きのう、三宮の事務所に、神戸大学 の4人の学生のみなさんが、訪ねて来てくれました。
ひとりは、大学院生、3人は、政治学を専攻する法学部の3回生でした。
選挙のこと、神戸のこと、就職活動のこと、政治学の最近の動向などなど、話が飛翔しているうちに、政党のありかたについての議論になりました。
政党の存在意義、そして、政党が拠って立つ理念や政策の違いはどうあるべきか、現代日本においては、それらは明確なのだろうか。
私は、自問自答しながら、お話ししました。
私たちが高校生、大学生の頃、米ソ対立の冷戦時代で、イデオロギーの違いは明確だった。だから、政党が拠って立つイデオロギーの違いによって、政党の違いも明確だった。
1960年代には、キューバ危機があった。小学校に入ったばかりでよくわからなかったけれど、大人たちが、核戦争によって人類が滅亡してしまうかも知れないと怯えていることに気づいていた。
そして、大学時代に学んだ国際政治も、両大国がいかに核戦争を回避することができるかに大きな関心を寄せていた。
そして、多くの人が信じていた ― 冷戦と米ソ対立が終われば、私たちは安定した国際社会の中で、平和に生きていることができるようになる、と。
そんな時代でも、アフガニスタンやカンボジアは、微妙な東西間のバランスの中にあったのだろうが、平和で穏やかな国だった。
カンボジアは、青年国王シアヌークが治める王国で、農業も漁業も盛んな豊かな国だった。
アフガニスタンは、やはり穏健な王制国家で、ゆったりとした時間が流れている国のように見えた。
その後の両国がたどった、そしてとくにアフガニスタンが今も向き合っている苦難を思えば、そして、ほかの多くの国々において多数の地域紛争が頻発していることを思えば、世界は、私たちが子どもの頃から比べて、よい方向に向かっているのだろうか?
正しい道を歩んでいるのだろうか?
必死に支持拡大に動かなければならない時期に、何をのんびりした議論に加わっているのか、とおしかりを受けそうですが、つかの間の、若者たちとの楽しい時間でした。