もう二年半も前になりますが、旧知の牧原出東大教授の書評が読売新聞に掲載され(2015年2月8日)、その中の 「国策としたたかな庶民がせめぎあう舞台装置」という一節が記憶に残っていました。(2015年2月27日のブログ)
御影公会堂 がリニューアルされたこともあり、中央図書館から借りて本書を読みました。
きわめて実証的な研究で、資料的な記述も多く、細部を読み飛ばした部分もありますが、通読しながら「人が集まることの意味」について、改めて考える機会となりました。
明治期から我が国では、公会堂が次々に建設され、その代表的存在が、1929年(昭和4年)10月に竣工した 日比谷公会堂 でした。
筆者は、日比谷公会堂をはじめ大正期以降急増した公会堂には、政治的討議を行う場(集会場)、娯楽を享受する場(劇場)、国民的な儀礼を行う場(儀礼的空間)、メディアとしての機能という4つの機能があったと考えます。
そして、公会堂は、「特に、集会場と劇場という二つのアイデンティティの間でゆれており、提供される内容と来場者の受容との間にしばしばずれが生じていた」と指摘します。
興味深い分析です。
東京、大阪など日本の大都市が、威容を誇る公会堂を建設し、それらの多くが現存している中にあって、神戸市の公会堂建設計画は実現しませんでした。(上記ブログ)
それだけに、旧御影町から引き継いだ 御影公会堂 の存在は、神戸市民にとってかげがえのないものであり、その歴史を大切にしながら、新しい発想で活用していくことが求められます。
今日も夕方、御影公会堂にお邪魔し、その独特の雰囲気を味わいたいと思います。