久元 喜造ブログ

ペルー大使公邸突入事件

hujimori
ペルーの大統領選挙は、ケイコ・フジモリ氏が僅差で敗れるという決着になったようです。
ケイコ氏は、ご尊父フジモリ大統領の功績と負の遺産の両方を背負いながら、選挙戦を戦わなければなりませんでした。

さまざな解説を含めた報道に接し、思い出されるのが、1997年(平成9年)に起きたペルー日本大使公邸突入事件です。
1996年12月17日、武装勢力が首都リマの日本大使公邸を襲撃。
当時、天皇誕生日祝賀パーティーを主催していた青木盛久大使ほか大使館員、ゲストなどを人質にとり、公邸を占拠しました。
事態は膠着状態に陥りますが、フジモリ大統領は、武装勢力と交渉する一方、救出を強行する作戦を立案。
密かに7本ものトンネルを掘って、慎重に準備を進めました。

1997年4月22日(現地時間)、特殊部隊は綿密に練られた作戦計画に基づき、大使公邸に突入。
人質の解放に成功しました。
特殊部隊の隊員二人が亡くなりました。

私は当時、内閣官房内政審議室内閣審議官で、内閣の危機管理チームに所属していました。
4月23日(水)の私の日記です。

「5時半、緊急参集の電話あり。ペルーの大使公邸に強行突入。タクシーで8分弱で到着。与謝野副長官ほかに電話。総理が青木大使に電話」

この作戦は、当時の困難な状況を考えれば、奇跡的な成功だったと評価されました。
強力なリーダーシップは、治安の回復には必要でしたが、軋轢も生み、フジモリ氏は今もいくつかの罪状で収監されています。
ケイコ氏の今後も含めペルーの政治は、広い視野でペルーの人々が判断されることですが、フジモリ大統領の卓越した判断により、多くの命が救われたことは、日本人として忘れるべきではないと、当時を思い起こしながら感じます。