以前取り上げた小説『遺譜』では、ナチスドイツが「退廃芸術」の烙印を押し、押収した絵画の行方がモチーフになっていました。
ベックマン、シャガール、カンディンスキー、パウル・クレー、マチス、ムンク、ノルデなど19世紀後半から20世紀前半に活動した画家の作品です。
ナチスドイツは、彼らから見て唾棄すべきこれらの作品を、ただ国民から遠ざける方法はとりませんでした。
むしろ、それらを堂々と展示し、国民に見るよう呼びかけたのです。
この展覧会こそ、1937年7月から4ヶ月にわたってミュンヘンで開催された《退廃美術展》でした。
神奈川県立近代美術館ほかの編集による『芸術の危機 ― ヒトラーと退廃美術』は、この展覧会を中心に、ナチスドイツの文化政策とその背景、そして芸術家たちと作品がたどった運命を丁寧に描きます。
《退廃美術展》には、印象派、表現主義、構成主義、バウハウス、新即物主義、抽象派など多種多様な様式の作品650点余りが展示されました。
そして、ときに入場制限するほどの観客が押し寄せ、会期中の入場者は、200万人を超えたとされます。
ナチスドイツは、これらの《退廃美術》への嫌悪感が国民の間に沸き上がるよう巧妙な大衆宣伝を行いました。
美術院総裁ツィーグラーは、開会レセプションの挨拶をこう締めくくります。
「ドイツ民族よ、来たりてご覧あれ、しかるのちに判断されたし」
ナチスドイツは、圧倒的な国民が《退廃美術》に拒否反応を示すことに絶大な自信を持っていたのです。
先日、兵庫県立美術館で開催された《パウル・クレー展》を鑑賞した後、本書を久しぶりに開き、改めて政治と芸術との関係についていろいろ考えさせられました。