久元 喜造ブログ

2024年7月26日
から 久元喜造

坂の街・神戸


山と海がある神戸の市街地には、たくさんの坂道があります。
神戸は坂の街であり、神戸市民は「坂の民」という動画もあります。
神戸の玄関口、JR三ノ宮駅、阪急神戸三宮駅、地下鉄西神山手線・三宮駅を出て、ほんの少し北に歩くと、北野坂に出ます。
中心駅のすぐ近くから坂が始まり、急な坂が山の麓まで一直線に続いている大都市は、ほとんどないと思います。
北野坂の沿道には、ステーキ、中華、鉄板焼き、居酒屋などさまざまな飲食店がたくさんあります。
坂の上からは、神戸市庁舎も望むことができます。


住宅街にある坂で、神戸市民によく知られているのが、通称「地獄坂」です。
阪急王子公園駅から北西方向に歩くと、坂道が始まります。
少しずつ急になり、市バス2系統が走っている道路を超えると、さらに勾配は大きくなり、県立神戸高校の正門が見えてきます。
はるかに神戸の市街地、そして海を臨むことができます。
神戸高校に通ったみなさんは、卒業後もこの風景を折に触れて思い起こしておられることでしょう。
神戸らしい、素晴らしい眺望です。

神戸市の西部で海まで一直線に伸びている坂は、垂水区の愛徳坂です。
愛徳学園中学校・高等学校のすぐ横の坂道です。
閑静な住宅街を通る坂道で、坂の上からは明石海峡が見渡せます。

神戸には、細い路地も多く、くねくねと細い坂道が至るところにあります。
須磨区の「たぬき坂」もその一つで、山陽電鉄・須磨駅の下の歩行者用トンネルを抜けたところから北西に伸びる狭い坂道です。
坂道は神戸の魅力の一つですが、できるだけ上り下りの負担を少なくするため、神戸市では、ベンチや手すりの設置を進めるほか、木陰をつくる取り組みも進めていきます。


2024年7月21日
から 久元喜造

東京都知事選挙のグロテスク


7月7日に投開票された東京都知事選挙では、これまでにない選挙運動手法が用いられました。
その模様は広く報道されているとおりで、グロテスクな選挙だったという印象は禁じ得ません。
今後、ポスター掲示場や政見放送などのあり方などについて議論が進むと思われます。
地方選挙を含め、公職選挙法における選挙運動のルールを決めることができるのは、国会議員各位だけなので、政党内部において議論を進め、政党間の合意を見出していただきたいと願っています。

同時に、今回起きた個々の事象に対して、個別の規定を改正するという対応だけで十分なのかとの疑問は残ります。
人々の関心を集めて経済的利益を獲得しようとするアテンションエコノミーが、選挙の分野に進出してきたことを意味し、自らの利益拡大のためのツールとして選挙を利用する試みであったと見ることもできます。
そうであれば、候補者の経済的負担を減らし、選挙運動における候補者間の機会均等を図る見地から設けられている選挙公営、すなわちポスター掲示場、選挙公報、政見放送、新聞広告などついて、抜本的に見直すことが求められるような気がします。

今回の都知事選挙で見られた異常な選挙運動に関する事象が、他の選挙でも起きるのかどうかは分かりませんが、注目度の高い選挙で再現される可能性も否定できないことから、まずは個別規定の改正を急ぎ、その後に抜本的な制度の見直しについての議論を進めることが求められると感じます。
一方、今回の事象は、東京都のガリバー的存在とともに、国民的関心の分野においても東京一極集中が加速している現実を改めて見せつけてくれました。
地方の人間にとっては、残念なことですが。


2024年7月13日
から 久元喜造

五百旗頭真『大災害の時代』


今年3月に急逝された五百旗頭真先生のご著書です。
関東大震災から100年の年に刊行された本書では、主として関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災が取り上げられます。
冒頭、「本書は、三つの大震災のそれぞれを包括的に解き明かすことを目的とする」と執筆の意図を明確にされ、自然科学者ではなく、歴史家として「災害のフィジカルな側面以上に、人間と社会の対応」が描かれていきます。

本書の内容を豊かなものとし、また説得力あるものにしているのは、五百旗頭先生ご自身の経験です。
阪神・淡路大震災の発生時は神戸大学教授で自宅は全壊、ゼミの教え子は亡くなりました。
東日本大震災後に設置された復興構想会議では議長を務められ、復興の枠組みづくりに関する議論を主導されました。
さらに、熊本県立大学理事長在任中に熊本地震が発生し、対応に当たられました。

関東大震災については、以前、吉村昭の古典的名著を読んだことがありますが、五百旗頭先生は、混乱の中での行政の対応にも紙幅を割かれ、複雑な政治状況の中での復興プロセスを明らかにされます。
後藤新平の復興構想は挫折したというのが定説になっていますが、「後藤は失脚したが、後藤構想は意外にあちこちに生き残り、首都東京の再建と創造的復興を支えた」と総括されます。

もちろん、本書の中心をなすのは、阪神・淡路大震災と東日本大震災です。
当時の幹部、担当者の名前が実名で登場し、緊迫した状況が臨場感を持って伝わってきます。
一身を顧みずに献身的に対応に当たった当時の関係者の証言が紹介され、これらの方々への深い敬意のお気持ちが行間に溢れます。
改めて五百旗頭先生のご逝去に対し、哀悼の意を表します。


2024年7月5日
から 久元喜造

第7代兵庫県知事・神田孝平


兵庫県公館 で午後に会議が開かれるとき、早めに到着して時間があると、公館の中にある 県政資料館  にお邪魔します。
県政の年表には、初代の伊藤博文からの歴代兵庫県知事の写真が飾られ、主な業績が記されています。
この前に訪れたときは、7代知事・神田孝平の事績を確認しました。

初期の兵庫県知事は、初代の伊藤博文を含め頻繁に交代を繰り返す中、神田孝平知事(当時の呼称は県令)の在任期間は、1871年(明治4年)11月から1876年(明治9年)9月までと比較的長く、神田県令は兵庫県政の基礎を築く上で大きな功績があったと考えられています。

成立間もない明治政府は、近代国家建設のためには地方制度を整備することが不可欠と考えていました。
政府内部において意見の対立はありましたが、将来の国会開設を見据え、地方において民会、すなわち議会を設置する必要があるという考え方が共有されていきました。
兵庫県令に着任した神田孝平は、この方向性を共有し、独自の視点を交えながら、兵庫県における行政機構の整備と民会の開設を進めていきました。
1873年(明治6年)の「布達」では、「民會」を町村会、区会、県会の順に開設することとし、民會を開設するかどうかは、町村の判断に委ねるとの柔軟な方針を示しています。
入札、すなわち選挙にあたっては「家格を論ぜず人望才力のあるものを公選すべし」と指示しました。

1878年(明治11年)郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則の三新法が制定され、我が国の地方制度は初期の体裁を整えます。
神田県令は、その内容を先取りするとともに、より民意を反映させる改革を進めたということができると思います。


2024年6月29日
から 久元喜造

淡河宿本陣跡の夕べ


北区淡河町の「淡河宿本陣跡」に、久しぶりにお邪魔しました。
淡河町は、神戸市の北部に位置し、豊かな里山が広がる農村地域です。
町内には、歴史ある神社仏閣、茅葺民家、観音堂などが残されており、自然環境と文化遺産が一体となって独特の景観を醸し出しています。
「淡河宿本陣跡」は、淡河町で育まれてきた豊かな文化を象徴する文化遺産です。
江戸時代に建てられ、参勤交代でも使われたと伝えられる由緒ある屋敷ですが、半世紀以上も放置され、荒れ果てていました。
地域のみなさんによって再生が始まったのは、もう10年近くも前のことでした。
保存会が組織され、土地、建物を譲り受け、改修工事が始まりました。
神戸市も、規制緩和や改修費への補助などの支援を行いました。
2017年5月28日、無事改修が完了し、お披露目会が開催されました。(2017年6月3日のブログ

先日久しぶりに訪れ、淡河特産のユリの栽培をされている農家のみなさん、地元の竹を使ったメンマづくりや竹細工、竹チップなど竹の利活用に取り組んでおられるみなさんと意見交換を行いました。
とても有意義で、私自身元気をいただくことができたひとときでした。

少しずつ日が陰り、庭に面した廊下では、暗がりが広がっていくさまを目にすることができました。
ちょうど、『陰翳礼讃』を読んだばかりだったので(2024年6月21日のブログ)、陰翳に富んだ、暗がりの魅力を目の当たりにすることができました。
この屋敷は、きっと長い年月の間に、さまざまな陰翳を描いてきたことでしょう。
再生に取り組んだ人々がそれらを大切にし、現代によみがえらせることができていることを、改めて感じることができました。


2024年6月21日
から 久元喜造

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

陰翳礼讃』は、谷崎潤一郎が1933年に発表した随筆です。
独自の視点で日本文化の価値を再発見した名著とされています。
パイインターナショナルから刊行された本書には、大川裕弘氏の写真が掲載されています。
そして、写真の横には、見開きで『陰翳礼讃』の文章の一部が引用されています。
たとえば、お椀の料理の写真の横には、次の一文がありました。

かく考え来ると、われわれの料理が
常に陰影を基調とし、
闇と云うものと切っても切れない関係に
あることを知るのである。

写真が加わることによって、文章を読んで飛翔する想像力に制約が加えられるおそれもあるのですが、私には、大川氏の写真のお陰で、名文が語っている意味がより鮮明になり、しみじみとしたひとときを味わうことができました。

谷崎の考察の対象は、座敷、そして座敷の中の床の間、明り、障子、屏風、料理など多岐にわたりますが、厠に関する記述は興味深いものでした。
谷崎は、「京都や奈良の寺院に行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく
日本建築の有難みを感じる」と記します。
「日本の厠は実に精神が安まるように出来ている」。
「そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は何とも云えない」と。

もう半世紀以上も前に、旧家の農家にお邪魔したとき、廊下を伝って行くと、奥には趣きのある、薄暗い厠が現れたことがありました。
その厠は、「青葉の匂や苔の匂がして来るような植込みの陰に設けてあり」、繁華街で生まれ育った私にとっては、まったく未知の、そして異次元の世界でした。


2024年6月16日
から 久元喜造

神戸にツキノワグマが現れる日


東北を中心に、ツキノワグマの被害が相次いでいます。
クマに襲われて死傷者が出たり、住宅への侵入を試みたりするケースなど、被害は深刻化しています。
被害が報じられている地域のみなさんの不安は、ひじょうに大きいことと想像します。
兵庫県内でもツキノワグマの被害が報じられており、その生息区域は確実に拡大していると見られます。
三田、芦屋などでも、確度の高い目撃情報があります。
神戸市内でも、今年に入って目撃情報が寄せられていますが、ツキノワグマかどうかの確認は取れていません。

私は、神戸市内にもツキノワグマが現れる可能性はあるのではないかと考え、少し前になりますが、神戸市役所の1階ロビーでオープンミーティングを開催しました。(2023年11月24日)
兵庫県森林動物研究センターの廣瀬泰徳副部長からは、県内における生息状況、出没情報などについて説明がありました。
集落に植えられている柿の実が食べられるケースが多いこと、クマの行動範囲が広がっていて、北部を中心に生息しているツキノワグマが確実に南下してきていることなどが報告されました。
かつて人々が暮らしていた集落に人が住まなくなり、集落が消滅していることが生息域の拡大の要因であると考えられます。
つまり、人間の生活領域が縮退し、野生動物の生息域が拡大しているわけです。

神戸市は、六甲山の北側にシカの行動を把握するための監視カメラの設置を進めています。
カメラの機能は向上しており、これらのカメラにツキノワグマが確認された場合には、監視体制の強化や捕獲の可能性などを含め、迅速に対応することにしています。
想定外を想定内にしていくための努力が求められています。


2024年6月8日
から 久元喜造

小林道彦『山県有朋』


新書で山県有朋の評伝を読むのは、伊藤之雄『山県有朋-愚直な権力者の生涯-』(文春新書)以来です。
伊藤が、山県の人となりやそのときどきの心情に迫っていくのに対し、本書では時代の流れの中での山県の立ち位置を明確にしながら、その事績を明らかにしていきます。
著者が「あとがき」でも記しているように、本書では、著者自身が参画した共同研究により確認された膨大な「山県有朋意見書」が参照され、叙述は客観的で、筆致は抑制的です。
独自の人物像を提示するのではなく、幕末、明治・大正期の近代史の中での山県の関わりが分かりやすく記され、説得力を持って伝わってきました。

山県の重要な功績は、地方制度の確立です。
1883年12月の内務卿就任以来、山県の関心は、憲法・地方自治・徴兵制の制度的連携に向けられていきました。
1890年の国会開設というタイムリミットの中で、山県は内政制度の構築に向けて中心的役割を担っていきます。
山県内務卿は「自治元来是国基」と喝破し、市町村―郡-府県の三層構造の地方自治制を構想しました。
まず市町村に自治を導入し、それから郡・府県に広域自治を導入するというアプローチです。
各レベルにおいて、議員の公選が予定されていました。
山県と彼を支えた内務省の官僚は、井上毅などの反対に遭いながら、制度の実現に邁進していきます。
1888年(明治21年)4月の市制・町村制公布後、短期間のうちに町村合併が強力に推進され、市町村レベルの行政体制が整備されていきました。
1889年12月、第1次山県内閣は、府県制・郡制の立案に着手、1890年5月に公布され、ここに我が国の地方制度は完成を見たのでした。(文中敬称略)


2024年5月31日
から 久元喜造

パラ陸上選手権大会を終えて。


KOBE2024パラ陸上選手権大会は、5月17日から25日までの9日間、ユニバー記念競技場で開催されました。
5月25日(土)の夜、表彰式と閉会式が行われました。

大会組織委員会の増田明美会長などのあいさつの後、神戸市婦人団体協議会のみなさんにより、神戸港町音頭、みなと音頭が披露され、選手のみなさんも一緒になって踊り、観客席からは手拍子が贈られました。

今回の大会には、104か国・地域から、1,073人の世界有数のトップパラアスリートが参加し、連日、白熱した試合が繰り広げられました。
17種目で世界新記録が出るなど、大いに盛り上がりました。
今大会では、「ONEクラス応援制度」というユニークな応援の仕組みがとられました。
企業などから(1口5万円~)の寄付をいただき、学校1クラス分の来場にかかる交通費や観戦パンフレット制作費などに充当しました。
兵庫県内の小・中・高等学校、特別支援学校 約130校、約2万8千人の児童・生徒が招待され、熱い声援を送りました。
また、大会を支えるボランティアには、市内を中心に全国から約1,500人のみなさんが参加され、競技会場内外での選手サポート、語学補助、観客の案内誘導などに当たってくださいました。

お陰様で、KOBE2024パラ陸上選手権大会は、成功裡に閉幕を迎えることができました。
参加されたパラアスリート、心のこもった応援をしてくださったみなさん、大会の運営に参画し、支援していただいたすべてのみなさんに心より感謝申し上げます。
神戸市は、今大会を契機として、よりインクルーシブな社会を目指し、多くの方々の参画をいただきながら、各分野での施策を展開していきます。


2024年5月25日
から 久元喜造

背筋『近畿地方のある場所について』


新聞の書評によると、ネット上のサイトに投稿されたホラー小説の書籍版だそうです。
神戸に住んでいる私にとり、タイトルにも興味を抱きました。

語り手の私、背筋は、東京在住のライター。
友人の小沢が消息を絶ち、情報提供を呼びかけるところから物語は始まります。
小沢は、勤務先の出版社の雑誌などさまざまな媒体からの抜粋を『近畿地方のある場所について』というタイトルの作品にまとめていました。
「ある場所」は、「県をまたいでいることもあり、呼称はすべて統一されているわけではありません」が、「地図を広げれば恐らく一筆書きに丸で囲めるであろう一帯」です。
「ある場所」の中にある土地の固有名詞は、すべて●●●●●と伏字で出てきます。

オカルト専門誌の別冊を担当することになった小沢は、過去のバックナンバーの全てに目を通します。
それらは、雑誌記事、月刊誌の短編、インタビューのテープ起こし、ネット収集情報などです。
行方不明になった少女、「まっしろさま」、謎めいた大量の張り紙、マンションから飛び降りる人々など怪異な出来事が次々に紹介さされ、それらのほとんどが、●●●●●につながっていきます。
そして新興宗教の集団が登場し、かつて●●●●●で起きた怪異な事件、そして鎮魂のために建立されたという神社へと話は続いていくのですが・・・・

ストーリーを追おうとする読み方が間違っていたのかもしれませんが、正直、物語の展開についていけず、特段の読後感を抱くことはできませんでした。
何回かに分けて読んだために理解できにくかったのだろうと思い、ざっと再読したのですが、ネットでの高評価にも関わらず、印象が変わることはありませんでした。