久元 喜造ブログ

国家公務員に対する国民感情

新年度に入り、霞ヶ関は、予算非関連の法案の提出、審議の季節を迎えます。
法案を担当しているセクションでは、昼、夜はありません。
この時期に限らず、霞ヶ関の勤務は過酷です。不夜城の様相を呈します。

もうずいぶん前のことですが、ある全国紙が、霞ヶ関の若手課長補佐の日々を取り上げてくださったことがありました。
毎月、100時間以上の残業の日々が続き、生まれたばかりの子供と過ごすこともできない。
すやすや眠っている我が子の顔を一瞬、眺め、仮眠をとり、また出勤する毎日・・・
そんな後輩の日々が記された記事を読んで、私たちの苦労を少しでも知っていただけるのは、とてもありがたく感じました。

それからしばらくして、その全国紙の編集局幹部と話をする機会があり、あの記事に話題が及びました。
幹部はおっしゃいました。
「久元さんは、あの記事を読んだ読者が、役人に同情してくれると思われたかもしれませんが、あの記事に好意的な反応はほとんどありませんでした。大半は、厳しい記事批判、役人批判でした」
「『どうして、役人にあんなに甘い記事を書くんだ!』
『死ぬまで働かせればいいではないか!』
『○○新聞は、国民と役人のどっちの味方なんだ!』 ・・・・
こんな反応がほとんどでした。私どもも意外だったのですが・・・」

確かに官僚は、もうかれこれ20年くらい、さまざまな理由から、国民の反発を買ってきました。しかし、現役の職員は、不祥事とは無縁で、必死に仕事をしています。
それだけに、そのような反応は、とても悲しく、残念でした。

「これが、官僚に対する現実の国民感情なのです。私たちは、そんな国民感情を前提にして、紙面をつくっていかなければならないのですよ」
某全国紙の幹部は、複雑な笑みを浮かべ、そう呟かれました。