久元 喜造ブログ

佐藤卓己『あいまいさに耐える』


著者の主張は、「はじめに」で端的に述べられます。
「輿論主義」を復活させるべきだと。
世論(空気)を批判する足場としての輿論(意見)を取り戻すこと、その前提として輿論と世論をもう一度使い分けることを提唱します。
そしてこの「輿論主義」のためには、リタラシー(読み書き能力)よりもネガティブ・リテラシー(消極的な読み書き能力)が必要だとされます。
ネガティブ・リテラシーとは、「あいまいな情報を受け取ったき、あいまいなまま留め置き、その不確実性に耐える力」です。
「SNSなどにあふれる情報を必要以上に読み込まず(やり過ごし)、不用意に書き込まない(反応しない)だけの忍耐力」と説明されます。
そのように考えるに至った筋道として、世論駆動の「ファスト政治」、東日本大震災後の「メディア流言」、安保法制をめぐる「デモする社会」、「情動社会」における「快適メディア」などに関する考察が想起されます。

このような思考過程を経て、AI時代に求められる態度が、「ネガティブ・リテラシー」だとされます。
白黒、善悪、優劣などの判断を急がず、あいまいな状況に向き合う態度です。
いま、真偽不確かな情報がネット空間に溢れていますが、情報の真偽はすぐには誰にも分かりません。
それを明らかにするのは、時間の経過です。
時間の経過によって真実が明らかになるのを待つ我慢強さということなのかも知れません。
人間性はあいまいさの中にあり、人間は誤りから学ぶことができる存在です。
「ON/OFF、白/黒のデジタル思考への抵抗力を高めること、あいまい情報の中で事態に耐える人間力こそが、AI時代に求められるリテラシー」だと結論づけられます。