久元 喜造ブログ

2019年10月6日
から 久元喜造

夜の神戸の街を明るくしたい。


先日、人口減少対策の第一弾を打ち出しました。
第一弾では、街の質を高め、ブランド力を向上させるため、公共空間をリノベーションしていく施策を掲げていますが、その一つが「まちなか街灯の大幅増設・LED化対応」です。

若い世代や女性の市民のみなさんと意見交換をした際によく言われるのが、「神戸の夜の街が暗い」ということです。
街灯が少なく、夜の道が暗くて、駅やバス停から歩いて帰宅するのが怖い、という女性の声を聞きました。
とくに近年、神戸に移り住んで来られた方々からこういう意見が相次いでいます。
このような問題を放置するわけにはいきません。
特定の箇所だけでなく、神戸の街全体を明るくするための思い切った対策が求められていると感じます。

そこで、既設まちなか街灯(防犯灯)の蛍光灯をすべてLED化するとともに、まちなか街灯を大幅に増やすことにしました。
現在のまちなか街灯は、約96,000灯 ですが、これを 5割アップ することとし、約48,000灯 のまちなか街灯を増設します。
神戸市の全域を対象に、街灯が不足しているために夜の街が暗くなっている箇所に増設します。
増設は、令和2年度末までに完了させる予定です。

神戸は電車、地下鉄などの交通網が発達した街ですが、駅前が暗いという声もよく聞きます。
そこで、三宮、元町など繁華街の駅以外の駅をすべて対象として、駅周辺の街灯を、上の措置とは別に増設することにします。

来年は震災から25年。
神戸の街は復興しましたが、地道な分野でこれまで手が回ってこなかった点があることも事実です。
みんなで力を合わせ、見違えるような神戸の街をつくっていきたいと決意を新たにします。


2019年9月27日
から 久元喜造

片山虎之助氏が語る「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

今週、9月24日(火)の毎日新聞蔵書 拝見」に、日本維新の会共同代表・参議院議員の 片山虎之助 先生が登場されていました。
取り上げられていたのは、加藤陽子『それでも、日本人は『戦争』を選んだ』
つい先日、ブログ(2019年9月22日)で、本書について感想を記したこともあり、興味深く拝読しました。

片山虎之助先生には、総務大臣ご在任中にお仕えしました。
ほぼ同じ時期に、同じ本を読んでいたことを知り、改めてご縁を感じます。

片山先生は、「あの戦争について、「バカな戦争だった」という結果論からする評価は・・・正鵠を得ていない」と喝破されます。
本書は「「その時、その立場にいた歴史上の人物には、違う風景が見えていた」ということを、当時の関係者の日記などの資料から立証し、説得力がある」と。
なぜ、大多数の日本人が戦争を支持し、理性的な指導者たちもが抗えなくなっていったのか・・・
戦争に向かっていった時代の空気とはどのようなものだったのか・・・
現在の価値観から過去を断罪するのではなく、その時代、その時代の体温を感じながら、そのような中で何が起きたのか、当事者たちがどのように苦闘したのかに想いを馳せること。
想像力を逞しくして、あの時代を追体験する営みは、とても大切なことではないかと改めて感じます。

1935年(昭和10年)生まれの片山先生は、「玉音放送を大人にまじって聴いた」そうです。
そして、「太平洋戦争を体験した最後の世代」として、こう仰います。
戦争はとにかくしない方がよい。それは私どもの世代の皮膚感覚だ」と。
世代を越えて、この感覚を引き継いでいくことは、とても大事ではないでしょうか。


2019年9月24日
から 久元喜造

組体操で子供の体力は向上するのか?


今日の朝日新聞関西版の3面に「組み体操 神戸市長と教委対立」との見出しで、記事が掲載されています。
教育委員会とは連携をとりながら仕事をしてきており、「対立」の文字にはいささか戸惑いますが、本件について立場を異にしていることは事実です。

私が組体操の中止を求めているのは、骨折など事故が多発し、子供の安全を確保できていないという危惧からですが、さらに言えば、昔から続けてきた組体操が、子供たちを巡るさまざまな変化に対応できているのかという疑問もあります。
組体操の継続の根拠としては、「子供の体力の維持に必要」「一体感を得られる」といった意見があり、きょうの記事にも、「しんどいことやつらいことを克服する力を身につけ、友だちと力を合わせてできたことに達成感を味わってほしい」という校長先生の主張が掲載されていました。

確かに成長期において、そのような観点は必要でしょう。
また、体力の維持・向上は、学校教育の大きな眼目です。
問題は、組体操がそのような観点から適切かということです。
子供たちの体力は昔に比べ、間違いなく落ちています。
兵庫県の小中学生の体力・運動能力は、全国の都道府県の中でも最低クラス です。
体力が落ちているのに、昔からの価値観に立って危険度の高い演技をさせることが、本当に良いのでしょうか。

神戸新聞の社説(9月19日)にあるように、「体力や体格は一人一人異な」ります。
ネット社会の進展の中で、子供たちが体を動かす必要性は間違いなく高まっています。
子供たちが体力を向上させ、危険を克服する術を身につけるためには、現在の状況の中で何が求められるのか、幅広い議論を期待したいと思います。


2019年9月22日
から 久元喜造

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』


女性東大教授の著者が、男子高校で行った5日間の講義が下敷きになっています。
講義と言っても一方的なものではなく、高校生たちとやりとりが活発に行われ、その質問のレベルが高いことに驚かされました。

日本人はなぜ戦争への道を選んだのかについて、本書は、日清戦争から太平洋戦争開戦までをたどります。
松岡洋右の手紙などこれまで知らなかった事実が次々に提示され、理解が深まったのは当然ですが、とくに印象的だったのは、第1次世界大戦と我が国との関わりでした。
日本は第1次世界大戦に連合国側に立って勝利し、被害も比較的軽微で、山東半島の権益も確保します。
しかし著者は、パリ講和会議に出席した日本の指導者層は、大きな衝撃を受け、危機感を抱いたと記します。
それは、米国、英国との対立でした。
そして、1907年に策定された「帝国国防方針」での想定敵国がロシアであったのが、第1次世界大戦が終わった第1次改定では、米国と中国が加わり、関東大震災が発生した1923年の第2次改定では、第1の想定敵国が米国になっていることに注目します。

第1次世界大戦後、日本の社会は大きく変容していきます。
「日本は変わらなけれが滅びてしまう」という危機感が広がり、たくさんの「国家改造論」が登場します。
それらの典型的主張は、「普通選挙、身分的差別の撤廃、民本的政治組織の樹立、既成政党の改造、労働組合の公認、国民生活の保障、税制の社会的改革、新領土、朝鮮、台湾、南洋諸島統治の刷新」など広範囲にわたるものでした。
1925年に普通選挙は実現しますが、政党政治の腐敗に対する国民の不信は高まり、軍部に支持が集まっていく過程が鮮やかに描かれていきます。


2019年9月17日
から 久元喜造

岡場にも、ストリートピアノが登場。


地下街、駅に続いて、港、空港と増殖を続ける、神戸の  ストリートピアノ
このほど、北区の 岡場 にも設置されました。
神戸市が関わったピアノとしては、7台目になります。

場所は、神戸電鉄・岡場駅前の商業施設、エコール・リラ です。
岡場には、この4月に、北区で二つ目の北神区役所を設置、その後、おしゃれな 北神図書館 もオープンしました。
ストリートピアノの登場で、さらに賑わいのある、笑顔が弾む街になってほしいです。
今回の設置は、本格設置に向けた実験です。
特段の問題がなければ、本格設置を行います。

このストリートピアノの楽器は、もともとは、神戸文化ホールで使われていたグランドピアノです。
市外の篤志家の方が、神戸市の芸術文化に役立ててくださいと、何と、1億円を寄付してくださいました。
寄付者のご意向を踏まえ、神戸文化ホールには、スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ヤマハの本格的グランドピアノをそろえることにしました。
そして、これまで神戸文化ホールで使われていたヤマハのグランドピアノが、岡場にやってきました。
少し年数は経っていますが、プロのピアニストも弾きこんだ楽器で、まだまだ、よい響きがするのではないかと思います。

神戸のストリートピアノには、たくさんのみなさんに関わっていただいています。
神戸文化マザーポートクラブ など経済界のみなさん、調律師など音楽関係者、有志の神戸市職員、この取り組みに賛同し、発信をしていただいている市民などたくさんの方々が参画し、応援していいただいています。
神戸のストリートピアノは、これからも、内外からのご支援と共感をいただきながら、進化していきます。


2019年9月15日
から 久元喜造

山之内克子『物語 オーストリアの歴史』


神戸市外国語大学の山之内克子教授の近著です。
「9つの州がつむぐ1000年」と帯にあるように、各州の地域特性と歴史が章立てされ、味わい深く語られます。
改めて感じることは、オーストリアが複雑な多民族国家であることです。
オーストリアを舞台に、多くの民族が移動と定住を繰り返し、今の各州がつくられていきました。
各州では、長い歴史の中で、民族間の敵対、抗争、融和が展開されてきました。

周辺諸国との確執も繰り返されます。
オスマン・トルコ帝国は、繰り返しオーストリアへの侵入を試みますが、その最前線に立ったのが、今日オーストリアの最東部に位置するブルゲンラントでした。
この地を支配したエステルハージ家については、作曲家ヨーゼフ・ハイドンの庇護者という程度の認識しかなかったのですが、オーストリアをトルコの侵略から守る上で、大きな役割を果たしたことを知りました。
また、長くイタリアとの確執の舞台であったティロルの歴史は、とくに前世紀前半、イタリア・ファシズムとナチス・ドイツの支配の狭間にあっただけに、過酷なものでした。

民族間の対立は、今日もオーストリアの政治に影を落としています。
国際的にも知られた「極右」政党、自由党を率いたイェルク・ハイダーは、陽光が降り注ぐリゾート地、ケルンテンの州知事を務めました。
ケルンテンが「極右」勢力の拠点となった背景には、長く続いてきたドイツ系住民とスロヴェニア系住民との対立があったことが、第1次世界大戦後の国際政治との関連も含めて、分かり易く描かれます。

美しい自然、景観と音楽など豊かな文化で知られるオーストリアの歴史は、なかなか一筋縄ではいかないことがよく理解できました。


2019年9月5日
から 久元喜造

案内板・外国語表記の点検


国際都市・神戸は、外国人のみなさんにとっても、住みやすく、便利な街でありたいです。
看板、サイン、デジタルサイネージなどでの情報提供も、外国人にとり、分かりやすい表示が求められます。
そこで神戸市では、2017年(平成29年)に「案内サイン共通仕様書」を一新し、英語表記方法も含めて表示基準を定め、情報内容やデザインに共通性や連続性を持たせたサイン整備を進めることにしました。

しかし、まちなかにある案内サインなどを見ると、英語表記の意味が分かりにくく、不親切で不適切な例が見られ、投書などで指摘をいただくことがあります。
私自身、首をかしげるような表記を目にします。
職員に三宮周辺を歩いてもらったのですが、少し調査しただけでも、不適切のものがすぐに見つかりました。
上の写真では、「三宮センター街東口」が、3種類の異なる表記になっています。
下の写真は、どうみても翻訳が不十分で、これでは目的地にたどり着けないでしょう。

そこで、情報共有アプリ「KOBEぽすと」を活用し、まちなかのサインの外国語表記(英語・中国語・韓国語)について、チェックをしていただくことにしました。
まずは、登録ユーザー、ネットモニター、留学生のみなさんに投稿をお願いしていますが、幅広い市民のみなさんにも参加していただきたいと考えています。
具体的には、「案内板外国語チェックのお願い」をご覧ください。

もちろん、このような現状は、私を含め市職員が問題意識をもって改めていかなければなりません。
その上で市民のみなさんにもこの作業に参画していただき、スピーディーに改善していきたいと思いますので、ご協力をよろしくお願いいたします。


2019年9月2日
から 久元喜造

松原隆一郎『頼介伝』


著者は、著名な経済学者。
1956年、神戸市東灘区生まれ、灘中・灘高を経て東京大学工学部に進学しますが、転じて経済学の道に進みます。
本書は、著者の祖父、松原頼介(1897~1988)の評伝です。
出版元の苦楽堂からいただき、今年の盆休みに紐解いたのですが、あまりに面白く、一気に読み終えました。
そこには、大正末期から戦後の神戸が、今でいう起業家、松原頼介の生きざまを通して生き生きと描かれていました。

松原頼介は、山口県生まれ。
十代でフィリピンのダバオに渡り、帰国して上陸したのが神戸でした。
1918年(大正7年)、第1次世界大戦後の好景気に沸く、今の兵庫区東出町に住み付きます。
1922年(大正11年)、合資会社松原商會を設立。
以後、神戸の地でさまざまな事業を起こし、激動の時代の荒波に乗り出していきました。
1931年(昭和6年)、紡績工場を武庫郡本庄村西青木に設立。
以後、満州鉄道との取引で大成功を収めます。
筆者は、丹念に資料を渉猟し、満鉄との取引などその実態を明らかにしていきます。

戦後は製鉄所で大成功し、阪神モダニズムの世界にも身を置きますが、1970年代に入ってからの事業拡大路線は失敗。
1976年(昭和51年)松原頼助の大和電機製綱は、川崎製鉄の傘下に入ったのでした。
1988年(昭和63年)逝去。

著者にとり『頼介伝』は、祖父と出会い直す物語であり、「神戸市とは何か」を理解する旅でもあったようです。
「終章 神戸についての省察」は、祖父の実像を探し求める旅から獲得された、奥行きの深い神戸論です。
同じ年代の神戸人として、この街の苦闘に想いを馳せ、言い知れぬ感動を覚えました。


2019年8月22日
から 久元喜造

日経新聞「タワマン」記事


今日の日経新聞全国面(2面)に、「人口減でもタワマンに頼らず」「神戸市、中心部で新築禁止」「郊外の持続的発展目指す」との見出しで、神戸の取り組みが紹介されています。
「全国の都市部で高まるタワーマンション人気をよそに、神戸市は2020年7月に中心部で建設を禁じるなど二重三重の規制に乗り出す」との書き出しで、規制の内容などに言及しています。
記事にあるように、三宮駅周辺が大阪のベッドタウン化し、商業施設やオフィスの集積に影響が出ないようにしなければなりません。
都心居住に対するニーズを踏まえながら、街づくりを進め、郊外の活性化を図るなどバランスの取れた街づくりを進めていきます。

また、分譲型タワマンについては、適切に管理がなされ、将来の大規模修繕に備えていくことが不可欠です。
こうしたことから、神戸市では、記事のとおり、タワマンも含めたマンションの管理組合の運営状況や修繕積立金の計画をチェックして認証する仕組みの構築を目指し、有識者による検討を始めました。
記事では、2021年度とありますが、何とか来年度中にスタートさせることができないか、作業を加速させていきます。
何十年後かに中心部が一気に老いて、郊外が過疎化、荒廃するのは悪夢だ」という私のコメントも掲載されていました。
愛する神戸の街が将来、荒れ果てた惨状をさらすようなことになれば、戦災や震災を乗り越えて神戸の街をつくりあげてきた先人にも顔向けできません。
規制に対する懸念の声も掲載されていましたので、さまざまなご意見をしっかりお伺いしながら、持続可能なマンション管理、まちづくりに関する施策を進めていきたいと考えています。


2019年8月17日
から 久元喜造

高村薫『四人組がいた。』


市町村合併で市に編入された、山奥の旧村が舞台。
旧バス道沿いの郵便局兼集会所に集まり、一日中、茶飲み話に耽る四人の高齢者が主人公です。
元村長と元助役、郵便局長、そしてキクエ小母さん。
ゆったりとした、退屈な時間が流れていくのですが、外から訪問者が現れると、四人は高齢者とは思えないテンポで毒舌を浴びせ、意表を突く、驚くべき行動に出ます。
タヌキ、鹿、熊、それにどういうわけかダチョウも現れ、キャベツたちもがわさわさ行進を始めます。
荒唐無稽、突拍子もない物語が、とてつもないスピード感で展開されていきます。
それにしても、『マークスの山』などでの重厚な文体とはまったく異なる、軽妙な筆致に驚き、圧倒されました。

この小説では、過疎地域の現状のみならず、あらゆる社会事象が風刺の対象になります。
帯によれば「現代日本が抱える矛盾をブラックな笑いであぶりだす快作」です。

市長も容赦なくやり玉にあげれます。
三十代で新しく市長になった通称「ヘリウム」が思いつきでぶち上げたのが「子育て世代にやさしい田舎宣言」。
その一環として、市長は新しい保育所の開設を提案するのですが、ご多分にもれず、市は金欠で予算もない。
そこで、市長は、ほとんど出費ゼロですませられる方法として、保育所を旧村役場に開設。市内の児童を毎朝マイクロバスで山へ運び、夕刻にまた麓へ送り届けることにします。
即断即決で、僻地保育所兼老人デイサービスセンター『子育てのカオス&あの世にもっとも近い姥捨苑』がオープン。
四人組をはじめとする「ジジババども」、運ばれたきた保育園児たちに、タヌキたちも参戦し、まさにカオスの世界が繰り広げられるのでした。