久元 喜造ブログ

1930年代の神戸・ジャズの街


神戸ゆかりの小説家、上田早夕里さんの『上海灯蛾』を読んでいます。
主人公の次郎は、兵庫県の山間部でも特に寒い地方で生まれ育ちました。
こんな山間僻地にはもう住みたくない。
次郎は書置きを残して故郷を後にしました。
行先は神戸と決めていました。
どこかで働き口を探し、いつか神戸から外国に旅立つつもりでした。
神戸に辿り着くと、無名のジャズバンドに雑用係としてもぐりこみます。
バンドマンが若さゆえの無謀と情熱で「上海に渡って成功しよう」と言い出したとき、次郎は土下座までして「一緒に連れて行ってください」と頼み込みます。
1930年代前半のことだったと思われます。

神戸とジャズの歴史」の中の安田英俊氏の解説によれば、我が国で初めて本格的なジャズ演奏が行われたのは、1923年(大正12年)のことでした。
宝塚少女歌劇団のヴァイオリン奏者、井田一郎がプロのジャズバンド「ラフイングスターズ」を結成し、神戸の旧居留地にあったオリエンタルホテルでジャズを演奏したのが最初とされます。
同年に起きた関東大震災以降、文化の中心が関東から関西に移り、神戸、大阪には多くのダンスホールや劇場が出来、ジャズが盛んに演奏されていました。
日中戦争が始まると、敵性音楽であるジャズは演奏されなくなり、ジャズの演奏家たちは日本を去って上海へと移り住みます。

『上海灯蛾』ではこのような時代考証の上に、次郎が神戸から上海に渡るシーンが描かれたものと思われます。
当時の上海は、「東洋のパリ」とも「魔都」とも呼ばれた魑魅魍魎の世界でした。
次郎は音感に秀で、奏者の実力を見抜くことができました。
神戸での経験が上海でも生かされていきました。