久元 喜造ブログ

明治維新では農業が重視された。


明治維新は、世界史的に見て「最も成功した革命」と言われます。
確かに戦乱はありましたが、フランス革命の血生臭さから比べるとその違いは歴然としています。
その背景として、前の時代との連続性があるのではないかということを、いま読んでいる 大久保利通 の評伝から感じました。
フランス革命、ロシア革命の指導者は、革命前の政治、社会を徹底的に否定しました。
前の体制の支配者層の多くは粛清されました。

明治維新は違っていました。
大久保利通など政治維新の指導者は、旧幕府の幕臣を新政府の中に招き入れ、有能な人物は重用しました。
もうひとつの重要な視点は、農業の重視です。
1874年(明治7年)12月、内務省が設置されますが、その重要な使命は農業などの産業振興でした。
内務省職制及事務章程の冒頭に掲げられたのが「農工商ノ業ヲ勧ムル法則ヲ施行スル事」でした。
江戸時代は農業を主産業とする農耕社会でしたが、明治政府は農業を重視し、西洋の技術を取り入れ、その振興を図ろうとしました。
大久保利通は、1876年(明治9年)5月から約2か月間、東北の各地方を視察しています。
その目的は東北地方における農業など産業の実態を把握し、内務省の勧業施策に反映することでした。

ここで対比されるのが、ロシア革命政府の対応です。
フレヴニューク『スターリン』(2022年2月27日のブログ)が記しているように、革命政府によって穀物を没収される農民の怒りは内戦の勃発をもららし、内戦と飢饉は、何百万人もの人々の命を奪いました。
実権を握ったスターリンは実態を無視した急激な工業化を推し進め、ウクライナなどではさらに大きな悲劇に見舞われたのでした。