もう56年も前のことです。
山田中学校の3年生だった私は、受験勉強をしながらも、田んぼの畔を歩き、池で鮒を釣り、雑木林を歩き回っていました。
作文の宿題が出され、段々になった田んぼの美しい様子を描いた文章をつくって提出しました。
当時は棚田という言葉を知りませんでした。
担任の先生は、赤ペンで、可もなく不可もなくという意味の三重丸を付けて返してくれました。
歳月が流れ、日本中の里山が荒廃していることは知っていました。
神戸に帰ってきて、市役所で仕事をし始めたとき、おそるおそる里山の保全・活用を話題にしてみましたが、関心を持ってくれる職員はほとんどいませんでした。
若手職員との懇親会では、「市長は里山とか、有害鳥獣対策とか、思い付きを仰るので、現場の私たちは本当に困っています」と言われました。
残念でしたが、反論はしませんでした。
里山の再生というテーマはもはや共感を呼ぶことはないのだろう、そうであれば、かつての里山の素晴らしさとその喪失、破壊から生き延びる可能性のようなものを、単なるノスタルジーとして、拙い物語にしてみたい。
そんな思いで、童話『ひょうたん池物語』を執筆しました。
少しずつ、少しずつ、市民の中にも、また、市役所の中にも、里山の価値を理解し、その再生を考えている人々がいることがわかるようになりました。
本当に少しずつ議論が始まり、それらを集大成して、『KOBE里山SDGs戦略』がとりまとめられました。
近年、里山を守り、再生させようという動きが、急速に広がっていることを、本当にありがたく感じています。
果たせないと思っていた夢は、多くのみなさんのおかげで、現実のものになりつつあります。