あれは、確か、鈴蘭台に引っ越したばかりの、昭和39年か40年だったと思います。
鈴蘭台から有馬街道の二軒茶屋に向かう県道があるのですが、夜、その県道を少しはずれた里道を、両親、弟と4人で散歩していました。
静かな田園風景でした。
周りには田圃が広がり、畦では蛍がひっそりと光を放ち、あたりには蛙の声が響いていました。
田圃の向こうには、神戸電鉄三田線との間に、なだらかな雑木林がありました。
風がほとんどない、夏の夜だったと記憶しています。
ふと、雑木林の方に目をやると、オレンジ色の火の玉が見えたのです。
火の玉は、雑木林の麓から昇って行っているようでした。
3つか、4つだったと思います。
ゆらゆらと揺れるように、ゆっくりと、雑木林を背にして昇っていき、そして、消えていきました。
とても神秘的な光景でした。
私は、とても驚き、呆然としました。
何か、信じられないことが起きたように感じました。
私は、興奮して、
「あれ、見て!人魂や、人魂!、まだ昇ってる、昇って行ってる!」
と叫びましたが、両親と弟は、割に冷静で、
「そやな」「人魂やな」
「なんかのガスが燃えとんやろな」
と、冷静そのものだったことも思い起こします。
あれから、半世紀近い歳月が流れ、昨年の4月26日、毎日新聞の夕刊、「私だけのふるさと」シリーズに、作家の江上剛さんの追憶が掲載されていました。
タイトルは、「白いひとだま 生も死も身近に」
江上さんのふるさとは、兵庫県山南町(現在は丹波市)です。
「夏の夜、何人かで縁側に座って夕涼みをしていた時のこと。杉の木の間に見えるわらぶき屋根の上に、ぽんと火の玉があがったんです。白くて丸い光がぽわっと浮かんだのを全員が見て、「あっ」と声が出て」
誰かが「あそこのおばあやちゃん、しんだんやなあ」とつぶやいたそうですが、次の日に聞くと、本当にその家のおばあちゃんが亡くなっていた、と江上さんは回想しています。
なかなか信じられないことかもしれません。
しかし、この世には、理屈で説明できないことがあることも事実です。
私も、オレンジ色の火の玉がゆっくりと昇っていくのを見たとき、人の生死に関わる何かが起きているような気がして、不思議な感覚に襲われたのでした。