「現代のベートーヴェン」、作曲家・佐村河内守氏をめぐる報道がなお続いています。
他人がつくった曲を、本人がつくったかのように装い、周囲の目を欺いてきたことが問題になっています。
また、交響曲第1番「HIROSHIMA」が、原爆と無関係だったことが明らかになり、広島市が「広島市民賞」を取り消すなど、騒ぎが広がりました。
作品のタイトルを差し替えたり、他人の作品を自分の作品として喧伝することは、一種の詐欺ですが、このような行為は、いつの時代にもあったようです。
あの天才作曲家、モーツァルトも似たようなことをやっていました。
モーツァルトは、雇い主であったザルツブルクの大司教シュラッテンバッハが亡くなり、新しい大司教コロレドが就任したとき、新しい大司教を歓迎する祝典劇として《シピオーネの夢》を献上しています。しかしこの作品は、前のシュラッテンバッハ大司教の僧籍50周年を記念する祝賀行事のための小オペラを、ほとんどそのまま転用したものでした。
前の大司教が亡くなったので、その人のためにつくった作品を、後任者に別の名前をつけて献上したというわけです。
また、モーツァルトは、シンフォニーの注文を受けて作曲が間に合わなかったとき、ヨーゼフ・ハイドンの弟ミヒャエル・ハイドンの作品を、自分の新作として発表、演奏しています。
もちろん、今回の佐村河内守氏の行為は、モーツァルトとは本質的に違っています。
佐村河内守氏は、曲をつくることすらできない人物で、存在そのものが虚構だったようです。
障害者であったことにも、深刻な疑念が差し挟まれています。
とんでもないペテン師、いかさま師だったようですが、このような人物は、いつの時代にも存在するのであり、問題は、そのような人物を、天才としてもてはやしてきた側の見識のなさです。
とくに、マスメディアの報道のあり方については、十分な検証が求められます。