久元 喜造ブログ

小林道彦『山県有朋』


新書で山県有朋の評伝を読むのは、伊藤之雄『山県有朋-愚直な権力者の生涯-』(文春新書)以来です。
伊藤が、山県の人となりやそのときどきの心情に迫っていくのに対し、本書では時代の流れの中での山県の立ち位置を明確にしながら、その事績を明らかにしていきます。
著者が「あとがき」でも記しているように、本書では、著者自身が参画した共同研究により確認された膨大な「山県有朋意見書」が参照され、叙述は客観的で、筆致は抑制的です。
独自の人物像を提示するのではなく、幕末、明治・大正期の近代史の中での山県の関わりが分かりやすく記され、説得力を持って伝わってきました。

山県の重要な功績は、地方制度の確立です。
1883年12月の内務卿就任以来、山県の関心は、憲法・地方自治・徴兵制の制度的連携に向けられていきました。
1890年の国会開設というタイムリミットの中で、山県は内政制度の構築に向けて中心的役割を担っていきます。
山県内務卿は「自治元来是国基」と喝破し、市町村―郡-府県の三層構造の地方自治制を構想しました。
まず市町村に自治を導入し、それから郡・府県に広域自治を導入するというアプローチです。
各レベルにおいて、議員の公選が予定されていました。
山県と彼を支えた内務省の官僚は、井上毅などの反対に遭いながら、制度の実現に邁進していきます。
1888年(明治21年)4月の市制・町村制公布後、短期間のうちに町村合併が強力に推進され、市町村レベルの行政体制が整備されていきました。
1889年12月、第1次山県内閣は、府県制・郡制の立案に着手、1890年5月に公布され、ここに我が国の地方制度は完成を見たのでした。(文中敬称略)