4月8日のブログ で、「明石焼き」について記しましたところ、フェイスブックに、
「「明石焼き」の名前を知ったのは、上京して歌舞伎町のたこ焼屋に行った時でした」
と、コメントを寄せていただいた方がいらっしゃいました。
そうです。私も同じでした。
歌舞伎町で初めて「明石焼き」の店に入ったのですが、残念ながら、『たちばな』の「たこ焼き」にほど遠く、全然、美味しくありませんでした。
もう東京では『明石焼き』などやめておこうと思い、しばらく遠ざかっていたのですが、再び「明石焼き」に接することになったきっかけは、ある新聞記事でした。
阪神・淡路大震災で被災された神戸のご夫婦が、落合で『明石焼き』のお店を開いた、という内容でした。
そのお店の名前は、 『多幸兵衛』 。
しばらくして、早稲田通りに面したそのお店に、役所の同僚と出かけました。年配のご夫婦が、おふたりだけで、カウンターの中で忙しそうに立ち働いておられました。
たくさんの種類のおでんのほか、酒の肴がたくさんあり、そして、「明石焼き」が看板メニューのようでした。
私も注文しましたが、歌舞伎町と異なり、なかなか美味でした。
『多幸兵衛』には、その後、何回かお邪魔しました。
ご夫婦に、震災のときのこととか、このお店を開かれたきっかけとか、そして「明石焼き」のことなどお聞きしたかったのですが、繁華街から外れた住宅街のお店とは思えない繁盛ぶりで、結局、ご夫婦とゆっくり会話を交わすことはできませんでした。
『多幸兵衛』は、2010年に閉店になりました。
ネット上の情報では、ご夫婦は、神戸に戻られたとのことでした。
この間、いろいろとご苦労もおありだったことと拝察します。
お元気で、毎日をお過ごしになられますよう、お祈りしております。