久元 喜造ブログ

幻の神戸市公会堂

少し前の読売新聞に、牧原出東大教授の書評が掲載されていました。
取り上げられているのは、 新藤浩伸『公会堂と民衆の近代』 (東京大学出版会)。
「日比谷公会堂に代表される、全国の都市「公会堂」への本格的研究書」です。

神戸には、日比谷公会堂に匹敵するような公会堂はありませんが、戦前には、少なくとも二度、建設が構想されたことがありました。
神戸が国際港湾都市として急速に成長を遂げ、財力も蓄えられた1921年、神戸市会は、公会堂建設議案を決定。
大倉山に、1800人以上収容できる大集会室や、600人規模の大食堂、レセプションホールを備えた公会堂を建設する計画を立て、コンペを実施しました。
下の写真は、1等に輝いた作品です。
堂々たる威容を誇っていますが、1923年に関東大震災が発生。構想は日の目を見ませんでした。
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昭和に入ると、六大都市で公会堂がないのは神戸市だけということになり、再び公会堂の建設計画が浮上します。
やはり大倉山での建設を想定し、設計図を公募しますが、戦時色が濃くなり、計画は断念を余儀なくされました。

日比谷公会堂をはじめ各都市の公会堂では、政治集会にとどまらず、文化講演や娯楽演目も提供されました。
時局関係の催事では人々が集まらないので、政治公演とあわせて、漫談や映画などの娯楽が加えられたようです。
牧原教授は、「公会堂の持つ教育的機能と、集い・楽しみを求める人々の欲求との間には「ずれ」があった。国策としたかかな庶民がせめぎあう舞台装置。強靭な市民社会はそこから生まれるのだろうか」と、希望の光を見ておられます。
本格的な公会堂を持つことがなかった神戸市でも、似たような「せめぎあい」はあったことでしょう。
「せめぎあい」の舞台装置が、別の形でどのように存在したのか、興味が持たれます。