久元 喜造ブログ

2018年6月26日
から 久元喜造

水素ステーション、セルフ式解禁へ


6月21日の日経新聞一面に、「水素補充、セルフ式解禁」「経産省  燃料電池車普及後押し」という見出しの記事が掲載されていました。
「経済産業省は燃料電池自動車(FCV)の普及に向け、燃料を供給する水素ステーションの規制を緩和する」
「ドライバーが自ら水素を補充する「セルフ式」を解禁、一定の条件を満たせば監督者1人で運営できるようにして、水素ステーションの設置を促す。将来は無人化も検討する」

ちょうど、今月初めにスコットランドのアバディーンに出張したとき、セルフ式の水素ステーションを視察したばかりだったので(上の写真)、記事を興味深く拝読しました。
このとき視察したアバディーンの施設(Aberdeen City Hydrogen Energy Storage )は、アバディーン市などが持つ公用・公共車両が対象で、 燃料電池自動車(FCV) 14台、水素バス10台などに水素の充填を行っています。
車両への充填はセルフで行われます。
欧州では、ステーションでの充填はセルフが基本のようです。

ステーション自体が無人で、遠隔オペレーションが行われ、週1回メンテナンスの際にスタッフが駐在します。
車両への充填だけではなく、水を電気分解して水素を製造して圧縮、貯蔵する複合的な施設でした。

神戸市内の商用水素ステーションはまだ1箇所で、これを増やしていく見地からも今回の経産省の方針は追い風になります。
もちろん、安全が第一です。
アバディーンの施設も参考にしながら、民間事業者のみなさんとともに、ステーションの増設を含め、水素サプライチェーンの構築に向けて取り組んでいきたいと思います。


2018年6月24日
から 久元喜造

柏原宏紀『明治の技術官僚』


サブタイトルにあるように、幕末の1863年5月に英国に向けて密航していった、長州藩の五名の藩士「長州五傑」を中心に描いた物語です。
伊藤博文井上馨 は、明治期を代表する政治家となり、その名を歴史にとどめています。
ほかの3人は政治家ではなく、「技術官僚」として生涯を全うしました。
本書では、これまであまり語られることがなかった彼ら3人の生涯に焦点が当てられます。

井上勝 は、我が国における鉄道の導入から拡大までを主導した人物として、東京駅前広場に銅像が建てられています。
遠藤謹助 は、造幣局長として近代的な造幣事業のスタート段階で大きな役割を果たしました。
引退後、東京から神戸葺合村に移り住み、老後を過ごそうとした矢先、伝染病のために逝去しました。
山尾庸三 は、鉄道、電信、造船など西洋を範として進められる諸事業を統括する工部省の創設、理系の知識を指導する工部大学校の設立などに尽力しました。

3人はいずれも、老年に至るまで官界に属し、自らの専門知識、経験を活かして政策運営に当たりました。
安閑として職にとどまるのではなく、職を賭して政策の実現に邁進する「技術官僚」の生きざまには感銘を覚えました。
同時に彼らが官僚組織の階梯を登るにつれ、また政治との関わりに労力が割かれる中で、その専門性の維持、更新との間にジレンマが生じていったことも描かれていきます。

井上勝、遠藤、山尾、そしてその後に続いた人々が、我が国の行政組織における技術官僚の地位を確立していきました。
彼らの行動は、今日における、政治家との関係を含む技術官僚のありように対し、意義ある示唆を与えているように感じました。


2018年6月22日
から 久元喜造

辞令の廃止に思う。


ずいぶん久しぶりに札幌を訪れることになったとき(2018年5月16日のブログ)、当時いただいた辞令を見たくなり、綴じたファイルから辞令を取り出しました。
すると面白いことに気づきました。
札幌に赴任し、桂信雄市長からいただいた辞令はB5、自治省に復帰して野中広務自治大臣からいただいた辞令はA4だったのです。
この間に、B5からA4への転換があったことがわかりました。

改めて、1976年4月の自治省採用辞令から、2012年9月、総務省を辞職したときまでの辞令を眺めました。
それらは、36年余りの公務員人生そのものです。
このように、自分なりに辞令に対する思いがあったものですから、今年初めに、人事当局から辞令の原則廃止の提案を受けたとき、少々驚きました。

神戸市では、4月に定例人事異動を行っていますが、全等級を対象に辞令交付式を実施し、係長級以上の職員には市長が交付してきました。
これを改め、採用、退職、不利益処分を除き、辞令そのものを今年度から廃止しようとする大胆な提案でした。
当然、辞令交付式もなくなります。

年度の変わり目は、引っ越し、入社、退職、入学などの時期で、市役所にとって繁忙期に当たります。
そんな時期に、大勢の職員が辞令交付のために席を離れ、また辞令を持参してあいさつ回りをする現状を改めたいという人事当局の提案は、合理的なものでした。
個人的な違和感を封印し、その場で了承しました。
すでに辞令の作成をやめた政令指定都市が7市あることもわかりました。
私が公務員として働いた時期は過去のものとなり、時代は確実に変わりつつあることを実感しました。


2018年6月18日
から 久元喜造

「有馬-高槻断層帯」に要注意


今朝の7時58分、大阪府北部を震源とするM6.1の地震が発生しました。
地震により亡くなられました皆様に哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
神戸市では、8時00分、神戸市災害警戒本部、各区災害警戒本部を設置し、災害への対応を開始しました。
北区で軽症者1名が発生し、救急出動したほか、エレベーターへの閉じ込めが7件発生しました。

気象庁の会見によると、震源のごく近くに「有馬-高槻断層帯」があり、この活断層の一部が動いたかどうかを今後解析するとしています。
「有馬-高槻断層帯」については、以前から承知しておりました。
熊本地震が起きる少し前に、地震に関するNHKスペシャルが放映され、番組の中で、熊本など九州南部で大きな地震が発生する可能性を指摘されていたのが、京都大学地震予知研究センターの西村卓也准教授でした。

私はたまたまこの番組を録画し、保存していました。
熊本地震が起きてしばらく経って番組を見、その的確な指摘に感銘を受け、西村先生に市役所で講演を行っていただきました。(2017年6月6日)
そして、西村先生が講演の中で指摘されたのが、「有馬-高槻断層帯」の存在だったのです。
西村先生の資料には「有馬-高槻構造線の地震は、国の長期評価では想定的評価は低いが(Zランク)、現在の地殻変動や過去の地震発生履歴から決して安心とは言えない」と書かれてありました。
今回の地震を踏まえると、西村先生は、再び的確な指摘をされていたことになります。

神戸市北部は、台風や豪雨などでたびたび崖崩れなどの被害が発生していることから、北建設事務所の人員増を図っていますが、来年度はさらに拡充するなど、対策を強化していきたいと思います。

 


2018年6月16日
から 久元喜造

百耕資料館「兵庫県第三区」展


少し前にことになりますが、板宿の「百耕資料館」で開催された企画展「兵庫県第三区~明治初期兵庫県の地方行政と住民~」にお邪魔しました。
同館では、板宿の旧家、武井家に伝わる歴史資料、美術資料が公開されています。
館の名称は、明治初期、兵庫県会議員などを歴任し、近代黎明期の地方行政にかかわった武井伊右衛門の雅号に因んで名づけられました。
武井家のご当主、武井宏之館長、森田竜雄主任研究員がご対応くださいました。

展示は、幕末における行政組織の説明から始まります。
代官、藩主は村を直接統治したのではなく、両者の間には組合村のような中間支配機構が存在しました。
組合村は、代官所などの行政を補うとともに、村々に共通の利益を代表する役割も併せ持ち、惣代庄屋を中心に村民の自治により運営されていました。
このような隣保共同の組織が、明治初期の行政組織に移行していく過程がよく理解できました。

1868年に第1次兵庫県が成立した後、翌年、県内に19の区が置かれると、板宿村と周辺の村々の地域は第3区となりました。
区には会議所が置かれ、区長は「入札」つまり選挙で選ばれました。

第3区に残されている「入札規則」では、自書署名捺印が要求され、白票は禁止されていました。
第3区では、惣代庄屋であった武井善左衛門(武井伊右衛門の父)が区長に就任しました。

幕末の地域リーダーが明治維新後の新制度の下で、公選職として選ばれていったことが窺えます。

近代日本の地方制度は、1878年に府県会規則などいわゆる三新法が制定されて基礎がつくられました。
今回の展示では、いわばその前夜にあたる過渡期の地方行政、自治の実態の一端に触れることができ、たいへん有意義でした。


2018年6月13日
から 久元喜造

犯罪被害者への支援を強化します。


犯罪により被害に遭われた方に対しては、社会全体で支援をしていくことが必要です。
国からの犯罪被害者等給付金制度などに加えて、神戸市では、平成25 年4 月に「神戸市犯罪被害者等支援条例」を施行し、犯罪被害者への支援を行ってきました。

このような中、平成9年に発生した須磨区の連続児童殺傷事件から20 年が経過し、改めて犯罪被害者への支援のあり方が問われています。
また全国犯罪被害者の会「あすの会」がこの6月に解散し、同会のみなさんの想いを引き継いでいくことが求められています。
こうしたことから、神戸市では 、現行の犯罪被害者支援方策を拡充することとし、一昨日に開会した神戸市会に、条例の改正案を提案することにしました。

今回の改正では、現行条例で規定している日常生活への支援策、すなわち「 一時的な生活資金の支給」「 一時的な住居の提供」「 雇用の安定及び確保」に加え、「 子どもの教育支援」 を追加することとし、これらの支援策を市の責務として行うことを明確化します。
また、犯罪被害者が各種行政手続を行う際の窓口の一元化など、プライバシー保護に努めることを市の責務として明記しました。

条例改正案を議決いただければ、具体的な支援策として、家庭教師の費用や通学時の送迎費用等に対する補助 、就労支援金、転居後の家賃補助を新設するとともに、 一時支援金の増額、市営住宅家賃の無償化などを実施します。
今回の改正により、神戸市の犯罪被害者の方々に対する支援策は、全国の自治体の中でもトップクラスの水準となります。
今後とも、犯罪被害者に寄り添った対応ができるよう取り組んでいきます。


2018年6月10日
から 久元喜造

不眠都市ロンドン


スコットランド出張の途中、ロンドンに一泊しましたが、ホテルの部屋が道路に面していて、車が通る音で目が覚めました。
時刻は、午前3時過ぎ。
せっかくの機会なので、寝るのはやめて、夜中のロンドンの路上を部屋の窓から観察することにしました。

そんなに大きな幹線道路でもないのに、頻繁に車が通っています。
トラックやタンクローリーはほとんど走っておらず、大半は自家用車のようです。
歩道には、4,5人の若者がぶらぶら歩いています。
かと思えば、一人の若い女性が自転車で通り過ぎて行きました。
最近、ロンドンの治安はかなり悪化していると聞いており、大丈夫か心配になります。
窓の下にはバス停があり、まだ午前4時にもなっていないのに、路線バスが到着しました。
結構、乗客がいます。

ロンドンの街は、夜中でも早朝でも、休むことなく活動を続けているようです。
週末には地下鉄の一部の路線で24時間運行が行われています。
まさにロンドンは、不眠都市と呼んでも良いでしょう。

ナイトタイムエコノミーの活性化が課題になっている神戸にとり、不眠都市ロンドンの姿は参考になります。
地下鉄の24時間運行は無理ですが、中心市街地の博物館、ミュージアムの閉館時間を遅らせたり(2017年11月24日のブログ)、飲食店などのお店には、もう少し遅くまで営業していただけるような環境づくりが求められます。

同時に人間にとり、覚醒と睡眠の健全なサイクルは必要です。
街全体を不眠状態にしていくことについては問題も多いことでしょう。
「夜」を豊かなものにしていく見地から、地域特性に応じた取り組みが求められるように感じます。


2018年6月7日
から 久元喜造

海洋産業分野でのスコットランドとの連携


今年は、震災後スタートさせた神戸医療産業都市が20周年を迎え、次世代産業として、航空機部品、ロボット、水素エネルギー分野の産業育成に取り組んでいますが、さらに先を見据えると、海洋産業クラスターの形成が魅力のあるテーマとして浮上します。
2年前から、北海油田があり、海底資源探査など海洋産業が発達している英国スコットランドとの連携をスタートさせました。 昨年2月には、スコットランド有数の海洋産業・人材クラスターを形成しているアバディーン市のジョージ・アダム市長が来神され、また、7月には、スコットランド国際開発庁と共催で海洋ビジネスに関するセミナーを神戸で開催しました。

このような成果の上に、さらにスコットランドとの連携強化の方策を探ることとし、神戸市から経済界、学界、市会の関係者から成る訪問団を編成して、アバディーンを訪問しています。
きょうは、午前中、アバディーン市役所を訪問し、クロケット市長との間で、海洋産業分野のビジネス交流や人材育成に関する意思確認書を交換しました。


続いて、ロバート・ゴードン大学で行われたセミナーにおいて、私から神戸における海洋産業クラスターのポテンシャルなどについて説明し、神戸大学、参加企業の代表者からプレゼンテーションが行われました。

初めてアバディーンを訪れましたが、神戸にはない知見、テクノロジーと戦略、人材の厚みがあることがよく分かりました。
スコットランドとの交流を深めながら、神戸における海洋産業クラスターの形成に向けて具体化を図っていきたいと思います。


2018年5月31日
から 久元喜造

「リーダーの本棚」に追加したい1冊


2年半ほど前、 日経新聞リーダーの本棚」に、私の読書歴を取り上げていただいたことがありました。(2015年9月20日朝刊)
見出しは、「近代が立体的に見える瞬間」。
日本の近代システムを創り上げていった政治家、官僚たちの群像、彼らを冷ややかに眺めていた永井荷風、さらにはプロレタリア文学、西洋音楽の摂取、大陸人脈の系譜などの視点を交錯させることによって、日本の近代を立体的に見ることができるのではないか、という問題提起でした。

このほど、日本経済出版社 から『リーダーの本棚』が単行本として出版されました。
各界の方々とともに、私のインタビューも掲載され、光栄に存じております。
この中で、『明治国家をつくる』(御厨貴著 藤原書店) を取り上げたのは、地方制度の整備と首都東京の建設が密接にリンクしていて、このことは、今日、地方創生と東京問題との関連に通じると感じたからです。

一方、我が国の近代化と経済発展には、神戸も大きく貢献しました。
神戸は日本を代表する国際港湾都市として発展していきましたが、同時に、労働問題や貧困など我が国の近代化の過程で露呈していった矛盾が噴出し、無産政党の活動も盛んでした。

火輪の海-松方幸次郎とその時代-』 (神戸新聞社編)には、松方の生涯を通じて、神戸の近代が鮮やかに描かれていますが、そこに描かれている大都市神戸の発展と混沌は、我が国近代の縮図でもありました。
日経新聞社からインタビューを受けたとき、本書を含めていれば、さらに「立体的」に我が国の近代を俯瞰することができたのではないかと改めて悔やまれます。


2018年5月27日
から 久元喜造

深井智朗『プロテスタンティズム』


ルターの「宗教改革」のイメージを根底から変えてしまうとともに、現代政治への示唆にも富む、刺激的な内容でした。
ルターは「プロテスタント」という新たな宗派を生み出そうとしたのではなく、カトリックの中での改革を試みた、という指摘から本書は始まります。
彼が批判したのは、贖宥状(免罪符)の販売でした。
贖宥状批判はローマ教皇や聖職者の経済的利益に関わり、政治的意味を持つに至ります。

聖書の解釈を最重要視するルターの主張は、当時の印刷技術の発展に支えられ、瞬く間に広がりました。
ローマ教皇はルターを破門にし、神聖ローマ皇帝カール5世は彼を異端と断じますが、問題はこれで解決せず、領主たちはローマ教皇、ルターのいずれの側に立つのかが問われることになりました。
ルターの死後、1555年、「アウクスブルク宗教平和」と呼ばれる決定が行われます。
領主が自分の領邦の宗教を決定できることになり、以後のドイツの各領邦は、「皇帝の古い宗教」(=カトリック)と、「アウグスブルク信仰告白派」(=プロテスタント)に色分けされていきました。

プロテスタントはドイツのみならず諸外国に広がり、そして枝分かれしていきます。
著者は、それら多様な動きを、「支配者の教会」と「自発的結社としての教会」に分かちます。
前者は、たとえばドイツ帝国において国教的役割を果たし、後者は、さらなる改革運動を各国で展開していったのでした。
このように、「プロテスタンティズムは、その後の歴史の中でさまざまな種類のプロテスタントを生み出し」ました。
複雑な内容がたいへん分かり易く説かれ、欧米近代史に対する鳥瞰図的理解を深める上でたいへん有意義でした。