久元 喜造ブログ

第7代兵庫県知事・神田孝平


兵庫県公館 で午後に会議が開かれるとき、早めに到着して時間があると、公館の中にある 県政資料館  にお邪魔します。
県政の年表には、初代の伊藤博文からの歴代兵庫県知事の写真が飾られ、主な業績が記されています。
この前に訪れたときは、7代知事・神田孝平の事績を確認しました。

初期の兵庫県知事は、初代の伊藤博文を含め頻繁に交代を繰り返す中、神田孝平知事(当時の呼称は県令)の在任期間は、1871年(明治4年)11月から1876年(明治9年)9月までと比較的長く、神田県令は兵庫県政の基礎を築く上で大きな功績があったと考えられています。

成立間もない明治政府は、近代国家建設のためには地方制度を整備することが不可欠と考えていました。
政府内部において意見の対立はありましたが、将来の国会開設を見据え、地方において民会、すなわち議会を設置する必要があるという考え方が共有されていきました。
兵庫県令に着任した神田孝平は、この方向性を共有し、独自の視点を交えながら、兵庫県における行政機構の整備と民会の開設を進めていきました。
1873年(明治6年)の「布達」では、「民會」を町村会、区会、県会の順に開設することとし、民會を開設するかどうかは、町村の判断に委ねるとの柔軟な方針を示しています。
入札、すなわち選挙にあたっては「家格を論ぜず人望才力のあるものを公選すべし」と指示しました。

1878年(明治11年)郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則の三新法が制定され、我が国の地方制度は初期の体裁を整えます。
神田県令は、その内容を先取りするとともに、より民意を反映させる改革を進めたということができると思います。