第13代神戸市長を務められた宮崎辰雄市長の自叙伝です。
宮崎市長は、1937年、神戸市役所に入庁され、1953年、42歳で助役(現在の副市長)に就任されました。
1969年から1989年まで5期20年にわたり市長を務められ、実に半生記以上にわたり、神戸の発展に貢献されました。
この間、神戸は素晴らしく発展し、街の佇まいは大きくその姿を変えました。
宮崎市長が就任されたときの神戸は、「開発一辺倒の矛盾が一気に噴き出そうとしていた」と振り返っておられます。
これを受け、「福祉優先」「環境保全」「市民参加」を旗印に、政策転換の方途が求められました。
本書では、下水道整備、グリーン・コウベ作戦、ポートアイランドの整備とポートピア’81、しあわせの村など、今日の神戸を形づくったプロジェクトについて、舞台裏を含めた事情が綴られていました。
世論を二分した神戸空港についても、複雑な経緯が簡潔に整理されて記され、宮崎市長の率直な心情が吐露されていました。
宮崎市長のご生家は、「裁判所に近い楠公さん(湊川神社)の西門を出たところの湊東区(現在の兵庫区)上橘通にあった」と記されています。
私が通った湊川幼稚園は、もうとっくの昔になくなってしまいましたが、おそらくは宮崎市長のご生家があった場所と目と鼻の先だったと想像します。
『神戸を創る』は、市長室の私の執務机のすぐ後ろにいつもあります。
お守りのように感じています。