久元 喜造ブログ

2015年7月31日
から 久元喜造

市民の協力による市有地管理

神戸市は、市内のあちこちに未利用の市有地を持っています。
これらの土地の中には、利用目的が当面ないもののほか、道路予定地など利用目的は決まっているけれども、事業化になお時間がかかるため、更地になっているものもあります。

暫定的に歩道にしたり、市民公園として活用している例もありますが、中には、管理が十分に行き届かず、雑草が生い茂っていたり、周囲の景観を損っていると言わざるを得ないものもあるように感じます。

市民のみなさんや企業の中には、せっかく身近なところに使われていない土地があるのであれば、小さな公園や緑地にしたりできないかと考える方もおられるようです。
また、自分たちの手で花を植えたり、植栽したりして、きれいにしたいというご意向のお持ちの方もおられると聞きます。

そのような市民のみなさんのお気持ちを、行政は大事にすべきではないでしょうか。
市民のみなさんの協力をいただき、未利用の市有地の管理水準が向上するのであれば、行政としてもありがたいことだと思います。

作物を植えて収穫をするような使い方は、個人の利益にもつながるので、適当ではないと思いますが、地域のコンセンサスを得ながら、環境や美観の向上につながるような管理の在り方を工夫する余地があるように感じます。

市有地の管理は、いくつかの局に分かれており、対応があまり異なることは適当ではないので、関係する組織が集まり、何か統一的なガイドラインができないか、検討を始めたところです。


2015年7月28日
から 久元喜造

神戸大空襲

神戸市広報紙 KOBEの毎号、下手糞な字で恥ずかしいのですが、自筆で、「神戸を想う」を書いています。
今月号の特集のテーマは、「戦災からの復興」。
空襲を実際に経験した母、そして中学校の先生から聞いた話を記しました。
母は、炸裂する焼夷弾の中を逃げ惑い、当時小学生だった中学校の先生は、会下山公園から空襲の光景を眺めていました。
神戸大空襲を知る方々が少なくなる中、間接的な記憶であっても、大空襲について、自分の言葉で記すことには意味があるのではないかと考えました。

平成6年に刊行された『神戸市史 歴史編Ⅳ』によれば、神戸大空襲の被害の状況は、次のようになっています。

罹災者総数 53万858人
死者 7491人
重軽傷者 1万7014人
被災戸数 14万1991戸

人口千人あたりの死傷者の割合は、47.4人で、東京の42.9人を上回り、六大都市で最大です。
神戸は、我が国の中で、実質的に最も大きな空襲被害を受けた都市だと言っても、過言ではありません。

神戸は、大空襲、そして、阪神・淡路大震災と、筆舌に尽くしがたい試練を乗り越えてきた街であることを、改めて痛感します。
今日の朝日新聞には、神戸大空襲で戦争孤児となり、苦難の戦後を生き抜いた山田清一郎さんの記事が掲載されていました。
戦後70年、神戸大空襲の記憶をしっかりととどめ、後世に引き継いでいなければなりません。


2015年7月25日
から 久元喜造

陳舜臣『神戸 わがふるさと』

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去る5月26日に陳舜臣先生(1924 – 2015)のお別れ会が開催され、このときに頂戴しました。
特別限定版です。
3部構成になっていて、第1部には、震災前に執筆されたエッセイが、「第2部 ノベルズ」には、神戸を舞台にした小説が、第3部には、震災後に執筆されたエッセイが収められています。

9編の小説からは、いずれもそのときどきの神戸の情景や雰囲気が立ちのぼってきました。
とりわけ、路地裏の廃墟を舞台にした『半月組』は、私には昭和30年代の新開地の路地裏を想起させます。
だいぶ少なくなっていましたが、空襲で廃墟になった建物がまだ残っていました。

第3部のエッセイは、震災の翌日、神戸新聞の一面に掲載された有名なエッセイ『神戸よ』で始まります。

「・・・神戸市民の皆様、神戸は亡びない。新しい神戸は、一部の人が夢見た神戸ではないかもしれない。しかし、もっとかがやかしいまちであるはずだ。人間らしい、あたたかみのあるまち。自然が溢れ、ゆっくり流れおりる美わしの神戸よ。そんな神戸を、私たちは胸に抱きしめる」

この一節を、私たちは、忘れることがあってはならないと思います。


2015年7月22日
から 久元喜造

東京23区との財政格差に愕然。

先週、東京で指定都市市長会議が行われましたが、その席上、自分で説明しながら、改めて愕然としました。

指定都市の市民一人当たりの借金 67万円
東京都特別区の区民一人当たりの借金 6万4000円

指定都市の市民一人あたりの貯金 3万9000円
東京都特別区の区民一人あたりの貯金 15万円

つまり、23区は、指定都市に比べて、4倍近くの貯金があるのに、借金は、10分の1以下しかないということです。
なぜ、このような大きな財政格差が生じているのかというと、東京都と23区には、潤沢に税収が入り、それを都区財政調整制度によって山分けできているからです。

東京における大きな財政余剰は、本来、政府の手で地方に配分することが望まれます。
東京一極集中を是正するためには、これを放置、助長している現行の税財政制度を改革することが求められます。
私は、指定都市市長会で地方創生プロジェクトチームを仰せつかっていますので、簡単ではありませんが、提言の立案に汗を流していきたいと思います。

財政格差は、行政水準の格差につながりますが、現状を制度のせいにして、手をこまねいているわけにはいきません。
東京から神戸などの指定都市に移り住んだ方々が、行政サービスの水準が落ちたと感じることがないようにしていく必要があります。
つまり、指定都市の行政に携わる者は、東京都や23区の行政関係者の何倍もの知恵を出し、何倍もの汗を流さなければならないということです。
それが私たちの宿命です。


2015年7月20日
から 久元喜造

二つの辞令

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沖縄県最後の官選知事、島田叡氏の顕彰碑除幕式に出席したとき(6月26日のブログ )、顕彰期成会会長の嘉数昇明さんから、『島田叡氏顕彰事業記念誌』をいただきましたが、このとき、嘉数会長は記念誌を開かれ、ある新聞記事を見せて下さいました。
それは、昭和20年1月13日の朝日新聞に掲載された島田知事の辞令でした。

記事の見出しは、「内台交流人事」で、台湾総督府の幹部人事に関するものですが、併せて、1月12日付で、香川県知事と沖縄県知事の辞令が掲載されています。
島田知事の前任の沖縄県知事を香川県知事に、そして、大阪府内政部長の島田叡氏を沖縄県知事に任命する人事が閣議決定されたことを報じ、二人の写真が並んで掲載されています。(記事の上段、一番左の写真が島田叡氏)
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『沖縄の島守』によれば、島田知事の前任者は、沖縄県知事在任中、頻繁に東京出張を繰り返し、九度目の出張の時に、香川県知事の内命を受けたとのことです。
そして、1984年に86歳で亡くなるまで、二度と沖縄の土を踏むことはありませんでした。

島田大阪府内政部長の上司、 池田清大阪府知事は、沖縄県知事の人事を打診するとき、「断ってもいいんだぞ」と言ったと伝えられます。
上司にとってもつらい判断であり、多くの官僚が尻込みする雰囲気であったことが窺えます。
前任の沖縄県知事の行動を批判することは簡単ですが、そのような雰囲気の中で、即座に敢然と打診を受諾した島田氏の存在は、当時の内務官僚の中でも際立っていたことがわかります。


2015年7月15日
から 久元喜造

エレベーター運行に工夫を。

予定どおり出発したのに、アポ入れした時刻に遅れそうになり、慌てることがときどきありますが、その原因のひとつに、エレベーターがなかなか来ないことが挙げられます。
札幌市役所で仕事をしていたとき、4台あったエレベーターが4台とも1階にいたり、最上階にいたりして、不便なことこの上なく、庁舎管理担当に改善の検討をお願いしたところ、
「システムの変更に約2000万円ほどかかります」
と言われ、あきらめたことがありました。

神戸市役所もそうですが、大きなビルの中に入っている組織では、エレベーターをできるだけ効率的に運行し、職員や来庁者がスピーディーに移動できるようにすることが大切です。
このことは、職員・社員の業務効率を上げ、来庁者へのサービス向上につながります。

この点について、楽天の三木谷社長が、ご著書『楽天流』(4月17日のブログ で紹介)の中で、興味深いご経験を記しておられました。
「朝会」でエレベーターが大混雑し、全員が集まるのに30分もかかっていたので、エレベーターの停止階を1,2,3,5,7, 10,13,14,17,21階にし、残りの階には階段で歩くようにしたところ、エレベーターの待ち時間は5分に短縮されたのだそうです。

神戸市役所でも、昼休みなどにエレベーターがたいへん混雑し、満員になったエレベーターが次々に通過して、なかなか乗ることができないことも多いようです。
たとえば、混む時間帯は、特定の号機を偶数階停止、あるいは奇数階停止にするなど、何らかの工夫を行うことは考えられないでしょうか。
知恵を出し合い、エレベーターで気持ちよく移動できるオフィスづくりを目指したいものです。


2015年7月12日
から 久元喜造

神戸創生戦略プロジェクトチーム

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今日は、ANAクラウンホテルで、神戸創生戦略プロジェクトチームの施策討議会を開催しました。
神戸市では、2020年の神戸のビジョン、神戸創生戦略を策定する作業を進めています。
チームは、ビジョン策定のために、さまざまな分野の有識者127名、神戸市の課長クラスの職員34名、若手職員12名により、具体的な政策を練り上げていくために設置しました。
きょうの討議テーマは、「人口減少に挑む」です。
日曜日の午後にもかかわらず、152名ものみなさんに参加していただき、感謝に堪えません。

まず、私から、神戸市が置かれている現状と認識、ポスト震災20年の神戸の課題について、約20分説明しました。
その後、産業・雇用、都市空間・都市ブランド、国際化、安全・地域、まちの佇まい・景観、教育・IT、起業・創業、交通、出産・子育て・女性の活躍、観光、芸術・文化、魅力的な住まいの各テーマごとに、18の丸テーブルに分かれ、討議していただきました。

私は、各テーブルを回り、後ろから討議の様子を聴かせていただきましたが、専門的見地やプロの目からの事業アイデアが次々に出され、今後のビジョン策定に向け、大きな力をいただいたように感じました。
長時間、熱心にご論議いただきましたみなさんに、心から感謝申し上げます。


2015年7月8日
から 久元喜造

APCS 市長共同宣言

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アジア太平洋都市サミットも最終日となり、市長共同宣言の署名を行いました。

内容は、あまり異論のない包括的なものですが、アジア太平洋地域の成長を牽引する役割を担っている都市の代表が膝を突き合わせて議論し、合意文書をまとめたことは、意義があったと感じます。

クワーク ブリスベン市長に丁重にお礼を申し上げて閉会式を中座し、クィーズランド日本商工会議所に向かい、神戸をはじめ日本とのビジネス交流を行っておられる経済界のみなさんと意見交換行いました。

さらに、クィーズランド大学を訪問し、スキッドモア副学長と、留学生交流に関する協定に署名した後、在ブリスベン日本総領事館に直行し、柳沢総領事主催のレセプションに臨みました。

これで、ブリスベンでの公式行事をすべて終えましたが、神戸とブリスベンとの30年にわたる交流が、沢山のみなさんの力で発展してきたことを確認することができました。

同時に、未来に向かっての大きな可能性を感じることができたブリスベン訪問でした。


2015年7月7日
から 久元喜造

市長フォーラム

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アジア太平洋都市サミットには、73人の市長、22人の副市長が参加しています。

今日は、この95人の市長、副市長が、10のテーブルに分かれ、市長共同宣言に向けた議論を行いました。

私のテーブルには、クワーク ブリスベン市長のほか、テルアビブ、フィリピンのブナン、台湾の嘉義、オーストラリアのプレイフォードなどの各市長、深圳の副市長などがおられました。

Global Cities をテーマに、それぞれが意見を述べ合いました。優れた才能をいかに自らの都市に引っ張って来るのかに、各市長の関心が集中していました。

フォーラム終了後は、クワーク市長が神戸のブースを訪れてくださいました。

その後、神戸市の訪問団全員で、ブリスベン市直営のマーケティング機関であるブリスベン •マーケティングを訪問し、エイキンCEOほか神戸との交流に尽力されているみなさんと意見交換を行いました。

弾き続き、グリフィス大学のシュテインズ教授から、慢性疲労症候群に関する研究についてお話をお伺いしました。


2015年7月6日
から 久元喜造

アジア太平洋都市サミット

 

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今日から、アジア太平洋都市サミットの討議が始まり、二人のオーストラリアの研究者の方と私の3人で、The Science of Global Cities の分科会において、議論が行われました。

私からは、神戸医療産業都市の中の、特に、スーパーコンピューター京を使ったシミュレーションについて説明しました。

終了後、同じ建物内で、守屋議長をはじめ訪問団がクワーク ブリスベン市長を訪問しました。

クワーク市長と私は、今後の両市の交流のあり方として、ビジネス交流を中心とすることで意見の一致を見ました。

30周年協定書にサインし、交換しました。

夕刻、郊外にあるブリスベン アクアティックセンターを訪問し、充実した施設内を案内していただくとともに、ハスマン クィーズランド州水泳協会会長に、2020年の東京オリンピック パラリンピックの事前合宿を神戸で行っていただくよう要請しました。

ブリスベンにいたこともあり、試合を見ることはできませんでしたが、なでしこジャパン、本当に残念でした。

沢山の感動をいただきました。ありがとう!