私は、1995年7月に札幌市役所から東京に戻ってから、2012年7月まで、霞ヶ関で仕事をしました。「官僚主導」が批判され、「政治主導」が強まっていった時代でした。
役所では、大臣の意向が一層重要になります。大臣が何を考えておられるのか、どう感じておられるのかが、幹部職員の関心事になるのは当然の成り行きでした。
別の部局が説明に入ったときの大臣の反応、秘書官に発した言葉、果ては、酒席での戯れ言までが話題になり、
「大臣の考えはこうだ」「いや、大臣の真意は別のところにある」
といった、大臣の意図を探る会話があちこちでよく延々と交わされていました。
私は、そのような会話にはほとんど加わりませんでした。時間が無駄だったからです。そんなヒマがあったら、大臣に直接聞けばいいのに、と思っていました。
ただ、上司によっては、単刀直入に訊くのをいやがる人もいました。
ある 政府の重要会議で、私の担当分野について、大臣がかなり非現実的な発言をされたことがあり、上司に、「直接、私が大臣のお考えを確かめます」とお伺いを立てると、
「われわれが大臣の方針に反対しているかのように受け止められるのは、まずい」
と、さえぎるのです。
余りの馬鹿馬鹿しさにあきれ果て、独断で大臣室に入り、端的に発言の意図を尋ねますと、案の定、最初はご機嫌が悪かったのですが、やりとりをしているうちに納得していただき、あとは、その会議での大臣発言をいかに自然に軌道修正していくかを、私が考えることになりました。
もちろん、大臣の日程は超過密で、いつでも飛び込めるわけではありません。
急ぐときは、国会答弁レクなど大勢が集う別のレクの中で、答弁の説明に潜り込ませて、さりげなく意図を訊き出すしかありませんでした。
周りに余計なことを知られることなく、ポイントを大臣にだけ、ほんの一瞬のうちにどう理解してもらうのか、そして、イエスの答えを瞬間的にどう引き出すのか、前の晩からレクの直前まで頭をひねりました。