久元 喜造ブログ

『峠の我が家』-私の好きな曲⑦

草原にはバッファローや鹿が遊び、空は雲一つ無く晴れ渡り、夜空には星がまたたく-そんな、ふるさとを歌い上げた讃歌です。
初めてこの歌を聴いたのは、中学のころだったのかもしれません。

この歌には、次の歌詞が、2回、あるいは3回出てきます。

Where seldom is heard a discouraging word
人を落胆させるような言葉を聞くことは、ほとんどない。

ふるさとでは、「人を落胆させるような言葉」は聞かれなかった。 友だちや顔見知りの人々は、善良でおおらか。いつも笑顔で優しく話しかけてくれたのでしょう。
同時に、そのような郷愁は、おそらくは、ふるさとから遠く離れた大都会での日々が、その逆の姿であったことを想像させます。
大都会で、落胆させられる言葉をかけられる日々の中で、美しく、優しかったふるさとへの郷愁は、いっそう強くなっていったのかも知れません。

私も、40年間、神戸を離れていた間、よく、ふるさとを想い起こしたものでした。

ただ、私が生まれ育った昭和30年代の新開地は、緑あふれる草原でもなければ、鹿が遊ぶのどかな田園でもありませんでした。
家の中ではいさかいが絶えず、家の外でも、何でこんなことを言うの、とがっかりするような言葉がひんぱんに聞かれました。
活気にあふれていましたが、まだ貧しく、あちこちで罵声、怒声、奇声、嬌声が飛び交う、混沌とした世界でした。
通りでは愚連隊が肩を怒らせて闊歩し、公園では傷痍軍人がハーモニカを吹いて喜捨を乞い、ルンペンの親子が竹篭を背負って怒鳴られながら廃品を拾い集めていました。
それでいて、人情あふれる世界でもありました。天使のようだった女性の顔も思い浮かびます。

私は、どこかの街の酒場のカウンターでひとり冷や酒を煽り、『峠の我が家』を口ずさみながら、” a discouraging word”  もあふれていた私のふるさとを、心の中で抱きしめたのでした。