4月8日のブログ で、 「『たちばな』のたこ焼きは、明石焼きか?」 という疑問を記しましたところ、フェイスブックを含め、たくさんのみなさんからコメントをいただきました。ありがとうございました。
結論は、イエスのようです。
寄せていただいたコメントを総合しますと、明石には、『たちばな』の「たこ焼き」に近い、「玉子焼き」という料理があったようです。
明石観光協会に勤務されていた松村勉さんによれば、明石焼き(玉子焼き)の歴史は、江戸時代にまで遡ります。
江戸の鼈甲細工師、江戸屋岩吉が、明石に来ている時に、卵の白身が強力な糊の特性を持つことに気付き、「明石玉」と言うガラス玉作りを始めました。
その後、「明石玉」の生産に卵が大量に使われるようになり、余った卵の黄身の利用方法として、明石の蛸と組み合わせた料理-「明石焼き」が生まれたのだそうです。
「明石焼」の今のスタイルを作ったと言われている樽屋町の向井清太郎さんは、大正8年に屋台を始めたといいます。
これで、『たちばな』の「たこ焼き」のルーツが明石の「玉子焼き」にあったことは、ほぼ間違いないと思われます。
4月8日のブログ の頓珍漢な腹立ちは、反省をこめて撤回させていただきます。
また、4月17日ブログ で、東京の『多幸兵衛』のことを書きましたが、フェイスブック友だちのお一人が、震災前の『多幸兵衛』の名刺を送ってくださいました。
この名刺には、何と、「明石 たこ焼き」とあります。
後年、「明石焼き」という名前が広がったので、東京のお店では、「明石焼き」とされたのでしょう。
明石の食文化を守り、担ってこられたみなさん、そして、これを神戸で受け継ぎ、広めて来られたみなさんのご努力に敬意を表し、「たこ焼き」談義の総括とさせていただきます。
おつきあいくださった、たくさんのみなさんに改めて御礼を申し上げます。