神戸市役所庁舎2号館が再整備のために解体されることになり、今日10月29日に「お別れ式典」が行われました。
振り返れば今の2号館は、1957年(昭和32年)、神戸市役所の4代目の庁舎として建設されました。
前年には、神戸市が五大市の一つとして政令指定都市となり、人口は100万を突破して神戸は成長の途上にありました。
当時の風景を思い起こすと、モダンなデザインの市役所が威容を誇り、すぐ隣には花時計が置かれ、傍には姉妹都市のシアトル市から贈られたトーテムポールが建っていました。
周りにはあまり高い建物はなく、当時の神戸を代表するスポットとして人気を集めていたように記憶しています。
1989年(平成元年)には、今の1号館が建設され、2号館となりましたが、神戸市政の中枢としての役割を果たし、神戸の発展を見守り続けました。
1995年(平成7年)1月17日の震災では壊滅的な被害を受け、6階部分は完全に押し潰されて、机や椅子などが外の敷地に散乱したと言います。
余震が続く中、懐中電灯を片手に、危険を冒して書類やデータを取りに行った職員のみなさんもいたと聞いています。
式典で矢田立郎前市長は、「この庁舎は、国際会館、新聞会館とともに、戦災復興の象徴でした」と挨拶されました。
2号館の建物は、63年の間、戦災、震災の苦難を乗り越えてきた神戸市政とともにありました。
改めてこれまでの市政の歩みをしっかり受け継ぎ、先人の苦労を思い起こしながら、新型コロナウイルスとの闘いという試練に立ち向かっていく決意を新たにします。
2号館解体・撤去後には、庁舎のほか、音楽ホール、賑わい施設などが入る新しい施設が建設されます。