久元 喜造ブログ

昭和42年の大水害

戦前の昭和13年の大水害は、古くから神戸にお住まいのご高齢のみなさんの間では今でも時々話題になりますが、戦後の大きな災害は、昭和42年の大水害です。
熱帯低気圧となった台風が西日本に停滞する梅雨前線を刺激し、神戸にも集中豪雨をもたらしました。
六甲山系のあちこちで土砂災害が発生し、とりわけ、当時の葺合区市ヶ原の世継山斜面では、大量の土砂が崩れ落ちてふもとの集落を直撃し、21名の人命が失われました。
神戸市全体の被害は、死者84名、行方不明8名、家屋の全壊流出361世帯、半壊376世帯、床上浸水7,759世帯、床下浸水29,762世帯でした。
当時の災害の模様は、 神戸市のウェブサイト でご覧になれます。

私は山田中学の2年生でしたが、雨が激しく降り出したとき、神戸電鉄湊川駅の近くにいました。たちまち歩道は水があふれ、当時、神戸電鉄は湊川の地上駅が終点でしたが、停車していた車両ごとプラットホームが完全に浸水していた光景をまざまざと想い起こします。
しばらく神戸電鉄も有馬街道も不通になり、何日後かに、西宮の山口辺りを迂回したルートをたどるバスに乗り、鈴蘭台の自宅に帰りました。

昭和42年の大水害の後、神戸市では、国や兵庫県とともに、砂防ダムや防災林の整備、急傾斜地対策の実施、河川改修、市街地における浸水対策などを進めてきました。
しかし、災害予防だけでは被害を未然に防ぎ、あるいは最小限にすることはできません。災害が発生するおそれがあるときは、安全に、すばやく避難することが必要です。
神戸市では、各区ごとに、 洪水ハザードマップ を作成し、提供していますので、参考にしていただき、気象情報に注意して、災害への備えをしていただきたいと思います。