台湾の李登輝元総統訪日の報に接し、少年時代の台湾旅行を想い出しました。
高校1年生のとき、ある作文コンクールに入賞し、当時としては大金の10万円をいただきました。そこで1970年3月の春休みに、沖縄、台湾をひとりで旅することにしたのです。
米軍統治下の沖縄から台湾の基隆に向かう琉球海運の船の中で、東京外国語大学の学生と知り合いになりました。何度も台湾に行っていて、案内してやろうと言うので、付き従うことにしました。
台北に到着し、彼の常宿に泊まったのですが、ものすごい歓迎ぶりでした。当時、戦前から住んでいる台湾のみなさんは、ほとんどがきれいな日本語を話すことができました。
台北市内で食べた餃子の美味しかったこと。
特急で台中に移動し、屋台でアヒルや豚の頭などを楽しみました。
日月潭で湖面に映る月を眺め、彼と別れて、外国人の立ち入りが厳しく制限されている山岳地帯に入りました。山の中の集落を歩いていると、日向ぼっこをしていたおじさんが
「日本人か、中に入りなさい」
とおっしゃるのです。雑談をしていると昼飯時になり、山菜をおかずに昼ご飯をごちそうになりました。
缶に入った山菜は日本に輸出しているようで、「これは神戸に行くんだよ」と説明してくれました。
旅の後半は、台湾の東海岸を路線バスで北上しました。ある大きな停留所に着いたとき、ちょうど昼飯時になったので、そばの食堂に入りました。ところが、あてずっぽうに頼んだ料理が、手の込んだ麺だったようで、発車予定時刻を過ぎても出てこないのです。
私は、運転手さんに、「間に合いませんから、発車してください」と言ったのですが、運転手さんは、「食べて下さい。待っていますから」とおっしゃり、バスは、20分近く遅れて発車しました。
ほぼ満席の車内からは苦情も出ず、本当に申し訳なく、ありがたく感じました。
至る所で台湾のみなさんの親切が身にしみた、16歳の台湾旅行でした。