昨日の産経新聞に、日本創成会議座長としてご活躍中の増田寛也さんのインタビューが掲載されていました。
・・建設省(現国土交通省)時代は猛烈に働きました。建設省にいたのは42歳までですが、当時はいかに役所に長くいて、いかに休日も含めて仕事に注力するかという価値観にどっぷり浸かっていました。
40歳前後で大きな法案をいくつか作り、そのひとつが「地方拠点法」です。6省庁がかかわる新設の大きな法律で、年末から2月まで2カ月ほぼ泊まり込みで作業しました。主管庁である建設省からは私、自治省(現総務省)からは今の神戸市長の久元喜造、通産省(現経済産業省)からは今の経済産業政策局長の菅原郁郎がとりまとめ役でした。
家に帰れないため、いつも着替えを朝、家内に省まで届けてもらいましたね。窓のない部屋ですから、外が見えない。知らないうちに真っ暗になる。残業はつけていないから分からないけど、月300時間ぐらいになったかな。ただ、仕事とはそういうものという意識で、苦労はしたけど、つらいとも思わなかったですね。
窓のない部屋で、増田さんと法案を詰めた日々を想い起こします。私も、月に250時間くらいの残業をし、モーレツに仕事をしました。
同時に、増田さんが思っておられますように、こんな仕事の仕方を、今の若手のみなさんにしてほしくありません。自分が味わった同じく苦労を後輩にさせて、鍛えようとする向きもありますが、明らかに間違いです。
増田寛也さんは、最年少で岩手県知事に就任され、その後、第1次安倍改造内閣、福田康夫内閣の総務大臣として入閣されました。私は、選挙部長、自治行政局長としてお仕えしました。
20年以上にもわたるこのようなご縁もあり、増田さんには、神戸市の特別顧問にご就任いただき、人口減少時代における大都市行政についてご教示をいただいていることは、本当にありがたく感じています。