久元 喜造ブログ

2024年6月16日
から 久元喜造

神戸にツキノワグマが現れる日


東北を中心に、ツキノワグマの被害が相次いでいます。
クマに襲われて死傷者が出たり、住宅への侵入を試みたりするケースなど、被害は深刻化しています。
被害が報じられている地域のみなさんの不安は、ひじょうに大きいことと想像します。
兵庫県内でもツキノワグマの被害が報じられており、その生息区域は確実に拡大していると見られます。
三田、芦屋などでも、確度の高い目撃情報があります。
神戸市内でも、今年に入って目撃情報が寄せられていますが、ツキノワグマかどうかの確認は取れていません。

私は、神戸市内にもツキノワグマが現れる可能性はあるのではないかと考え、少し前になりますが、神戸市役所の1階ロビーでオープンミーティングを開催しました。(2023年11月24日)
兵庫県森林動物研究センターの廣瀬泰徳副部長からは、県内における生息状況、出没情報などについて説明がありました。
集落に植えられている柿の実が食べられるケースが多いこと、クマの行動範囲が広がっていて、北部を中心に生息しているツキノワグマが確実に南下してきていることなどが報告されました。
かつて人々が暮らしていた集落に人が住まなくなり、集落が消滅していることが生息域の拡大の要因であると考えられます。
つまり、人間の生活領域が縮退し、野生動物の生息域が拡大しているわけです。

神戸市は、六甲山の北側にシカの行動を把握するための監視カメラの設置を進めています。
カメラの機能は向上しており、これらのカメラにツキノワグマが確認された場合には、監視体制の強化や捕獲の可能性などを含め、迅速に対応することにしています。
想定外を想定内にしていくための努力が求められています。


2024年6月8日
から 久元喜造

小林道彦『山県有朋』


新書で山県有朋の評伝を読むのは、伊藤之雄『山県有朋-愚直な権力者の生涯-』(文春新書)以来です。
伊藤が、山県の人となりやそのときどきの心情に迫っていくのに対し、本書では時代の流れの中での山県の立ち位置を明確にしながら、その事績を明らかにしていきます。
著者が「あとがき」でも記しているように、本書では、著者自身が参画した共同研究により確認された膨大な「山県有朋意見書」が参照され、叙述は客観的で、筆致は抑制的です。
独自の人物像を提示するのではなく、幕末、明治・大正期の近代史の中での山県の関わりが分かりやすく記され、説得力を持って伝わってきました。

山県の重要な功績は、地方制度の確立です。
1883年12月の内務卿就任以来、山県の関心は、憲法・地方自治・徴兵制の制度的連携に向けられていきました。
1890年の国会開設というタイムリミットの中で、山県は内政制度の構築に向けて中心的役割を担っていきます。
山県内務卿は「自治元来是国基」と喝破し、市町村―郡-府県の三層構造の地方自治制を構想しました。
まず市町村に自治を導入し、それから郡・府県に広域自治を導入するというアプローチです。
各レベルにおいて、議員の公選が予定されていました。
山県と彼を支えた内務省の官僚は、井上毅などの反対に遭いながら、制度の実現に邁進していきます。
1888年(明治21年)4月の市制・町村制公布後、短期間のうちに町村合併が強力に推進され、市町村レベルの行政体制が整備されていきました。
1889年12月、第1次山県内閣は、府県制・郡制の立案に着手、1890年5月に公布され、ここに我が国の地方制度は完成を見たのでした。(文中敬称略)


2024年5月31日
から 久元喜造

パラ陸上選手権大会を終えて。


KOBE2024パラ陸上選手権大会は、5月17日から25日までの9日間、ユニバー記念競技場で開催されました。
5月25日(土)の夜、表彰式と閉会式が行われました。

大会組織委員会の増田明美会長などのあいさつの後、神戸市婦人団体協議会のみなさんにより、神戸港町音頭、みなと音頭が披露され、選手のみなさんも一緒になって踊り、観客席からは手拍子が贈られました。

今回の大会には、104か国・地域から、1,073人の世界有数のトップパラアスリートが参加し、連日、白熱した試合が繰り広げられました。
17種目で世界新記録が出るなど、大いに盛り上がりました。
今大会では、「ONEクラス応援制度」というユニークな応援の仕組みがとられました。
企業などから(1口5万円~)の寄付をいただき、学校1クラス分の来場にかかる交通費や観戦パンフレット制作費などに充当しました。
兵庫県内の小・中・高等学校、特別支援学校 約130校、約2万8千人の児童・生徒が招待され、熱い声援を送りました。
また、大会を支えるボランティアには、市内を中心に全国から約1,500人のみなさんが参加され、競技会場内外での選手サポート、語学補助、観客の案内誘導などに当たってくださいました。

お陰様で、KOBE2024パラ陸上選手権大会は、成功裡に閉幕を迎えることができました。
参加されたパラアスリート、心のこもった応援をしてくださったみなさん、大会の運営に参画し、支援していただいたすべてのみなさんに心より感謝申し上げます。
神戸市は、今大会を契機として、よりインクルーシブな社会を目指し、多くの方々の参画をいただきながら、各分野での施策を展開していきます。


2024年5月25日
から 久元喜造

背筋『近畿地方のある場所について』


新聞の書評によると、ネット上のサイトに投稿されたホラー小説の書籍版だそうです。
神戸に住んでいる私にとり、タイトルにも興味を抱きました。

語り手の私、背筋は、東京在住のライター。
友人の小沢が消息を絶ち、情報提供を呼びかけるところから物語は始まります。
小沢は、勤務先の出版社の雑誌などさまざまな媒体からの抜粋を『近畿地方のある場所について』というタイトルの作品にまとめていました。
「ある場所」は、「県をまたいでいることもあり、呼称はすべて統一されているわけではありません」が、「地図を広げれば恐らく一筆書きに丸で囲めるであろう一帯」です。
「ある場所」の中にある土地の固有名詞は、すべて●●●●●と伏字で出てきます。

オカルト専門誌の別冊を担当することになった小沢は、過去のバックナンバーの全てに目を通します。
それらは、雑誌記事、月刊誌の短編、インタビューのテープ起こし、ネット収集情報などです。
行方不明になった少女、「まっしろさま」、謎めいた大量の張り紙、マンションから飛び降りる人々など怪異な出来事が次々に紹介さされ、それらのほとんどが、●●●●●につながっていきます。
そして新興宗教の集団が登場し、かつて●●●●●で起きた怪異な事件、そして鎮魂のために建立されたという神社へと話は続いていくのですが・・・・

ストーリーを追おうとする読み方が間違っていたのかもしれませんが、正直、物語の展開についていけず、特段の読後感を抱くことはできませんでした。
何回かに分けて読んだために理解できにくかったのだろうと思い、ざっと再読したのですが、ネットでの高評価にも関わらず、印象が変わることはありませんでした。


2024年5月17日
から 久元喜造

世界パラ陸上選手権大会・開会式


KOBE2024世界パラ陸上競技選手権大会 が、きょう開会されました
国際パラリンピック委員会により創設された世界最高峰のパラ陸上競技大会です。
近年は2年ごとに開催され、神戸大会は2021年に開かれる予定でしたが、新型コロナウイルスの世界的な流行により二度延期されました。
会場は、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 です。
東アジアでは初めての開催で、きょうの日を迎えることができた関係者の感慨はひとしおです。
大会組織員会の会長は、1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表の増田明美さんです。

今日の午後2時に開始された開会式では、木村優一さん、須磨翔風高校による和太鼓演奏、時田直也さんによる国歌独唱の後、各国代表によるフラッグパレードが行われ、観客席から大きな拍手が贈られました。
増田明美会長が晴れやかに開会のスピーチをされ、会場は明るく、楽しい雰囲気に包まれました。

秋篠宮皇嗣殿下からおことばをいただきました。
秋篠宮皇嗣殿下、同皇嗣妃殿下には、午前中の競技を観戦いただき、また昨日は、灘さくら支援学校こべっこランド をご視察になり、子どもたちとも交流されました。
心より感謝申し上げます。

陸上競技は、主にトラック競技とフィールド競技に分かれ、車いす、義足、視覚障がいなどが異なるさまざまな選手が出場します。
このため、同じ種目でも障がいの種類とその程度によって細かく区分され、競技が実施されます。
改めて世界各国・地域から神戸に来ていただいたパラアスリートのみなさんを歓迎申し上げますとともに、スポンサーとして支援していただいている企業、ボランティアのみなさんに心より感謝申し上げます。


2024年5月11日
から 久元喜造

神戸・大阪間の鉄道開業150年


今日、5月11日は、西日本で初めての鉄道である神戸・大阪間が開業して150年に当たり、神戸駅で記念行事が行われました。
現在の神戸駅は、1930年(昭和5年)に完成した3代目の駅舎です。
開催していただいたJR西日本のみなさま、出席していただいた芦屋、西宮、尼崎の各市長、大阪市北区長に感謝申し上げます。

神戸駅からは大阪駅に向けて、記念列車が運行されました。

1874年(明治7年)の鉄道開業は、神戸開港のわずか6年後で、明治政府のスピード感のある仕事ぶりには改めて驚かされます。
鉄道建設を進める上で中心的な役割を果たした人物が、後年、鉄道官僚として名を残すことになる井上勝(1842 – 1910)でした。
井上のことは、柏原宏紀『明治の技術官僚』2018年6月24日のブログ)で知りました。
井上は、長州藩が幕末に英国に密航させた「長州五傑」の一人です。
元勲政治家となる伊藤博文、井上馨、そして技術官僚として活躍する山尾庸三、遠藤謹介と井上勝です。
井上勝は、新政府成立後、大蔵省に出仕、造幣や鉱山開発の指揮を執る一方、鉄道事業に関わるようになります。
工部省設立後の1871年(明治4年)8月、鉱山頭兼鉄道頭に任じられ、翌年には兼任が解かれ、鉄道専任の官僚として鉄道建設の陣頭指揮を執っていきます。

鉄道建設工事は京浜間と阪神間が並行して進められ、1872年(明治5年)10月、新橋・横浜間が開業しました。
工事には御雇外国人が大きな役割を果たしました。
井上は、外国人とも良好な関係を築く一方、沿線住民の意見も受けいれながら事業を進め、神戸・大阪間は、150年前の今日、開業を迎えたのでした。


2024年5月5日
から 久元喜造

こどもの日に思う。大阪への流出を止めねば。


神戸市の人口は、2011年をピークに減少しています。
人口減少の要因は自然減で、この傾向は、全国の傾向と軌を一にしています。
ここ数年の動向を見ると、社会増の年もあり、社会減の数もごく僅かで、人口の流出が神戸市の人口減の主たる要因であるとは言えません。

それでも気になるのが、20代後半、30代の流出です。
10代後半、20代前半では社会増ですが、大学などの卒業を機に、市外に流出している傾向が従来から見られてきました。
神戸市内には企業の集積があり、雇用機会もあるので、市内就職を希望する学生と市内企業のマッチングに力を入れてきました。
また、学生のときから起業を目指す学生も増えてきており、スタートアップ支援にも力を入れています。

このような中にあって、10代前半の社会増減はこれまで安定していました。
神戸市内には、公立・私立を含め、多様な高校の教育環境があり、市内の高校進学者の受け皿となるとともに、市外からの通学も見られます。
そのような中で出てきたのが、大阪府内の高校無償化で、神戸市は、この措置が神戸市を含む子育て世帯の流出を招くと危惧しています。(2024年3月27日のブログ
残念ながら、阪神間では、そのような空気は薄いようです。
兵庫県内には、伝統ある県立高校、特色ある私立高校がたくさんあり、大阪府の高校無償化の影響を心配する必要はないのではないかという見方です。

正直、甘いのではないかと思います。
子育て世帯は、経済的負担に敏感です。
根拠のない楽観を捨て、冷静にこれから何が起きるのか、どうすれば良いのかについて、兵庫県を中心に、関係者が忌憚のない意見交換を行う時期だと考えます。


2024年4月30日
から 久元喜造

粟生駅での乗換え・夢と現


もう半年以上前のことです。
不思議な夢を見ました。
なぜか播但線の寺前に遊びに行き、辺りを散策しました。
姫路経由で神戸に帰るつもりで、寺前駅から列車に乗りました。
姫路が終点のはずなのに、見知らぬ駅が終点となり、乗り換えることになりました。
駅にはたくさんの乗客がいました。
私はどの列車に乗れば姫路に行けるのかわからず、たぶんこのホームに来る列車に乗れば大丈夫だろうと乗り込みました。
その列車はたいへん混雑していました。
かなりの時間立ったまま乗っていると、また終着駅に到着しました。
終着駅のホームに降りると、もの凄い人だかりでした。
他にもホームがたくさんあり、乗り降りする人、乗り換えようとする人で溢れ返っていました。
それぞれのホームには、違う色やデザインの車両が、到着しては発車していました。
もう訳が分かりませんでした。
いったいどうすれば姫路駅に行けるのだろう・・・・
人混みの中で右往左往しているうちに、目が覚めました。
この夢は、一体何だったのだろう・・・

年が明け、しばらくして、加西市に私用で行くことになりました。
最寄り駅は、北条鉄道 の長駅と聞きました。
一度、北条鉄道に乗ってみたいと思っていたので、神戸電鉄粟生線経由で行くことにしました。
仕事が終わってから、湊川駅で神戸電鉄に乗り、鈴蘭台から粟生線に入って、粟生駅に着きました。


驚きました。
神戸電鉄の車両、JR加古川線の車両、そして北条鉄道の車両・・・カラーもデザインも違う車両が、一緒に停車していました。
人混みや混雑は全然違っていましたが、夢の中で見た光景が、まるで目の前にあるようでした。
不思議な既視感に襲われ、しばし茫然としたのでした。


2024年4月22日
から 久元喜造

松村淳『愛されるコモンズをつくる』


最初に提起される課題は、住宅という私的空間、そして、さまざまな公的空間の限界です。
コロナ禍の中でオンライン会議やテレワークが行われましたが、nLDKタイプが主流の都市型住宅は、仕事や勉強をする面的余裕はありませんでした。
一方、公的空間は、単一目的を持った空間であり、自由に出入りして利用することができない場所が増えてきました。

このような限界を克服する観点から本書で検討されるのは、主として民間主導の「共」的な居場所です。
人々の交流を媒介する具体的な場所やモノである「コモンズ」という概念が浮上してきます。
「コモンズ」の姿は、「街場の建築家」の設計思想に埋め込まれている「共的な感覚」の具現化として現れます。
「街場の建築家」という新しい職能の展開としてのコモンズの創造が取り上げられます。

具体事例の一つが、神戸市兵庫区の山麓部で展開される「バイソン」です。
地名の「梅元町」に由来します。
すぐ裏が山になるこの地域には、長年たくさんの廃屋が放置されてきました。
屋根には大きな穴が開き、空が見えるような物件もありました。
道は狭く、車を乗り入れることができないため、建築資材や工具を職人たちが人力で運ぶ作業が続けられ、廃屋は再生されていきました。

一連の作業を率いるのは、西村組の西村周治さん。
「バイソン」は、仲間とつくり、交流し、仲間と暮らす場所です。
西村さんのような人々が、「コモンズを創造し、そこに人々が集い、交流し、幸福度を高めていくこと」で、「オルタナティブな実践を人びとに対して提示する」と著者は指摘します。
私も「バイソン」を訪れるたびに、SDGsが体現されているそのありように感銘を覚えます。


2024年4月13日
から 久元喜造

里山についての回想


もう56年も前のことです。
山田中学校の3年生だった私は、受験勉強をしながらも、田んぼの畔を歩き、池で鮒を釣り、雑木林を歩き回っていました。
作文の宿題が出され、段々になった田んぼの美しい様子を描いた文章をつくって提出しました。
当時は棚田という言葉を知りませんでした。
担任の先生は、赤ペンで、可もなく不可もなくという意味の三重丸を付けて返してくれました。

歳月が流れ、日本中の里山が荒廃していることは知っていました。
神戸に帰ってきて、市役所で仕事をし始めたとき、おそるおそる里山の保全・活用を話題にしてみましたが、関心を持ってくれる職員はほとんどいませんでした。
若手職員との懇親会では、「市長は里山とか、有害鳥獣対策とか、思い付きを仰るので、現場の私たちは本当に困っています」と言われました。
残念でしたが、反論はしませんでした。
里山の再生というテーマはもはや共感を呼ぶことはないのだろう、そうであれば、かつての里山の素晴らしさとその喪失、破壊から生き延びる可能性のようなものを、単なるノスタルジーとして、拙い物語にしてみたい。
そんな思いで、童話『ひょうたん池物語』を執筆しました。

少しずつ、少しずつ、市民の中にも、また、市役所の中にも、里山の価値を理解し、その再生を考えている人々がいることがわかるようになりました。
本当に少しずつ議論が始まり、それらを集大成して、『KOBE里山SDGs戦略』がとりまとめられました。
近年、里山を守り、再生させようという動きが、急速に広がっていることを、本当にありがたく感じています。
果たせないと思っていた夢は、多くのみなさんのおかげで、現実のものになりつつあります。