あれは、確か、川池小学校に通っていた、小学校3年のときだったと思います。
夏休みの宿題で、自由研究のようなものが出されました。私は、神戸のあちこちを自分で歩き、自分が見た印象を、地図での情報と組み合わせ、絵地図にして表したいと考えました。
自分のアイデアを母に話しますと、一人では、遠くには行けないだろうから、自分がついていってやろうと言ってくれました。
自分が母に連れられて、神戸のどこを歩いたのかは、よく覚えていません。ただ、夏休みの何日間か、母に連れられて、電車やバス、そして市電を乗り継ぎ、神戸のあちこちを訪ねたことを覚えています。
すべての区を訪ね歩いたことは確かです。なぜなら、 できあがった絵地図は、すべての区を含んでいて、母は、行ってもいないところを、さも行ったかのように書くことを、決して許さなかったからです。
あのとき、自分は神戸のどこを訪ねたのか。
断片的に残っている記憶は、
苅藻島のあたりを歩いたときの、運河と工場地帯の雰囲気、
「ミヨシ石鹸」と書いてあった、工場の大きな看板、
摩耶山のケーブルカーの車内の様子、
塩屋あたりの海の風景、
などなどです。
そして、はっきりと覚えているのは、垂水区を塗り絵していたとき、山であることを示す、緑色の絵の具を、ひたすら塗り続けたことです。
当時は、まだ西区はなく、垂水区のほとんどは、山か丘陵であったからでしょう。
あれから、半世紀以上の歳月が流れ、私は、再び、これまで自分が行ったことがなかった神戸の場所を訪れています。
はじめて訪れるところで、はじめてお会いするみなさんとお話しし、これまで知らなかった風景と出会う ― 本当にわくわくする毎日です。
少年に戻ったかのような、新鮮な感動を、日々、感じています。