久元 喜造ブログ

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』


女性東大教授の著者が、男子高校で行った5日間の講義が下敷きになっています。
講義と言っても一方的なものではなく、高校生たちとやりとりが活発に行われ、その質問のレベルが高いことに驚かされました。

日本人はなぜ戦争への道を選んだのかについて、本書は、日清戦争から太平洋戦争開戦までをたどります。
松岡洋右の手紙などこれまで知らなかった事実が次々に提示され、理解が深まったのは当然ですが、とくに印象的だったのは、第1次世界大戦と我が国との関わりでした。
日本は第1次世界大戦に連合国側に立って勝利し、被害も比較的軽微で、山東半島の権益も確保します。
しかし著者は、パリ講和会議に出席した日本の指導者層は、大きな衝撃を受け、危機感を抱いたと記します。
それは、米国、英国との対立でした。
そして、1907年に策定された「帝国国防方針」での想定敵国がロシアであったのが、第1次世界大戦が終わった第1次改定では、米国と中国が加わり、関東大震災が発生した1923年の第2次改定では、第1の想定敵国が米国になっていることに注目します。

第1次世界大戦後、日本の社会は大きく変容していきます。
「日本は変わらなけれが滅びてしまう」という危機感が広がり、たくさんの「国家改造論」が登場します。
それらの典型的主張は、「普通選挙、身分的差別の撤廃、民本的政治組織の樹立、既成政党の改造、労働組合の公認、国民生活の保障、税制の社会的改革、新領土、朝鮮、台湾、南洋諸島統治の刷新」など広範囲にわたるものでした。
1925年に普通選挙は実現しますが、政党政治の腐敗に対する国民の不信は高まり、軍部に支持が集まっていく過程が鮮やかに描かれていきます。