久元 喜造ブログ

2015年12月4日
から 久元喜造

鈴高新聞 1995年2月28日号

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先日、高校生のみなさんと防災情報の伝え方についてディスカッションをしたとき、県立鈴蘭台高校の「記者」が取材に来てくれました。
そして、帰り際に、「あとで読んでください」と、紙封筒をいただきました。

封を開けると、「鈴高新聞」が入っていました。
まず、1995年2月28日(火)発行の鈴高新聞が目に入りました。
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震災から一月あまりしか経っていない日付の新聞には、卒業式とともに、震災に関する記事がたくさん掲載されていました。
「窓ガラス100枚われる」との見出しで、「図書室の上の屋上の陥没や窓ガラスが割れるなど、校舎にも多くの破損個所が見つかった」ことが記されていました。
かなりの被害だったと想像できますが、それにもかかわらず、「他校に比べて被害はわずか」との見出しがつけられています。

周辺住宅地を含めて大きな被害を受けた県立兵庫高校が、2月8日から鈴蘭台高校で授業を開始し、対面式と両校の校長、生徒会長のあいさつが行われたことも記されています。
過酷な状況を、高校の先生方、生徒のみなさんが助け合って乗り越えていこうとする様子が、いきいきと伝わってきました。

ほかの新聞も同封されていて、2015年1月26日号では、東遊園地での追悼式に編集部員が参加した模様と感想が記されていました。

震災当時まだ生まれていなかった鈴高のみなさんが、当時のことに思いを馳せ、あの日と今をつないでいこうとしていることがよくわかりました。
鈴高のみなさん、ありがとう!


2015年12月1日
から 久元喜造

「獣害」対策、都市部も本腰を。

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11月29日の神戸新聞朝刊に、里地里山問題研究所代表理事、鈴木克哉氏の論考が掲載されていました。
タイトルは、「「獣害」対策、都市部も応援を」です。

多くの農山村における獣害の実態に触れ、「対策をしなければさらに被害は激増し、その結果として耕作放棄地は増え、野生生物の分布はさらに都市部へと拡大していくだろう」と警鐘を鳴らしておられます。
そのとおりだと思います。
すでに、神戸市においても、鹿の生息域が拡大している兆候が見られます。
何としても、食い止めていかなければなりません。

鈴木氏は、「このような農山村の問題の内実は都市部ではあまり知られていない」とも書いておられますが、これもそのとおりだと思います。
神戸市役所でも、担当の農政部の幹部の話では、庁内でイノシシ対策の必要性を話しても、少し前までは、笑い話にされるだけで、まともにとりあってもらえなかったのだそうです。

私は、市長になる前から、その重要性を指摘してきました。(2013年8月2日のブログ など)
神戸市政においても、有害鳥獣対策を自らの問題として捉えるとともに、域外の取り組みに積極的に貢献していくことが求められるのではないでしょうか。
とくに、ハンターの高齢化と減少が問題になっています。
神戸市として、その養成を図り、できれば地域の垣根を超えて、活動できるようにしていくことが理想です。
また、イノシシ、鹿をジビエ料理として提供していくことも大切で、この点でも、まだまだ努力する余地がありそうです。


2015年11月28日
から 久元喜造

何回でも言う。マイクは大事だ。

式典、会議、イベントは、マイクが不備だと台無しになります。
このことは、2014年5月23日のブログ 2014年5月25日のブログ で触れました。

秋の式典やイベントの季節も終わりましたが、マイクの不備のために、途中で進行が滞ったり、混乱することが何度かありました。
たいへん残念です。

それぞれの行事を担当している部局からみれば、毎年やっていることかもしれませんが、その行事にお招きしているみなさんにとっては、一度だけの機会であることが多いはずです。
失礼のないように対応することが、主催者としての義務ではないでしょうか。

二月ほど前、東京で、ある民間企業とのコラボで記者会見したことがありました。
控え室で待機しているように言われたのですが、つまらないので、会場を下見に行ったところ、リハーサルの様子を拝見することができました。

リハーサルの大事なポイントは、マイクでした。
すでに会場に入られている記者や金融機関のみなさんも多数おられましたが、担当の方がステージ上から、くり返し、マイクを通した声が聞こえますか、音量は適切ですか、と会場のみなさんに尋ねておられたのです。
ステージの進行に応じて、マイクを取り換えて声を出し、後ろの方も聞こえますか、大丈夫ですか、と繰り返し確認しておられました。

記者会見中に不都合があってはいけない、何が何でも成功させなければいけない、という主催者のみなさんの執念を感じることができました。
見習わなければなりません。


2015年11月25日
から 久元喜造

ヒトラーと退廃美術

以前取り上げた小説『遺譜』では、ナチスドイツが「退廃芸術」の烙印を押し、押収した絵画の行方がモチーフになっていました。
ベックマン、シャガール、カンディンスキー、パウル・クレー、マチス、ムンク、ノルデなど19世紀後半から20世紀前半に活動した画家の作品です。

ナチスドイツは、彼らから見て唾棄すべきこれらの作品を、ただ国民から遠ざける方法はとりませんでした。
むしろ、それらを堂々と展示し、国民に見るよう呼びかけたのです。
この展覧会こそ、1937年7月から4ヶ月にわたってミュンヘンで開催された《退廃美術展》でした。
神奈川県立近代美術館ほかの編集による『芸術の危機 ― ヒトラーと退廃美術』は、この展覧会を中心に、ナチスドイツの文化政策とその背景、そして芸術家たちと作品がたどった運命を丁寧に描きます。
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《退廃美術展》には、印象派、表現主義、構成主義、バウハウス、新即物主義、抽象派など多種多様な様式の作品650点余りが展示されました。
そして、ときに入場制限するほどの観客が押し寄せ、会期中の入場者は、200万人を超えたとされます。

ナチスドイツは、これらの《退廃美術》への嫌悪感が国民の間に沸き上がるよう巧妙な大衆宣伝を行いました。
美術院総裁ツィーグラーは、開会レセプションの挨拶をこう締めくくります。
「ドイツ民族よ、来たりてご覧あれ、しかるのちに判断されたし」

ナチスドイツは、圧倒的な国民が《退廃美術》に拒否反応を示すことに絶大な自信を持っていたのです。

先日、兵庫県立美術館で開催された《パウル・クレー展》を鑑賞した後、本書を久しぶりに開き、改めて政治と芸術との関係についていろいろ考えさせられました。


2015年11月20日
から 久元喜造

「コンクール」から「国際芸術祭」へ進化できないか。

神戸国際フルートコンクールについては、市民福祉との関連が薄く、市民への周知度が低いことなどから、公費(税金)を投入する理由は説明できないと考えてきました。
一方、継続開催を望む声は根強く、また、市会からも、「市長が先頭に立って、協賛金や寄付金等を募る」よう申し入れがありました。

そこで、私としても、各方面に協賛金・寄付金の可能性を探ってきましたが、このほど、東京都立川市ご在住の辻正司氏(セレモア文化財団会長)及びご家族から、今後3年間に、合計4200万円のご寄附をいただけることになりました。
誠にありがたく、心より感謝を申し上げます。

これに加え、神戸市と近辺の企業、団体、市民等からの協賛金・寄付金についても、ご協力をお願いしていきます。

以上により、次回コンクールの財源は、市民の税金の投入を行うことなく、確保することができる目途がたちましたので、2017年夏頃の開催を目指して、準備を進めることとします。
これにより活用できる一般財源5000万円は、公園管理、トイレの改修など市民に身近な分野に充てていきます。

一連の議論により、コンクールへの支援の動きが広がったことはありがたく感じています。
この盛り上がりをさらに広げ、たくさんのみなさんが音楽に参画できるような契機とすることができないでしょうか。
たとえば、市民のみなさんが主体となって、クラシックやジャズのコンサート、公開レッスン、シンポジウム、展覧会などを企画し、参画できるような「国際音楽祭」に進化させる可能性です。

「神戸国際フルート音楽祭(仮称)企画検討会議」を設置し、幅広いみなさんに参画していただき、議論を進めていければと考えています。


2015年11月16日
から 久元喜造

アズミ・ハルコは行方不明

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山内マリコさんの小説を読むのは、『ここは退屈迎えに来て』(2014年7月4日のブログ)に続き、2冊目ですが、すごく面白かったです。
ストーリーは、小気味よいテンポ感で、次々に予想を超える展開を見せます。
一瞬たりとも読者を飽きさせない筆力は見事です。
しかも、ペーソスと独特のユーモアが入り交じった会話や心理描写は秀逸。

前作に続き、物語の舞台は、どこか衰退の気配が漂うある地方都市。
おそらく、作者が想定している読者層とはまったく異なる、私のようなおじさんが感想を書くと、ピント外れになることは重々覚悟の上なのですが、あえて言わしていただくなら、この作品のキーワードは、
「女の子たちが探しているつながり」
そして、
「街は遊び場だ」
ということなのではないかと感じました。

「小学生の時は活気に溢れた団地」だったのに、今は「すっかり変色し、白かった外壁は一度も塗り直されることなく鼠色に変色している」 ― そんな地方都市に、夜な夜な男性を無差別に襲う「女子高生ギャング団」が出没。
さらに、突然失踪した28歳のOL、安曇春子の行方を探す2人の若者によって、くすんだ街に何かが飛翔し始めます。

ラスト。
200人の女子高生は、「バタバタと(倒れる)男たちの姿を眺め、「ウォォォ」と雄叫びを上げると、めちゃくちゃ楽しげに飛びはねるように、一斉に走り去」り、「彼女たちがいなくなった商店街は、またいつものように静まり返る」のでした。

もしかしたら、退屈な地方都市に一瞬訪れた非日常的祝祭空間を、作者は描きたかったのかもしれません。


2015年11月13日
から 久元喜造

税金に頼るだけでは、未来は拓けない。

市の仕事は、市民の税金で賄うことが基本です。
もちろん、国からの負担金・補助金・交付金はありますが、国が使い道を指定しますから、ほかの用途には使えません。
地方交付税は、ナショナルミニマムを確保するための財源で、自治体独自のサービスに必要なお金は含まれません。

したがって、自治体独自の仕事のためには、やはり市民の税金から捻出する必要があるのですが、現実には、とても賄い切れてはいません。
たとえば、経常経費(その年度で消えていくお金。社会資本のように後の世代に残る施設のための経費は含まれない。)は、市民1人あたり約39 万円ですが、今年度の財源では足りず、約7万円を赤字市債などの借金に頼っています。
つまり、我々が今使っているお金を、後の世代にツケ回しているわけです。
すでに人口減少時代に入り、若者の数が減っている中、このような財政運営が持続可能でないことは明らかです。

税金の使途は、自治体存立の目的である「市民の福祉」に役立つかどうかを見極め、優先順位を付けていくことが必要です。
「市民の福祉」には直接役立たないけれども、各方面からの要請でやらなければならない施策については、市民の税金によることなく、協賛金、寄付金をお願いしなければなりません。
企業・団体、市民のみなさんのご理解、ご協力をお願いしたいと思います。

市役所の各局がそのような事業を実施したいと考える場合には、財政当局に一般財源の投入を要求する前に、自ら協賛金・寄付金を用意した上で、折衝に臨んでいただくことが必要です。

もちろん、私自身、協賛金・寄付金のために、しっかり汗をかきたいと思います。


2015年11月8日
から 久元喜造

田辺眞人編著『神戸人物史』

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9月2日のブログ
で、神戸ゆかりのミステリーについて記し、その中で、横溝正史について触れたところ、市役所OBの先輩が、この本を届けてくださいました。
副題は「モニュメントウォークのすすめ」。
神戸ゆかりの100人を超える歴史上の人物、そしてその銅像や墓碑銘が取り上げられています。

横溝正史の生誕地碑は、今のJR神戸駅から南西約500メートル、神戸市立湊小学校の西側の道を渡った小スペースに建てられています。
南側が生家の跡地で、今は、川崎重工の施設があります。
この碑は、「絡み合った2つのメビウスの輪がデザインされて」おり、「複雑に絡みたった難事件を名探偵が見事に解決していく様子を象徴している」ようだと描かれます。

それにしても、この『神戸人物史』に取り上げられている人物の多彩なこと。
神戸には豊かな歴史があり、数多くの人物が登場しますが、残念ながら、その痕跡は、度重なる戦乱、そして空襲、また震災の惨禍によって失われ、現在、残されている歴史遺産は、そんなに多くありません。

そのような宿命の下に歴史を刻んできた神戸では、本書で紹介されているようなモニュメントを保存していく必要性が、ほかの都市に比べて高いように感じます。
戦前や江戸時代に建立された石碑の中には、酸性雨の影響もあり、文字が読めなくなっているものもあります。
市民と行政が協働して、問題を共有することから始められないかと感じます。


2015年11月5日
から 久元喜造

夢か現か。

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1960年代の初め、小学生1,2年生だったころ、自分が見た光景が、夢だったのか、現実だったのか、当時も定かでなく、今でもよくわからないことがあります。

場所は、湊川公園 ― 毎日のように野球をしたり、うろうろしたりしてよく遊びました。
廃墟のような神戸タワーが、まだ聳えていました。
傷痍軍人がハーモニカを吹いたり、アコーディオンを弾いたりして、喜捨を求めていました。
ここまでは間違いなく現実でした。

公園から眼下の街並みを眺めると、人の気配がありません。
不気味なほど静まりかえっているのです。
空を見上げると、雲はすべてピンク色に染まり、誰が飛ばしているのかわからない飛行機が旋回していました。
神戸の街を警戒しているのか、爆弾を落とそうとしているのか、よくわかりませんでした。
確かなことは、とても怖かったということです。

母親は、くり返し、神戸空襲のことを語っていましたし、当時キューバ危機が起こったりして、人々は核戦争の恐怖に怯えていましたから、そんな雰囲気が白昼夢を現出させたのかもしれません。
あるいは、夜に見た夢を意識的に記憶し、それを今日まで引きずっているのかもしれません。

夢なのか、現実なのか。

最近読んだ、浅田次郎『ブラック オア ホワイト』は、その境目を漂うような不思議な世界に連れて行ってくれました。
長く商社マンとして勤めた旧友が、10の夢を語ります。
白い枕で見る夢は幸福感にあふれ、黒い枕で見る夢はまさに悪夢です。
それらの夢を通じて語られる商社マンの人生は、バブル期の絶頂、社内政治の中での暗転と転落・・・と、まさに現実なのですが、それがまるで夢のように感じられるのでした。


2015年11月2日
から 久元喜造

六甲アイランド・ライトアップが完成

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六甲アイランドのリバーモールが、このほどライトアップされました。
「水辺沿いのくつろぎの空間」です。

以前から、夜の雰囲気が寂しく殺風景で、特に冬は寒々としている、といったご意見をいただいていましたので、神戸市で、夜間照明の設備を整備しました。

黄色系の照明が基調のデザインです。
水路の縁の部分はテープライトを使い、樹木は下から照射しています。

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また、街路灯をLEDに変更し、彫刻や噴水など景観上アクセントとなる場所も照射することにました。
すぐ傍を走る六甲ライナーの橋脚のライトは、18色に変更が可能です。
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設計は、神戸市夜間景観形成 実施計画推進委員会 委員である㈱LEM空間工房の長町志穂先生にお願いしました。
点灯時間は、当面、日没から0時半頃(アイランドセンター駅最終電車の到着)までとしています。

派手な“イルミネーション”とは違い、六甲アイランドにふさわしい、落ち着いた雰囲気のライトアップになったと感じています。
ライトアップによって、街の雰囲気がこんなにも変わるのかと、とても驚きました。
六甲アイランドに区域外からも訪れていただき、光の芸術を楽しんでいただきたいと願っています。

5月3日のブログ にも書きましたが、このようにして、神戸のさまざまなスポットを、明るく、美しくしていきたいと思います。