少し前になりますが、日経新聞の経済論壇(2017年6月24日)に、土居丈朗慶応大学教授による解説があり、金井利之東京大学教授が執筆された「遊興」論が紹介されていました。
「主演」=都知事、「劇場」=都政という興行に都民は満足するという構図の中に、「遊興」としての都政をみるのが、東京大学教授の金井利之氏(アスティオン86号)である。築地市場も東京五輪会場も予算規模も、都民にとっては他人事の「遊興」でしかない。利害関係者は「助演俳優」でしかなく、迫真の演技であればあるほど「遊興」度が増す。これは、小池都政に始まったことでなく、戦前からそうだった。
金井教授の「遊興」論は、前に読んだことがあります。
それは、『現代を生きる―歴史と現代の透視図』(中公叢書 2012年)に収められている「東京都性論―あるいは人間不在の都政」です。
たいへん面白い論文でした。
この論文は、特定の知事の都政を論じるのではなく、「戦後都政に通底する一般的傾向、すなわち、東京都性を抽出することを目的」としています。
「東京都政には、各人の思いつき政策・事業を可能にするだけの財源的余剰」があります。
「そのような余剰のなかで、政策的遊興が可能に」なるわけです。
以前にも書きましたが、東京都にはほかの地域では考えられないような莫大な税収が入り、これを都と23の特別区で山分けする仕組みになっています。(2015年7月22日のブログ)
金井教授は、この「巨額の財源的余剰のために、一般の自治体以上に都政は、各利害関係者に適度に分配できる」と指摘されます。
「東京型高齢化」が進行する中、このような東京都政がどのような方向に向かうのか、注目されます。