帯に、「江戸の人びとの感情や思考のあり方を広く掬い上げ、江戸文学の奥深い魅力へと迫る詩話集」とあります。
文学に造詣の深い方には、文学の観点からの発見や気づきがたくさんあることと想像します。
そうでない私にとり、江戸時代を生きたさまざまな身分、職業の人々の日常、経済事情、娯楽などの情景が、それぞれのシーンに込められた想いとともに蘇って来るようで、たいへん興味深かったです。
本書には、たくさんの人物が登場します。
儒者、漢学書生、歌人、幕府の役人、僧侶、遊女、医師など。
「虫めづる殿様」の章に登場する人びとは、大名です。
「大名のなかには和漢・硬軟の学藝に興味を持つディレッタントが少なからず存在」しました。
そのような一人が、伊勢長島藩主・増山雪斎でした。
雪斎が虫を相手にする日は、交友関係を謝絶して独り静かに部屋に籠り、側仕えの子供に庭の蝶や蜂を捕えさせ、それらを写生させたと言います。
雪斎は、写生し終わると、虫の死骸を小箱に収蔵させました。
雪斎の事績を読んだ石碑「蟲塚」は、上野の勧善寺に建てられ、その後寛永寺境内に移されて、今もひっそりと佇んでいるそうです。
漢詩に親しんだのは、主として漢学者などの知識階級でしたが、彼らは庶民と交わり、自由な交友を楽しんだようです。。
江戸の遊里・吉原を素材に七言絶句30首の連作詩集が編まれました。
この「北里歌」を編んだのは、玄味居士という匿名作家ですが、この人物は、幕府の教学を司る林家門下の儒者・市河寛齋であったと言います。
ほかにも林家門下の儒者が「北里歌」に関わったことが分かっています。
江戸の漢詩の世界は、誠に多彩で豊かなものであったことが窺えます。