久元 喜造ブログ

鈴蘭台西口の次は西鈴蘭台


朝日新聞連載、原武史さんが執筆されている「歴史のダイヤグラム」はよく読みます。
3か月ほど前に掲載されていた記事のタイトルは「「西口」とつく駅名の東西」。

原さんは、1999年10月、神戸電鉄粟生線に初めて乗られたそうです。
粟生線の起点は鈴蘭台。
次の駅が 鈴蘭台西口 、その次の駅が 西鈴蘭台 です。
原さんによれば、関西には本家の駅名のあとに「西口」「南口」「北口」がつく駅が私鉄にいくつか見られますが、「西口」と「西」が連続する線はほかにはないのだそうです。
鈴蘭台西口駅が小部西口駅から改称されたのが1962年(昭和37年)だったことも、この記事で知りました。
私たち一家が鈴蘭台に移り住んだのは1964年(昭和39年)で、この駅名改称の直後だったようです。
当時の鈴蘭台西口駅の周りは瀟洒な家が並ぶ静かな住宅街で、小部小学校の同級生も何人か住んでいました。
住宅街の南側には中山田圃と呼ばれる広大な農地が広がり、その周囲は里山でした。
大小の池が点在し、ひょうたん池という名前の池もありました。
拙著『ひょうたん池物語』に登場する池とはかなり趣を異にする、大きな池でした。
まもなく住宅開発が始まり、次々に団地や一戸建ての住宅が建設されていきました。
1970年6月、西鈴蘭台駅が開業。
朝日新聞には開業当時の西鈴蘭台駅の写真も掲載されていました。

すでに開業から半世紀余りが経ち、施設の老朽化も進みました。
周辺地域の人口減少も目立っています。
商業施設、駐輪場などの公共施設を含めた再整備が求められます。
神戸電鉄のみなさんとも協議を進めながら、早期に具体的な再整備計画を作成していきたいと考えています。