久元 喜造ブログ

「光」を追い求めた画家・菅原洸人

画家・菅原洸人の存在を知ったのは、11月14日の神戸新聞の記事でした。

「哀愁漂うパリの情景やキリスト像を描き続けた洋画家菅原洸人(すがわらこうじん)さんが亡くなった。91歳だった。病に苦しみ、放浪の果て、神戸に安住の地を見つけた。描くのは厚塗りの大胆のタッチの油彩画。画布に「光」を追い求めた人生だった」

記事には、『モンマルトルの石段』と題された絵が掲載されていました。新聞記事の中の小さな写真で、しかも白黒ですから、単なる雰囲気しかわからなかったのですが、なぜか惹かれるものがありました。

菅原洸人は、1922年、山形県に生まれました。幼少時に北海道へ養子に出されますが、養子先を飛び出し、船員や印刷工などを経験しました。やがて結核を患い、死を覚悟しながら、各地を放浪し、1953年、神戸に定住先を見つけます。
絵を志し、市民美術教室で、小磯良平、小松益喜に師事しました。そして、職業画家への道を歩んでいったようです。
先ほどの記事によれば、1970年に初めて渡欧。石造りの欧州の街並みや文化に魅せられ、とりわけ、パリの街角や人々を生涯の画題としました。路地裏の風景や辻楽士、道化師を好んで描きました。

私は、先日、神戸市立博物館で、生前、菅原洸人から寄贈された絵を何点か見せていただきましたが、それらの中に、昭和30年代の神戸を描いた素描がありました。

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「三の宮駅東問屋」の文字が読め、三宮駅東側の、かつて国際マーケットと呼ばれたあたりかと思われます。

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正確な位置はよくわかりませんが、この「藤ホテル」のあたりがお気に入りだったようです。

12月に入り、婦人市政懇談会の総括集会が垂水区役所で開かれました。博物館で、菅原洸人の絵の一点が垂水区長室に飾られていることを聞いていましたので、さっそく見せていただきました。、ヴェネツィアの風景を描いた絵でした。

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いつの日か、菅原洸人の作品を集めた展覧会が開催されることを期待したいと思います。(敬称略)