少し前にことになりますが、板宿の「百耕資料館」で開催された企画展「兵庫県第三区~明治初期兵庫県の地方行政と住民~」にお邪魔しました。
同館では、板宿の旧家、武井家に伝わる歴史資料、美術資料が公開されています。
館の名称は、明治初期、兵庫県会議員などを歴任し、近代黎明期の地方行政にかかわった武井伊右衛門の雅号に因んで名づけられました。
武井家のご当主、武井宏之館長、森田竜雄主任研究員がご対応くださいました。
展示は、幕末における行政組織の説明から始まります。
代官、藩主は村を直接統治したのではなく、両者の間には組合村のような中間支配機構が存在しました。
組合村は、代官所などの行政を補うとともに、村々に共通の利益を代表する役割も併せ持ち、惣代庄屋を中心に村民の自治により運営されていました。
このような隣保共同の組織が、明治初期の行政組織に移行していく過程がよく理解できました。
1868年に第1次兵庫県が成立した後、翌年、県内に19の区が置かれると、板宿村と周辺の村々の地域は第3区となりました。
区には会議所が置かれ、区長は「入札」つまり選挙で選ばれました。
第3区に残されている「入札規則」では、自書署名捺印が要求され、白票は禁止されていました。
第3区では、惣代庄屋であった武井善左衛門(武井伊右衛門の父)が区長に就任しました。
幕末の地域リーダーが明治維新後の新制度の下で、公選職として選ばれていったことが窺えます。
近代日本の地方制度は、1878年に府県会規則などいわゆる三新法が制定されて基礎がつくられました。
今回の展示では、いわばその前夜にあたる過渡期の地方行政、自治の実態の一端に触れることができ、たいへん有意義でした。