久元 喜造ブログ

2024年8月30日
から 久元喜造

読書を通じた人間像の追求


今夏、夏休みは3日いただき、週末も使って3冊の本を同時に読み進めました。
・ジェフェリー・ロバーツ『スターリンの図書室
・山内マリコ『マリリン・トールド・ミー
・佐藤卓己『言論統制』増補版
あえて、性格の異なる本を選んだのですが、結果的には、共通点があることに気づきました。
流布しているイメージとはかなり異なる人物像が、次第に浮き彫りになっていったのです。

「大テロル」を引き起こし、「史上最も血にまみれた独裁者」スターリン
粗野で暴力的、およそ知識人とはほど遠いイメージで捉えられがちですが、本書で描かれるのは、「本の虫」です。
「熱心な読書家であり、自己を向上させる情熱の持ち主」でもありました。
若い頃から、マルクス、エンゲルス、レーニンの著作、そしてロシアや外国の小説も熱心に読み耽りました。
指導者として多忙を極める中でも、読書に没頭しました。

マリリン・モンロー
紳士は金髪がお好き』などからは、「金髪でおバカさん」のセックスシンボルとして語られてきました。
本書が女子大生を通じて提示するのは、「内気で、読書家で、職業的な向上心もあり」、「大手映画会社による支配的な産業構造に、一人で立ち向か」う姿です。

厳しい言論統制で、泣く子も黙る存在と恐れられた陸軍の情報官、鈴木庫三
戦後に刊行された小説などでは、無教養で強圧的、サーベルを振りまわす粗暴な人物として描かれてきました。
増補版では、 宴会に明け暮れる大多数の陸軍将校を尻目に、読書と執筆に勤しむ日々が描かれます。
座談会での発言、プロレタリア作家を含む文化人などとのやり取りからは、知的で正直な人物像が浮き彫りになっていきました。

 


2024年8月24日
から 久元喜造

「持続可能な大都市経営」再読


私は、神戸市で仕事をし始めて以来、ずっと「持続可能な大都市経営」について考え続けてきました。
2017年(平成29年)には、『神戸市の挑戦-持続可能な大都市経営-』を刊行することができました。
総務大臣ご在任中にお仕えしました 増田寛也氏(現:日本郵政株式会社社長)との対談を交え、人口減少時代における都市戦略の方向性を論じました。

刊行から7年たち、久しぶりに再読しましたが、都市経営に関する考え方がまったく変わっていないことを確認しました。
持続可能な大都市経営のためには、目先の支持調達に目が眩んだバラまきを自制し、行政サービスに関する受益と負担に関する健全な議論を展開し、議会の判断を仰ぐ必要があると記しました。
大都市と周辺自治体が、政策展開を競い合うのは好ましいことですが、個人給付や負担のありようを競い合うのは、単なる財政の消耗戦であり、いつの日か共倒れになる危険性を孕んでいるとも指摘しました。

残念ながら我が国の人口減少は加速し、ブログでも何度も取り上げていますように、人口のみならず、富・人材・情報の東京一極集中が加速しています。
自治体が若年世代向けの行政サービスの水準を競い合い、若年世代の奪い合いを演じる傾向も見られます。
財政の消耗戦とも言えるサービス合戦は、一時的な勝利者を生み出すかもしれませんが、個々の自治体にとっても、我が国全体にとっても、持続可能でないことは明らかです。

関西圏には、京都市、大阪市、堺市、そして神戸市と、4つの指定都市が存在します。
4つの大都市が各圏域の他都市も含めて連携し、関西圏全体の発展につなげることができる都市戦略が求められています。

 


2024年8月16日
から 久元喜造

大石奈々『流出する日本人』


日本から海外への移住が、最近よく話題になります。
本書では、なぜ日本を離れるのか、移住先ではどんな生活が待っているかなどについて、オーストラリア在住研究者の著者が分かり易く解説してくれます。

初めに、どのような日本人が海外に赴き、滞在しているのかが示されます。
興味深かったのは、海外移住者には女性が多く、特にカナダ、豪州に出ていく女性が多いことでした。
デジタルノマドが増え、国境を越えて働く若い世代が増えています。
ノマド化する若者たちが選択するのは、ワーキングホリデーです。
豪州は特に人気で、著者はその意義を評価しつつ、日本から来る若者が農業の労働力不足を補う手段となっていること、ホストファミリー宅に住み込んで家事・育児のサポートをする「オーペア」でのセクハラ、パワハラについても触れています。
そこには、異国で「忍耐する若者たち」の姿がありました。
移住者への差別、年金・医療の問題など海外移住の影の部分も紹介されます。

この2国に限らず、各国政府は、科学技術や金融面などでの国際競争力を高めるため、海外からの人材を積極的に受け入れようとしています。
日本の研究者や技術者が、知識やスキルを海外で活かしたいという動機で海外に移住する事例も数多く報告されます。
日本での長時間労働に嫌気が差し、家族との生活を大事にするために豪州やシンガポールに移住した事例も紹介されます。
潤沢な研究費と恵まれた設備に惹かれて、海外の大学、研究所に移る研究者もいます。
日本の富裕層が、災害などからの「リスク回避」と節税のために移住していく様子も示されます。
海外移住の実態から、改めて日本の現実を見せつけられる思いがしました。


2024年8月8日
から 久元喜造

血生臭い演出は必要だったのか。


パリ・オリンピックも終盤を迎えています。
神戸出身の阿部一二三・詩選手の活躍など、神戸市民は、大いに元気をいただくことができました。

そのような中で、残念だったのは、7月26日に行われた開会式です。
8月3日、ローマ教皇庁は、「宗教的信念をあざ笑うような表現」に対して不快感を示しました。
レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」を風刺した演出を念頭に置いているようです。
ローマ教皇庁は、世界中で生起する事象に対し、どちらかというと謙抑的態度をとってきたように思います。
今回、キリスト教徒のみならず、他の宗教の信者にも不快な思いをさせたことに言及しているのは、異例のことです。
宗教的対立が深まってきている今日、宗教を侮辱するかのような演出には、怒りを覚えます。

開会式では、ギロチンで処刑されたマリー・アントワネットを思わせる女性が登場し、生首を抱えて歌うシーンもありました。
血が噴き出し、フランス革命時の殺戮を思い起こさせる歌が披露されるシーンには、心底、嫌悪感を覚えました。
フランス革命の意義については、我が国でも小学校から教えられます。
同時に、革命の進行の中で夥しい血が流され、残虐行為が横行したことも知られています。
ルイ16世、マリーアントワネット王妃は処刑され、子供たちも想像を絶する虐待の中で亡くなりました。

パリ五輪は、世界中で戦争や紛争が起きている中で行われました。
スポーツの力で、人々の心を平和に導く目的があったはずです。
憎しみを煽るかのような奇抜な演出で関心を集め、視聴率を上げて一部の人々が利益を手にし続けるのであれば、いずれオリンピック自体に対する疑念が広がることに、危惧を覚えます。


2024年8月2日
から 久元喜造

東京一極集中の病理


去る7月25日、東京で、20の政令指定都市から構成される指定都市市長会が開催されました。
多くの市長から表明されたのが、東京一極集中への危惧でした。
東京圏に所在する都市からは、「東京一極集中」の用語が意味する「東京」ついて、明確にする必要があるとの意見も出されました。
同じ東京圏でも、東京都とほかの県、またそこに所在する都市との間には大きな格差があるにも関わらず、東京圏以外の地域からは、同一視される傾向があるからです。

大都市プロジェクト、総務財政部会、そして、松本剛明総務大臣をお招きしての指定都市市長会が連続して開催されましたが、そこでは、東京都への富、人材、財源の集中が加速している現状に関するデータが提出されました。
例えば、総務省・経済産業省の令和3年のデータによると、資本金10億円以上の企業数は、東京都が2,981で、東京都だけで全国の51.9%を占めています。
また、国内銀行の一般預金残高は、我が国全体としては増加傾向にありますが、東京都のみが著しい増加を示しており、ほかの地域の伸び率は低調で、北海道・東北、中国・四国、九州・沖縄ではとくに低水準です。

東京都は、有り余る財源を活用し、全国から人材を集める施策を強力に推進しています。
2023年中の人口動向を見ると、東京23区の人口は、73,813人の増加で独り勝ちですが、自然減は26,292人、転入超過は100,105人です。
東京23区は、全国から人口を集めて人口増を達成していますが、自然減の数も群を抜いています。
子供が生まれにくい東京都に、全国から若者が集まり、東京都は肥大を続けているわけです。
病理的ではないでしょうか。


2024年7月26日
から 久元喜造

坂の街・神戸


山と海がある神戸の市街地には、たくさんの坂道があります。
神戸は坂の街であり、神戸市民は「坂の民」という動画もあります。
神戸の玄関口、JR三ノ宮駅、阪急神戸三宮駅、地下鉄西神山手線・三宮駅を出て、ほんの少し北に歩くと、北野坂に出ます。
中心駅のすぐ近くから坂が始まり、急な坂が山の麓まで一直線に続いている大都市は、ほとんどないと思います。
北野坂の沿道には、ステーキ、中華、鉄板焼き、居酒屋などさまざまな飲食店がたくさんあります。
坂の上からは、神戸市庁舎も望むことができます。


住宅街にある坂で、神戸市民によく知られているのが、通称「地獄坂」です。
阪急王子公園駅から北西方向に歩くと、坂道が始まります。
少しずつ急になり、市バス2系統が走っている道路を超えると、さらに勾配は大きくなり、県立神戸高校の正門が見えてきます。
はるかに神戸の市街地、そして海を臨むことができます。
神戸高校に通ったみなさんは、卒業後もこの風景を折に触れて思い起こしておられることでしょう。
神戸らしい、素晴らしい眺望です。

神戸市の西部で海まで一直線に伸びている坂は、垂水区の愛徳坂です。
愛徳学園中学校・高等学校のすぐ横の坂道です。
閑静な住宅街を通る坂道で、坂の上からは明石海峡が見渡せます。

神戸には、細い路地も多く、くねくねと細い坂道が至るところにあります。
須磨区の「たぬき坂」もその一つで、山陽電鉄・須磨駅の下の歩行者用トンネルを抜けたところから北西に伸びる狭い坂道です。
坂道は神戸の魅力の一つですが、できるだけ上り下りの負担を少なくするため、神戸市では、ベンチや手すりの設置を進めるほか、木陰をつくる取り組みも進めていきます。


2024年7月21日
から 久元喜造

東京都知事選挙のグロテスク


7月7日に投開票された東京都知事選挙では、これまでにない選挙運動手法が用いられました。
その模様は広く報道されているとおりで、グロテスクな選挙だったという印象は禁じ得ません。
今後、ポスター掲示場や政見放送などのあり方などについて議論が進むと思われます。
地方選挙を含め、公職選挙法における選挙運動のルールを決めることができるのは、国会議員各位だけなので、政党内部において議論を進め、政党間の合意を見出していただきたいと願っています。

同時に、今回起きた個々の事象に対して、個別の規定を改正するという対応だけで十分なのかとの疑問は残ります。
人々の関心を集めて経済的利益を獲得しようとするアテンションエコノミーが、選挙の分野に進出してきたことを意味し、自らの利益拡大のためのツールとして選挙を利用する試みであったと見ることもできます。
そうであれば、候補者の経済的負担を減らし、選挙運動における候補者間の機会均等を図る見地から設けられている選挙公営、すなわちポスター掲示場、選挙公報、政見放送、新聞広告などついて、抜本的に見直すことが求められるような気がします。

今回の都知事選挙で見られた異常な選挙運動に関する事象が、他の選挙でも起きるのかどうかは分かりませんが、注目度の高い選挙で再現される可能性も否定できないことから、まずは個別規定の改正を急ぎ、その後に抜本的な制度の見直しについての議論を進めることが求められると感じます。
一方、今回の事象は、東京都のガリバー的存在とともに、国民的関心の分野においても東京一極集中が加速している現実を改めて見せつけてくれました。
地方の人間にとっては、残念なことですが。


2024年7月13日
から 久元喜造

五百旗頭真『大災害の時代』


今年3月に急逝された五百旗頭真先生のご著書です。
関東大震災から100年の年に刊行された本書では、主として関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災が取り上げられます。
冒頭、「本書は、三つの大震災のそれぞれを包括的に解き明かすことを目的とする」と執筆の意図を明確にされ、自然科学者ではなく、歴史家として「災害のフィジカルな側面以上に、人間と社会の対応」が描かれていきます。

本書の内容を豊かなものとし、また説得力あるものにしているのは、五百旗頭先生ご自身の経験です。
阪神・淡路大震災の発生時は神戸大学教授で自宅は全壊、ゼミの教え子は亡くなりました。
東日本大震災後に設置された復興構想会議では議長を務められ、復興の枠組みづくりに関する議論を主導されました。
さらに、熊本県立大学理事長在任中に熊本地震が発生し、対応に当たられました。

関東大震災については、以前、吉村昭の古典的名著を読んだことがありますが、五百旗頭先生は、混乱の中での行政の対応にも紙幅を割かれ、複雑な政治状況の中での復興プロセスを明らかにされます。
後藤新平の復興構想は挫折したというのが定説になっていますが、「後藤は失脚したが、後藤構想は意外にあちこちに生き残り、首都東京の再建と創造的復興を支えた」と総括されます。

もちろん、本書の中心をなすのは、阪神・淡路大震災と東日本大震災です。
当時の幹部、担当者の名前が実名で登場し、緊迫した状況が臨場感を持って伝わってきます。
一身を顧みずに献身的に対応に当たった当時の関係者の証言が紹介され、これらの方々への深い敬意のお気持ちが行間に溢れます。
改めて五百旗頭先生のご逝去に対し、哀悼の意を表します。


2024年7月5日
から 久元喜造

第7代兵庫県知事・神田孝平


兵庫県公館 で午後に会議が開かれるとき、早めに到着して時間があると、公館の中にある 県政資料館  にお邪魔します。
県政の年表には、初代の伊藤博文からの歴代兵庫県知事の写真が飾られ、主な業績が記されています。
この前に訪れたときは、7代知事・神田孝平の事績を確認しました。

初期の兵庫県知事は、初代の伊藤博文を含め頻繁に交代を繰り返す中、神田孝平知事(当時の呼称は県令)の在任期間は、1871年(明治4年)11月から1876年(明治9年)9月までと比較的長く、神田県令は兵庫県政の基礎を築く上で大きな功績があったと考えられています。

成立間もない明治政府は、近代国家建設のためには地方制度を整備することが不可欠と考えていました。
政府内部において意見の対立はありましたが、将来の国会開設を見据え、地方において民会、すなわち議会を設置する必要があるという考え方が共有されていきました。
兵庫県令に着任した神田孝平は、この方向性を共有し、独自の視点を交えながら、兵庫県における行政機構の整備と民会の開設を進めていきました。
1873年(明治6年)の「布達」では、「民會」を町村会、区会、県会の順に開設することとし、民會を開設するかどうかは、町村の判断に委ねるとの柔軟な方針を示しています。
入札、すなわち選挙にあたっては「家格を論ぜず人望才力のあるものを公選すべし」と指示しました。

1878年(明治11年)郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則の三新法が制定され、我が国の地方制度は初期の体裁を整えます。
神田県令は、その内容を先取りするとともに、より民意を反映させる改革を進めたということができると思います。


2024年6月29日
から 久元喜造

淡河宿本陣跡の夕べ


北区淡河町の「淡河宿本陣跡」に、久しぶりにお邪魔しました。
淡河町は、神戸市の北部に位置し、豊かな里山が広がる農村地域です。
町内には、歴史ある神社仏閣、茅葺民家、観音堂などが残されており、自然環境と文化遺産が一体となって独特の景観を醸し出しています。
「淡河宿本陣跡」は、淡河町で育まれてきた豊かな文化を象徴する文化遺産です。
江戸時代に建てられ、参勤交代でも使われたと伝えられる由緒ある屋敷ですが、半世紀以上も放置され、荒れ果てていました。
地域のみなさんによって再生が始まったのは、もう10年近くも前のことでした。
保存会が組織され、土地、建物を譲り受け、改修工事が始まりました。
神戸市も、規制緩和や改修費への補助などの支援を行いました。
2017年5月28日、無事改修が完了し、お披露目会が開催されました。(2017年6月3日のブログ

先日久しぶりに訪れ、淡河特産のユリの栽培をされている農家のみなさん、地元の竹を使ったメンマづくりや竹細工、竹チップなど竹の利活用に取り組んでおられるみなさんと意見交換を行いました。
とても有意義で、私自身元気をいただくことができたひとときでした。

少しずつ日が陰り、庭に面した廊下では、暗がりが広がっていくさまを目にすることができました。
ちょうど、『陰翳礼讃』を読んだばかりだったので(2024年6月21日のブログ)、陰翳に富んだ、暗がりの魅力を目の当たりにすることができました。
この屋敷は、きっと長い年月の間に、さまざまな陰翳を描いてきたことでしょう。
再生に取り組んだ人々がそれらを大切にし、現代によみがえらせることができていることを、改めて感じることができました。