久元 喜造ブログ

六甲山を未来の世代に

毎朝、六甲山を仰ぎ見るとき、神戸に住んでいる幸せを感じます。
確かに、 緑豊かな六甲山は、市民のシンボルであり、誇りです。

ところが、明治の初め、六甲山は、ハゲ山でした。
植物学者の牧野富太郎氏は、当時の六甲山を見て、「雪が積もっているかと思った」と言ったそうです。それほど、木がありませんでした。
樹木のない六甲山からは、雨のたびに土砂が流れ出し、たびたび街に被害を及ぼしていました。

これを解決するため、1902年(明治35年)から、大規模な植林が開始されました。そして、異なる分野の人々の叡智と技術、そして、見事な協働作業によって、六甲山は、緑豊かな山として蘇りました。
現在の六甲山が、先人たちのこのような長い年月の取り組みによって存在しているという事実を、私たちは忘れてはなりません。

ところが、近年、六甲山には、荒廃が進む箇所もあります。
私たちは、六甲山を荒廃から守り、後世に伝えていく責務があります。

神戸市では、これからの100年を見据えて、平成24年4月に「六甲山森林整備戦略」を策定しました。
六甲山全体を、5つの「戦略的ゾーニング」(災害防止の森、生きものの森、地球環境の森、景観美の森、憩いと学びの森)に区分し、ゾーンごとの目標像や整備方針を定めています。
例えば、「地球環境の森」では、二酸化炭素の吸収力が高く、エネルギーとして活用できる木を植樹することにしています。
また、自然を活用したエネルギー供給施策として、間伐材をバイオマスとして活用すべく、「こうべバイオガス」事業でのガス化利用を既に始めており、将来的にはバイオマス発電(「森の発電所構想」)を行ったり、山上施設や超小型モビリティ等での活用を促し、六甲山でのエネルギーの地産地消を目指していくこととしています。

これまでは「植林」で六甲山を守ってきましたが、これからは「伐る」ことで山を守っていくことが求められています。
植生が移り変わる「遷移」を意識して、適度に木を「伐る」ことによって、明るい森づくりを行っていくことが目指されています。