久元 喜造ブログ

大木毅『独ソ戦』(岩波新書)


著者は、本書の冒頭で独ソ戦の性格をこう断定します。
ヒトラー以下のドイツ側指導部にとって、対ソ戦は「世界観戦争」であり、「みな殺しの闘争」、「すなわち絶滅戦争にほかならなかった」と。
これに対し、スターリン以下のソ連指導部たちは「コミュニズムとナショナリズムを融合させ」、ロシアを守るための「大祖国戦争」と規定したのだと。
ソ連側では、対独戦は通常の戦争ではなく、イデオロギーに規定された、交渉による妥協など考えられないものになっていきます。
このような性格を帯びた戦争は、もはや戦時の国際法規が適用されるわけでもなく、帯にあるように「戦場ではない 地獄だ」としか言いようのない様相を呈していったのでした。

ヒトラー、そしてスターリンの思考や行動についても詳しく記されており、興味深いものです。
開戦当時、ソ連軍は著しく弱体化していました。
スターリンの大粛清の矛先が軍にも向けられ、何と軍の最高幹部101名中91名が逮捕され、80名が銃殺されていたという戦慄すべき事情があったからです。
ドイツ側においては、ハルダー陸軍参謀総長をはじめとした中枢部の楽観的で杜撰な作戦計画も明らかにされます。

独ソ戦の転機となったスターリングラードの攻防は、地図を交え、詳しく語られます。
当然のことながら、市民を巻き込んだ市街戦は壮絶なものでした。
もちろんレニングラードの攻防も凄まじいものでした。
敗戦が確実になってもなお、ヒトラーが交渉で戦争終結に向かうことはありませんでした。
「世界観戦争」を妥協なく貫徹するというその企図はまったく動揺していなかったという著者の指摘は、地獄を現出させた根源を言い当てているように感じました。