選挙が終わって何日か経った晩秋の日に、両親の墓前に選挙の結果を報告しました。
両親とも、私が選挙に出るのには反対でした。私が自分から選挙に出るつもりがないことはよく知っていましたが、霞ヶ関にいる人間には、政党筋などから出馬の働きかけがよくあることを知っていました。
とくに母は、晩年、認知症になりながらも、帰省するたびに、「選挙には出たらあかん」と繰り返し申していました。
ある日、病院に母を見舞ったとき、中が空っぽの小さな冷蔵庫を指さしてこう言いました。
「喜造、あそこに金庫があるやろ。あの金庫に、何億いうカネが入っとんねん。あのカネ、全部、喜造にやるわ。そやけどなあ、喜造、選挙にだけは絶対に出たらあかんで」
父は、平成18年夏に、母は、平成19年冬に亡くなりました。
私から選挙の結果の報告を受けた両親が、何と思ったかはわかりません。
「言うとったやないか。選挙はえらかったやろ」
と呟いていたかもしれません。