに、地域全体の魅力アップ、まちの活性化に取り組んでいきます。

詳しくは、久元きぞう 政策・中央区 をご覧ください。