久元 喜造ブログ

『評伝 勝田銀次郎』


震災30年が間近になり、神戸が経験した大災害のことを話すとき、ときどき触れるのが、1938年(昭和13年)の阪神大水害です。
7月3日から5日にかけて、台風に刺激された梅雨前線は、神戸市をはじめ阪神地域に集中豪雨をもたらしました。
六甲山系から流れる多くの河川が氾濫し、土石流が市街地を襲いました。
数百名の死者・行方不明者、家屋・建築物の消失など、被害は甚大でした。
未曽有の大災害への陣頭指揮を執ったのが、第8代神戸市長・勝田銀次郎でした。
勝田市長の事績は、さまざまな文献から自分なりに理解していましたが、市長になったばかりの頃に子孫に当たられる方からいただいた本書を改めて読み直しました。

『評伝 勝田銀次郎』は、1980年(昭和55年)、青山学院資料センターから発行されました。
青山学院長・理事長、大木金次郎氏の序文によれば、勝田は、青山学院の初期における校友として「勝田館」を寄贈するなど多大な貢献をされました。
著者は、青山学院大学事務局長の松田重夫氏。
大学図書館館員としての長い経験をお持ちで、勝田銀次郎に関する文献にも接する機会が多く、「ジャーナリスト的気質」を発揮され、神戸の勝田家のご遺族を訪ねるなど丹念な取材を重ねられ、本書を執筆されたとのことでした。

勝田銀次郎は、1933年(昭和8年)12月、神戸市長に就任。
1938年(昭和13年)7月に阪神大水害が発生した際には、不眠不休で陣頭指揮をとり、災害復旧に全力で取組みます。
復興予算の計上について平沼内閣と折衝し、国会での議決を勝ち取ります。
本書は、勝田の霊が「神戸の街を見渡せる追谷墓地で安らかに眠っている」と結ばれます。