群馬県の 富岡製糸場 が、「富岡製糸場と絹産業遺産群」として、世界文化遺産に登録されことが決定しました。
岩井富岡市長をはじめ関係者のみなさまに、お祝いを申し上げたいと思います。
富岡製糸場は、1872年(明治5年)に官営工場として開設され、我が国の殖産興業の象徴であり続けてきました。その後、民間に払い下げられ、1939年(昭和14年)からは、片倉工業が生糸の生産を行ってきました。
生糸の生産が海外との厳しい競争にさらされる中で、明治以来の施設を大切に保存されながら、工場の操業を続けてこられたご苦労は並大抵のものではなかったことと想像します。
片倉工業は、1987年(昭和62年)に操業を停止しますが、2005年(平成17年)に富岡市に寄付されるまでの18年間、15000坪に及ぶこの巨大な施設の維持・保存に全力を傾けられました。
そして現在は、富岡市の手で、大切に管理されています。
私は、2010年の秋、施設内を案内していただいたことがあります。
そのときにお伺いしたお話によれば、工場の設計、建設の指揮と、初期の工場の運営に当たったのは、ブリューナーをはじめとするフランス人でした。
ブリューナー一家には、320坪にも及ぶ、広大な屋敷が与えられたと記憶しています。破格の待遇と言えますが、当時の明治政府は、それだけ必死にヨーロッパの技術を吸収しようとしたのでしょう。
生糸や機会の検査を担当したフランス人たちのために建てられた検査人館は、1873年(明治6年)の建築。
のちに改装され、工場長室、貴賓室などがつくられました。当時のままに保存され、有栖川幟仁親王の書なども残されていました。
この館には、当時のままだという、浴室、浴槽も保存されていました。
この貴重な産業遺産が、幾多の困難を乗り越えて大切に保存・管理され、今回の世界遺産登録に至ったことに深い感銘を覚えます。