久元 喜造ブログ

2024年5月5日
から 久元喜造

こどもの日に思う。大阪への流出を止めねば。


神戸市の人口は、2011年をピークに減少しています。
人口減少の要因は自然減で、この傾向は、全国の傾向と軌を一にしています。
ここ数年の動向を見ると、社会増の年もあり、社会減の数もごく僅かで、人口の流出が神戸市の人口減の主たる要因であるとは言えません。

それでも気になるのが、20代後半、30代の流出です。
10代後半、20代前半では社会増ですが、大学などの卒業を機に、市外に流出している傾向が従来から見られてきました。
神戸市内には企業の集積があり、雇用機会もあるので、市内就職を希望する学生と市内企業のマッチングに力を入れてきました。
また、学生のときから起業を目指す学生も増えてきており、スタートアップ支援にも力を入れています。

このような中にあって、10代前半の社会増減はこれまで安定していました。
神戸市内には、公立・私立を含め、多様な高校の教育環境があり、市内の高校進学者の受け皿となるとともに、市外からの通学も見られます。
そのような中で出てきたのが、大阪府内の高校無償化で、神戸市は、この措置が神戸市を含む子育て世帯の流出を招くと危惧しています。(2024年3月27日のブログ
残念ながら、阪神間では、そのような空気は薄いようです。
兵庫県内には、伝統ある県立高校、特色ある私立高校がたくさんあり、大阪府の高校無償化の影響を心配する必要はないのではないかという見方です。

正直、甘いのではないかと思います。
子育て世帯は、経済的負担に敏感です。
根拠のない楽観を捨て、冷静にこれから何が起きるのか、どうすれば良いのかについて、兵庫県を中心に、関係者が忌憚のない意見交換を行う時期だと考えます。


2024年4月30日
から 久元喜造

粟生駅での乗換え・夢と現


もう半年以上前のことです。
不思議な夢を見ました。
なぜか播但線の寺前に遊びに行き、辺りを散策しました。
姫路経由で神戸に帰るつもりで、寺前駅から列車に乗りました。
姫路が終点のはずなのに、見知らぬ駅が終点となり、乗り換えることになりました。
駅にはたくさんの乗客がいました。
私はどの列車に乗れば姫路に行けるのかわからず、たぶんこのホームに来る列車に乗れば大丈夫だろうと乗り込みました。
その列車はたいへん混雑していました。
かなりの時間立ったまま乗っていると、また終着駅に到着しました。
終着駅のホームに降りると、もの凄い人だかりでした。
他にもホームがたくさんあり、乗り降りする人、乗り換えようとする人で溢れ返っていました。
それぞれのホームには、違う色やデザインの車両が、到着しては発車していました。
もう訳が分かりませんでした。
いったいどうすれば姫路駅に行けるのだろう・・・・
人混みの中で右往左往しているうちに、目が覚めました。
この夢は、一体何だったのだろう・・・

年が明け、しばらくして、加西市に私用で行くことになりました。
最寄り駅は、北条鉄道 の長駅と聞きました。
一度、北条鉄道に乗ってみたいと思っていたので、神戸電鉄粟生線経由で行くことにしました。
仕事が終わってから、湊川駅で神戸電鉄に乗り、鈴蘭台から粟生線に入って、粟生駅に着きました。


驚きました。
神戸電鉄の車両、JR加古川線の車両、そして北条鉄道の車両・・・カラーもデザインも違う車両が、一緒に停車していました。
人混みや混雑は全然違っていましたが、夢の中で見た光景が、まるで目の前にあるようでした。
不思議な既視感に襲われ、しばし茫然としたのでした。


2024年4月22日
から 久元喜造

松村淳『愛されるコモンズをつくる』


最初に提起される課題は、住宅という私的空間、そして、さまざまな公的空間の限界です。
コロナ禍の中でオンライン会議やテレワークが行われましたが、nLDKタイプが主流の都市型住宅は、仕事や勉強をする面的余裕はありませんでした。
一方、公的空間は、単一目的を持った空間であり、自由に出入りして利用することができない場所が増えてきました。

このような限界を克服する観点から本書で検討されるのは、主として民間主導の「共」的な居場所です。
人々の交流を媒介する具体的な場所やモノである「コモンズ」という概念が浮上してきます。
「コモンズ」の姿は、「街場の建築家」の設計思想に埋め込まれている「共的な感覚」の具現化として現れます。
「街場の建築家」という新しい職能の展開としてのコモンズの創造が取り上げられます。

具体事例の一つが、神戸市兵庫区の山麓部で展開される「バイソン」です。
地名の「梅元町」に由来します。
すぐ裏が山になるこの地域には、長年たくさんの廃屋が放置されてきました。
屋根には大きな穴が開き、空が見えるような物件もありました。
道は狭く、車を乗り入れることができないため、建築資材や工具を職人たちが人力で運ぶ作業が続けられ、廃屋は再生されていきました。

一連の作業を率いるのは、西村組の西村周治さん。
「バイソン」は、仲間とつくり、交流し、仲間と暮らす場所です。
西村さんのような人々が、「コモンズを創造し、そこに人々が集い、交流し、幸福度を高めていくこと」で、「オルタナティブな実践を人びとに対して提示する」と著者は指摘します。
私も「バイソン」を訪れるたびに、SDGsが体現されているそのありように感銘を覚えます。


2024年4月13日
から 久元喜造

里山についての回想


もう56年も前のことです。
山田中学校の3年生だった私は、受験勉強をしながらも、田んぼの畔を歩き、池で鮒を釣り、雑木林を歩き回っていました。
作文の宿題が出され、段々になった田んぼの美しい様子を描いた文章をつくって提出しました。
当時は棚田という言葉を知りませんでした。
担任の先生は、赤ペンで、可もなく不可もなくという意味の三重丸を付けて返してくれました。

歳月が流れ、日本中の里山が荒廃していることは知っていました。
神戸に帰ってきて、市役所で仕事をし始めたとき、おそるおそる里山の保全・活用を話題にしてみましたが、関心を持ってくれる職員はほとんどいませんでした。
若手職員との懇親会では、「市長は里山とか、有害鳥獣対策とか、思い付きを仰るので、現場の私たちは本当に困っています」と言われました。
残念でしたが、反論はしませんでした。
里山の再生というテーマはもはや共感を呼ぶことはないのだろう、そうであれば、かつての里山の素晴らしさとその喪失、破壊から生き延びる可能性のようなものを、単なるノスタルジーとして、拙い物語にしてみたい。
そんな思いで、童話『ひょうたん池物語』を執筆しました。

少しずつ、少しずつ、市民の中にも、また、市役所の中にも、里山の価値を理解し、その再生を考えている人々がいることがわかるようになりました。
本当に少しずつ議論が始まり、それらを集大成して、『KOBE里山SDGs戦略』がとりまとめられました。
近年、里山を守り、再生させようという動きが、急速に広がっていることを、本当にありがたく感じています。
果たせないと思っていた夢は、多くのみなさんのおかげで、現実のものになりつつあります。


2024年4月5日
から 久元喜造

森政稔『戦後「社会科学」の思想』


「社会科学」を「個別の社会領域を超えて時代のあり方を学問的に踏まえつつ社会にヴィジョンを与えるような知的営み」と定義し、以下の4つの時代を設定して、社会科学の主題の転換と背景にある思想が関連付けながら論じられます。
①「戦後」からの出発
丸山真男に代表される「戦後」の理論や思想の特徴が、マルクス主義などとの関係も含め再検討されます。
② 大衆社会の到来
1940 – 60年代に隆盛した大衆社会論を検討し、今日にまでつながる現代性に焦点が当てられます。
➂ ニューレフトの時代
「豊かな時代」に発生した「奇妙な叛乱」ともいえる1960 – 70年代の学生運動の歴史的意味について考察されます。
④  新自由主義的・新保守主義的転回
今日に直接つながる政治思想の意味と問題点が指摘され、現在の閉塞感についても考察されます。

最初に紙幅を割いて取り上げられるのが、やはり丸山真男です。
丸山の「「思想と行動」が戦後の諸特徴や諸問題を浮かび上がらせる点で重要である」という問題意識からです。
丸山の諸著作とそれらの特徴、実践的意図が分かりやすく説明されていました。

岡義武、神島二郎、宇沢弘文、坂本義和、高畠通敏、見田宗助、作田啓一、松下圭一、吉本隆明など、学生時代、そして駆け出しの役人時代に読んだ本の著者が次々に現れます。
熱量に溢れていたそれぞれの時代背景と、そのときどきに展開された論争が語られます。

帯には、「忘れ去られた知的遺産と出会う」と記されています。
確かに、戦後思想をリードしてきた人々の「今でも十分に通用する深い洞察に触れること」は、未来を切り開くための歴史的感覚を養う上で大事だと改めて感じました。

 


2024年3月27日
から 久元喜造

高校生通学定期無償化予算が議決されました。


3月25日、神戸市会で、高校生通学定期無償化の経費を盛り込んだ令和6年度神戸市当初予算案が、原案どおり賛成多数で可決されました。
市内に住む高校生が市内の高校に通学する定期代の全額を神戸市が負担し、高校生の通学費を無償化します。
実施は、今年の9月を予定しています。
令和6年度予算には、12億3千万円の経費を計上しており、平年度化される令和7年度以降は、約20億円の経費が必要となります。

神戸市がこのような巨額の予算を投じて高校生の通学費を無償化する背景は、大阪府の高校授業料無償化です。
大阪府では、令和6年度に高校3年生から無償化を開始し、令和8年度には全学年が対象となります。
この結果、高校生世帯の経済的負担は、大阪府内と兵庫県内で大きな格差が生じます。
神戸市内の高校生世帯が大阪府へ流出することを食い止めたいという思いから、今回の措置を講じることにしました。

大阪府の高校授業料無償化の影響を受けるのは、神戸市を含む阪神間、通学圏である東播、北摂など兵庫県内の幅広い地域に及びます。
これらの地域の子育て世帯が大阪府内に流出するようになると、兵庫県内の高校志願者の減少を招き、教育水準が低下し、さらなる志願者の減少、子育て世帯の流出・・・という悪循環が広範に起きる可能性があります。
このような事態を招くことがないよう、基礎自治体である神戸市としてギリギリの対応をした上で、兵庫県の対応をお願いしたいという趣旨です。
兵庫県のリーダーシップで、県、阪神間など関係する市町、私立高校などの学校関係者が意見交換を行い、兵庫県内の歴史ある高校教育環境を守っていくための議論を開始していただきたいと切望します。


2024年3月23日
から 久元喜造

佐藤卓己『池崎忠孝の明暗』


池崎忠孝(1891 – 1949)は、文芸評論家、新聞記者、軍事評論家、実業家、衆議院議員、文部省参与官など多彩な経歴を持ち、幅広い世界で活躍しました。
池崎の生涯を克明に描いた本書を通読し、日本の近代史をより立体的に見ることができたように感じました。

若き日、「赤木桁平」のペンネームで夏目漱石の弟子となり、「漱門十弟子」の一人となります。
「教養主義者の大衆政治」の副題にあるように、池崎は教養人でした。
東京帝大独法科卒業後、新聞社に入社した彼は、赤木桁平名で、第1次大戦参戦国の戦力を比較し、ドイツ戦後の工業窮乏を予見しています。
1929年、本名「池崎忠孝」による最初の単著『米国怖るるに足らず』が発売され、大ベストセラーとなりました。
軍事評論を本格展開し、日米未来戦争を描いた小説でも人気を博した池崎が次に目指したのは、政治家への転身でした。
最初の選挙は落選でしたが、1936年の総選挙で当選します。
この選挙では、新聞、出版社、映画会社出身の「メディア議員」が多数当選しました。
著者は、この時期、池崎忠孝と同じメディア議員、すなわち「言論と文章とによって一世を風靡しようとする政治家」が3分の1以上の議席を占めていたことを指摘します。
院内小会派を渡り歩いた池崎代議士の活動は多彩で、戦後に活躍する多くの政治家と人脈をつくりました。
戦時下、文教議員として大日本育英会の設立に尽力する一方、戦争末期、政府が提出した戦時緊急措置法案に反対の論陣を張りました。
終戦後、戦争を煽ったA級戦犯として巣鴨プリズンに収監され、釈放されますが、失意のうちに逝去。
亡くなる直前には、岸信介が訪れています。(敬称略)


2024年3月15日
から 久元喜造

マンション管理と地方自治制度


昨年に読んだ雑誌『世界』の8月号に、マンション管理に関する興味深い論稿がありました。
法政大学の五十嵐敬喜名誉教授『マンションは生き延びられるか?』です。

著者は、マンションの管理に関する厳しい現実に触れた上で、「マンション管理組合が機能せず、計画や資金管理計画がうまくいかず廃墟となれば、それは地域にとっても迷惑なだけでなく、ひいては自治体の莫大な負担になる」と指摘します。
解決策として提言されているのが、地方自治法に規定されている「地域自治区」の活用です。
マンション管理組合が総会の議決を得て、地域自治区に加入し、コミュニティを発展させていく方向性が提示されています。

「地域自治区」は、平成の大合併に終止符が打たれたとき、市町村を区域に分け、その区域の住民の意見を市町村行政に反映させるために設けられた制度で、私も制度創設に関わりました。
校区などを単位として設置されることが想定されており、事務所が置かれてその長に自治体職員が任命されます。
事務所長のもとに「地域協議会」が置かれ、市町村長などに意見を述べることができます。

マンションの管理組合が「地域自治区」に参加する方法は、地域協議会の構成員になることだけなので、マンション管理に関する課題を解決する手段にはならないと思います。
しかし、マンション管理に地方自治制度を活用するという著者の提言は新鮮です。
現在のマンション管理組合の制度だけでは、タワマンのような多数の区分所有者の合意を形成することは困難だと考えられるからです。
将来的には、大規模なマンションの管理組合を特別地方公共団体として地方自治法に位置づけることなどが考えられます。


2024年3月9日
から 久元喜造

水谷竹秀『国際ロマンス詐欺』

SNSやマッチングアプリで恋愛感情を抱かせ、金銭を騙し取る「国際ロマンス詐欺」。
被害の急増が報じられています。
本書は、その赤裸々なルポルタージュです。
2023年9月号のWedge で、紹介記事を読みました。

日本や米国などの被害者は、会ったこともない犯人にどうして騙されてしまうのか。
被害者それぞれの経験が語られ、それらからは孤独な心理に付け込む詐欺犯の「手口」が見えてきます。
国際ロマンス詐欺犯は、西アフリカを中心に世界中にいます。
YouTubeには、ロマンス詐欺に成功した長者「ヤフーボーイ」が踊り歌う動画も掲載されています。

著者は、被害者からの聞き取りの後、ロマンス詐欺の「発祥の地」ナイジェリアに飛びます。
ギニア湾に面した港町ラゴスは、人口約1500万人の巨大都市です。
活気と喧騒に溢れていました。
旧知の大学教授、アダム氏にヤフーボーイを紹介してもらい、試みたインタビューがとても興味深いものでした。
ほとんどが大学に通う現役の学生たち。
大学での学業とロマンス詐欺による小遣い稼ぎという「二足のわらじ」を履いています。
逮捕されれば、ナイジェリアのサイバー犯罪取締法によって禁錮5年以内、もしくは罰金1000万ナイラ(約170万円)を科される可能性があります。
それでも、大学生たちにとっては手軽にカネを稼げる収入源です。
つつましいナイジェリアの学生たちの日常が紹介され、動画で豪遊しているヤフーボーイとはまた異なる現実が描かれます。

孤独の中でロマンスを夢見る日本の人々、そしてしたかたかにネットで違法に金を稼ぐグローバルサウスの若者たち。
いま進行している現実が、鮮やかに描かれていました。


2024年3月4日
から 久元喜造

キューバリブレを飲みました。


昨年読み終えた小説『未必のマクベス』には、キューバリブレがよく出てきます。
小説の冒頭、バンコクから香港に向かう機内。
主人公の中井優一は客室乗務員を呼び、ダイエット・コークとラムのロックを注文し、氷の先を指で押さえてステアしてキューバリブレをつくります。

ホーチミンのバーでキューバリブレを頼むのですが、バーには置いてありません。
アメリカ軍がハバナに傀儡政権をつくったとき、”viva Cuba Libre(キューバの自由に万歳)” と叫んだのが由来だと告げられ、ベトナム人店員の対応に納得するのでした。

香港で暮らし始めた中井は、同僚の伴が滞在するホテルに招かれます。
インターコンチネンタルの名前の入ったバースプーンで、やはりキューバリブレをステアするのでした。
別の日、中井は伴と食事をした後、ペニンシュラホテルに行き、本館一階の「ザ・バー」という古いバーに落ち着きます。
50代とおぼしきバーテンダーは、古びたラベルのバカルディのボトルを使い、「文句のつけようのないキューバリブレ」を出してくれました。

日本に戻った中井は、妻の由記子と青山通りを歩き、渋谷駅を通り過ぎて、懐かしいバー『ラジオ・デイズ』に入ります。
ハートランドビールで乾杯した後、やはり注文したのも、キューバリブレ。
中井が香港で大事な女性と最後の食事を取ったときも、ワインの後の締めは、キューバリブレでした。

キューバリブレとは、何なのか。
私は飲んだことがなかったのですが、たまたま年末に旅をした機中のメニューにその名前を発見し、初めて味わいました。
正直、中井がどうしてこの酒にあれほどまでにこだわり続けたのか、わかりませんでした。