久元 喜造ブログ

池内紀『ヒトラーの時代』


昨年8月30日にお亡くなりになったドイツ文学者、池内紀 さんの最後のご著書です。
池内さんは、ドイツ文学やモーツァルトの音楽を語りながら、最後までナチス・ドイツとヒトラーに並々ならぬ関心を持ち続けられました。
本書には、「ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」という副題がつけられています。
優れた哲学、文学、音楽、絵画などドイツ文化を生み出したドイツの人々がなぜこのようなことになってしまったのかという疑問を、池内さんは最後まで抱き続けたのだと感じます。

本書では、ヒトラーが無名の扇動政治家から権力を掌握し、国民の圧倒的な支持を得て、人気を博していくまでの過程が、写真、車、マイクロフォン、ジュタリーン文字などユニークな視点も交えながら語られます。
労働者や公務員の休暇を組織化し、音楽会や映画会、スポーツ、旅行などをごく安価に斡旋しました。
ドイツ人が山以上に海に対して特有の憧憬を持っていることに注目し、バルト海や北海への船旅にも力を入れたのでした。

国民の支持と熱狂をとりつけるための工夫が次々に紹介されますが、副題の問いに対する明確な答えは示されていないように思えます。
池内さんご自身、「むすびにかえて」の中でこう述懐されます。
「ナチズムについては、・・・数限りなく論じられてきた」「にもかかわらず今にいたるまで解明がつかない」と。
その上で、「ナチズムの妖怪は異常な人間集団のひきおこしたものではなく、その母胎にあたるものは、ごくふつうの人々だった」との感想を述べられます。
本書と並行して読んだ「独ソ戦」に描かれているように、「ごくふつうの人々」が支払った代償は余りにも大きなものでした。