三宮サンタープラザ地下の『たちばな』。
ときどき、昼休みにお邪魔しています。
この『たちばな』のルーツが、新開地にあるとすれば、私は、昭和30年代、物心ついたとき、新開地の路地裏で、『たちばな』の たこ焼き を食べていました。
新開地の『たちばな』は、その後、閉店になりましたが、少なくとも数年前には、まだ看板など残っていましたし、新開地本通りにあるアーケードには、今でも、その名前を見ることができます。
三宮の『たちばな』の味は、半世紀以上前とまったく変わっていません。まず、急須っぽい器に入っただし汁と三つ葉が出され、しばらくすると、赤い板の上に整然と並べられた、「たこ焼き」が運ばれてきます。
『たちばな』は、「明石焼き」とは名乗っていませんが、それは、巷間あふれている『明石焼き』の一種と思われます。
実は、『明石焼き』の存在を知ったのは、新開地で『たちばな』の「たこ焼き」を食べていた頃よりずっと後、東京に出てからのことでした。
私は、東京の見知らぬ店で、「明石焼き」を初めて食し、「これは、『たちばな』の「たこ焼き」の偽物か!」と思ったのでした。
『たちばな』の「たこ焼き」と「明石焼き」とはどのような関係にあるのでしょうか?
ずいぶん昔から、「明石焼き」が存在し、それを、『たちばな』の店主は「たこ焼き」として始め、当時の神戸っ子は、ちょっと毛色の違う「たこ焼き」として楽しんだのでしょうか。
それとも、『たちばな』をはじめ、このタイプの「たこ焼き」が先にあり、それが、後年、「明石焼き」と名付けられたのでしょうか。
ときどき、『たちばな』にお邪魔して、「たこ焼き」をいただきながら、いつもこの疑問がもたげてきてしまうのです。
でも、正直言ってしまうと、腹が立つのですよ。
半世紀以上も前に、神戸っ子が「たこ焼き」として楽しんでいた料理を、どうして「明石焼き」と呼ばなければならないのかと。