昨日書きました「総合性の発揮」(2017年11月1日のブログ)が具体的に何を意味するのかについて、敷衍したいと思います。
分権改革前の地方自治体の仕事は、機関委任事務が多くを占め、各省庁の大臣の指揮監督を受けていました。
個々の市民の事情、あるいは社会事象が何であれ、それぞれの制度を適用することが優先されていたのです。
これに対し、分権改革後は、個別の制度をどのようにうまく活用して地域の課題を解決するのかが問われるようになりました。
制度の適用が目的ではなくなり、制度は、課題解決のための手段になったのです。
たとえば、神戸市の一部でも、残念ながら地域の荒廃がみられるようになりました。
空家・空き地が増え、危険な老朽家屋、雑草が伸び放題の空き地、擁壁の崩落、階段の破損などが見られるようになりました。
自治会の役員のなり手がいないために、ごみステーションの管理、街灯の電球の取り換えも行き届かず、防犯カメラの設置も進んでいない、という地域が出てきています。
これらの事象は互いに関連しており、その原因は複合的です。
空家・空き地、防災、防犯、廃棄物、街灯など個別法令を所管している組織がバラバラに対応していても、問題を解決することはできません。
起きている社会事象を全体としてとらえ、神戸市が所管している法令をはじめとした手段を有効に組み合わせ、各組織が連携して事に当たる、という姿勢が不可欠です。
これがまさに「総合性の発揮」です。
いかに知恵を出して「総合性」を発揮し、目に見える成果を出していくのかが問われています。