久元 喜造ブログ

木田元『ハイデガー「存在と時間」の構築』


マルティン・ハイデガー(1889 – 1976)の『存在と時間』は、一度は読んでみたいと思いながら挑戦しかったのは、難解で知られた著作であり、どうせ読んでもわからないだろうと思っていたからでした。
木田元(1928 – 2014)は、未完の書であった『存在と時間』をハイデガーの意図に従って再構築しようとします。
この試みが成功したのかどうかは別として、この作業の意図と過程を記した本書を読み、ほんの少しだけ『存在と時間』に近づくことができたように感じました。

本書が比較的読み易かったのは、木田が『存在と時間』に出てくる基本的概念の説明に際し、ドイツ語などの原語の意味、ときには語感を含め丁寧に説明してくれているからです。
『存在と時間』の重要な意図は、「古代存在論の伝承的形態を解体」することにありました。
そこで、古代存在論の存在概念の考察から始まり、アリストテレス、スコラ哲学、デカルト、カントと続く西洋哲学の系譜が批判され、その解体が目指されるのですが、木田は、ギリシア語、ラテン語、ドイツ語の原語の意味、語感を示しながら分析してくれます。
私のような哲学の素人には、このような説明はとてもありがたいものでした。
もし、個々の訳者が深い思索の上に選んだ日本語であっても、訳語だけからは原文にたどり着くことはできなかったと思われるからです。
このことは、外国文学の邦訳においても言えることですが、『存在と時間』のような難解な哲学書においてはいっそう当てはまります。
本書を読了して、いくつか出ている邦訳を読んだとしてもきっと理解できなかったであろうと改めて確信し、いつか本書を再読したいと感じました。