久元 喜造ブログ

血生臭い演出は必要だったのか。


パリ・オリンピックも終盤を迎えています。
神戸出身の阿部一二三・詩選手の活躍など、神戸市民は、大いに元気をいただくことができました。

そのような中で、残念だったのは、7月26日に行われた開会式です。
8月3日、ローマ教皇庁は、「宗教的信念をあざ笑うような表現」に対して不快感を示しました。
レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」を風刺した演出を念頭に置いているようです。
ローマ教皇庁は、世界中で生起する事象に対し、どちらかというと謙抑的態度をとってきたように思います。
今回、キリスト教徒のみならず、他の宗教の信者にも不快な思いをさせたことに言及しているのは、異例のことです。
宗教的対立が深まってきている今日、宗教を侮辱するかのような演出には、怒りを覚えます。

開会式では、ギロチンで処刑されたマリー・アントワネットを思わせる女性が登場し、生首を抱えて歌うシーンもありました。
血が噴き出し、フランス革命時の殺戮を思い起こさせる歌が披露されるシーンには、心底、嫌悪感を覚えました。
フランス革命の意義については、我が国でも小学校から教えられます。
同時に、革命の進行の中で夥しい血が流され、残虐行為が横行したことも知られています。
ルイ16世、マリーアントワネット王妃は処刑され、子供たちも想像を絶する虐待の中で亡くなりました。

パリ五輪は、世界中で戦争や紛争が起きている中で行われました。
スポーツの力で、人々の心を平和に導く目的があったはずです。
憎しみを煽るかのような奇抜な演出で関心を集め、視聴率を上げて一部の人々が利益を手にし続けるのであれば、いずれオリンピック自体に対する疑念が広がることに、危惧を覚えます。